第③わん! ~まだまだプロローグなのである~

『目が開かない。何か被されているワケでも何かを当てられているワケでもないのに開けられない』


『鼻も利かない。優しい匂いが感じられる気がするが、どこか血の臭いも混じってる』


『身体が動かない。拘束はされていないようだが動かせない。それ以前に力が入らない』


『声が出ない。喉を潰されたワケでは無いが声が出せない』


『腹が減った。何か食物を食べたいが手を動かせない』


『どこがで何かを話す声が聞こえる。だが何を話しているのか分からない』



 彼の者は身体の五感が全て利かず不安な状態だった。意識を失い敵に捕まったのであれば、自分に待っているのは苛烈な死である事に違いは無い事を悟っていた。



『自分はいつの頃からか、様々な衝動に駆られ、父を殺し、母を殺し、民草を殺し、怨嗟の念を浴びてきた』


『今でこそ、その衝動は無いが……これは自分がしてきた事への末路であろうな』



 彼の者は自分に言い聞かせるように心の中で呟き、いずれその身に降り掛かる最後の時への不安を、少しでも紛らわせる事に尽力していたのだ。

 それは言うなれば、彼の者なりに贖罪を求めていたのかもしれない。


 だが、その時はいつまで経ってもやって来なかった。

 自身の置かれている状況や状態にこそ変わりは無いが、何故か鼻だけは利くようになっていた。


その為、血の臭いではなく、どこか安心する匂い……優しい匂いの方へと少しずつ頭を向ける事にしたのだ。


 しかし、腹が減っている事に変わりは無い。だから試しに身体に力を入れてみると拘束はされていない事から、結果として這うように動く事も出来た。


 自分が這うと近くから声が聞こえていたが、何を言っているのかはサッパリ分からない。



『どうせ無理に足掻いてると敵国の者達が嘲笑あざわらっているのだろうよ?』


 自虐的にそんな事を考えながら、嗅ぎたい匂いの方へとじわりじわりと這って行く。

 そして自分の口元に何か柔らかいモノが当たったのだった。



『柔らかい!?これはッ!食物か?しめたッ!!これで空腹を凌げる!』


 自身の顎に力が入らず、口は物を噛めず吸う事しか出来ない。

 それでも口に当たった柔らかいモノから栄養をるべく、必死に吸い出していく。すると口の中には液体が満ちていった。


 味こそあまり感じなかったが、少しだけ甘いような気がした。



『今はこれでいい。愚かにも吾輩の身体を拘束していないのだ。時間経過で鼻は利くようになった。そして身体には少しだが力が入る』


『暫く休めば敵地から逃げ出すくらいの体力は戻ろう。それまでは嘲笑あざわらっておるが良い。吠え面をかくのはキサマらなのだからな』


 味の薄い液体を飲めるだけ飲み腹が膨れた彼の者は、暫くすると満足するように眠りに堕ちていった。



『うーむ、状態が変わらぬ。暫く休んだ気もするが、何も変わっておらぬ』


『だが何故だ?たまに自分の身体の上に何かが乗っかって来るような気配を覚える。頭を蹴られているような感じもするが、これは拷問なのか?だが鋭い痛みや鈍い痛みでは無い。こんな生温い拷問では吾輩の国では拷問官は死刑であるな』


 彼の者が意識を取り戻してから、かれこれ2週間近く時が経過していた。



 その間、特に何の変化も無いと言っても良い。身体には徐々に力が入っていくのだが、立つことは出来ない。

 従って這うのが関の山だった。



 そして、鼻以外の感覚器官は未だ言う事を聞かないと言っても過言では無い。拠ってこのままではいつまで経っても逃げ出す事が出来ないと焦りすら覚えていた。


 だが一方で、腹が減れば匂いを頼りに味の薄い液体を飲めるだけ飲んだ。そして寝た。

 そんなな生活をしていたとも言い換えられる。



 こうなってしまっては、恥も外聞も無い事から糞も小便も垂れ流すほかなかった。しかし垂れ流すと鈍い触覚でも流石に分かる程の何か冷たいモノで尻を拭かれた。

 流石にそれには恥ずかしさを覚えた。


 だが、抵抗など流石に出来るハズもなく、辱められても従順に従う事しか出来なかったのだった。



 それから更に1週間が過ぎようとしていた頃、彼の者にとっては大事件とも言える事が起きたのである。



 その日もただ飲んで寝てを繰り返すだけだと思われていたのだが、突然良く分からない言語が聞こえたのだ。

 そしてその後、何かに掴まれるような感覚があってから、身体がふわりと浮き上がっていったのだ。



 身体の状態は1週間前とあまり変わっておらず、抵抗する事も出来ない。自分の身に何が起きているのか分からないままだから、為す術も無い。

『これで吾輩の生命も最後か!』と、諦めかけた途端に急激に身体が重力に逆らい上昇していった。

 結果、頭に血が回らず目眩を起こしていた。



 そして、その目眩が回復し脳が正常に稼働し始めた頃になって漸く、自分の置かれている不遇とも言える境遇に段々と腹が立って来たのだ。


 その結果、その怒りのパワーは目を開いたのだった。



『な、なんだ!?なんなのだ?!吾輩を掴んでいるこの巨人はッ?!』


 目の前にある巨大な顔。自分の身体の2倍、いや3倍はあろうかと言う程の巨大な顔がそこにあった。

 自分の身体より一回りくらい小さいと感じられる程の大きな目が2つ、自分の事を凝視していた。



『敵国に捕まったと思っていたが、吾輩を捕まえていたのは巨大巨人族ティタニアであったか!』


『ようやっと目が開いたと言うのに、無念であるッ!かくなる上は最後の最後まで必死の抵抗をしてみせる!』


 今まで多種多様な種族のモノ達と闘い、戦果を上げてきた彼の者であったが、そこにいたのは自分よりも遥かに巨大な種族。

 身長が自分の優に10倍はあろうかという巨大巨人族ティタニアなど、見た事も闘った事も無かった。そして今の状態―全盛期の頃の影も形もない、比べる事も出来ない程に弱っている今の状況で勝てる算段などあるワケも無かった。



 が、その目だけは何があっても屈すまいと闘志を燃やしていた。



「ムインコイエイケエイクエインドゥエインイー!オオ!ムイウォエイケトゥエイゾー!コンオコフエイクエイシコソウドゥエイ!」(※①)


『ムインコイエ?!なんだ?魔術か?この状況で魔術を使うなど、吾輩の闘志が敵に悟られたのか?だが、この圧倒的体格差でありながら魔術まで使える巨人など、勝てる要素が見付けられん!ええいままよ、なるようになれだ!!』


 絶対的な体格差があり、弱らされた上に拘束までされている絶対的優位な状況でありながらも、完全なる勝利の為に魔術の詠唱を始めたと考えた彼の者は、屈すまいと燃えたぎらせていた闘志を呆気なく鎮火させられた。


 だから少しでも優位性アドバンテージを減らそうと、自由の利かない身体を必死にくねらせ、巨人の拘束から逃れようと必死だったが、拘束が解けるハズも無かった。



『無理であるか………。仕方ない。このまま、丸呑みにされても意識が残っていれば、腹の中で暴れてくれる!』


 だがここで、彼の者に訪れた窮地は取り下げられたのだ。何故ならばそっと優しく柔らかい地面へと返されたのだから。



『今はまだ、食事の時ではなかったのか?それならば、今のはただの下見………か?』


『しかしこれで逃げ出すのは、より一層困難な事が証明されたか………。だが、今は何よりも、目が開けられる!どれ?ここはどこなのか?敵の本拠地を見聞させてもらうとしよう!』



『な、なんだ、コレはッ?!』


 彼の者は柔らかい地面に返された後、今後の事などを考えていた。

 そして彼の者は自分の目を擦ろうと腕を動かしたのだが、その視界に入ったのは毛むくじゃらの手だった。



『わ、吾輩の身に何が起きたと言うのだ?なんだ?この毛むくじゃらは!?しかもよく見るとコレは手ではない!ヒト種の手のように指が見えん!手も握れない!』


『これは、まさか?!吾輩は魔獣になったのか?敵国に捕まり、魔獣に変質させられたのか?まさかッ!これは前に聞いたことがある合成魔獣キマイラ……か?合成魔獣キマイラの研究が終わっていた国があるのか!?』


『それならば納得も出来る!吾輩の力を恐れた敵国が、吾輩を捕らえ国に戻れないように変質させたのだな?』


『だがしかし!これでもあの、時の賢者・ラルフ・ウォーレンスも認める程に吾輩の魔術の才覚は優れておる!ここを抜け出した際には元に戻る方法すら見付けてくれる!』


『だが、この手では武器は持てんな?そうなれば、魔術を主力とするしかあるまい!どれ?吾輩にどんな魔獣を組み込ませたかは分からぬが、直ぐに魔術を使って逃げ出してくれる!』




訳①:めんこい赤ちゃんだねぇ!おお!目を開けたぞ!この仔は賢そうだ!

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