参.闖入者




 この時代に来て十日たった。もらっている給料はなんかお米券みたいなやつ。これを米問屋に持って行くとお金かお米がもらえる。年三十俵貰えて、月に一俵を米で交換するのが独り身にはちょうど良い、だがうちにはサチがいるので大体年に一五俵ぐらいは米に換えて、あとは銭に換える。

 一俵で金一両、今は大体銭七千文に換えられる。独り身であればゆったりできるのだが、養う家族がいると話が変わる。
 どうやらサチは元々胃腸が弱いらしく、懇意の薬売りから買った丸薬を飲んでいるのだがそれがそこそこ高い。月に七百文、現代の感覚で言えば手取り二〇万に対して二万持っていかれる。白米だけでは栄養が足りなくなるので野菜を買う。魚や肉は高い。べらぼうに高い。
 二人の食費だけで月の三分の一は持っていかれる。しかも、このコメの量が安定しない。
 米が少なくなると、給料も減ってしまう。だからこうして、魚を釣って帰るのだ。

 塩漬けにでもできれば、サチの元に持って帰れるのだが、塩は高価すぎて手が出せなかった。軽く給料の八割は持っていかれる。


「ん、かかった」


 リールがついているような現代の竿ではなく、竹を主体に作られた昔ながらの手釣りでやっている。最初はかなり難儀したが、上司の趣味の付き合いで渓流釣りをやっていたおかげで、コツを掴んで、一日三匹ぐらいは釣れるようになった。今はアジがよく釣れる。


「今日はこんなもんにしておこう」


 桶を抱えて岸から離れる。十分も歩けば幕府から貸し下げられたという宿がある。執行件数が多かったり、幕府直属の処刑人が泊まったりする場合に使われる宿だそうだが、なにぶん質素すぎる。

 現代風に言えば四畳半の1K。布団は薄いので身体が痛くなる。キッチンには昔らしい調理器具があって最初は苦戦したが伊達に飲食業十年もやってない。今では結構使いこなせた。

 金網がなかったので串に売ったアジは、七輪の淵に立てて焼いている。水分が飛んでしまう分旨味が凝縮される、そんな話を上司としたような気がする。

 ふと、腹が痛くなってきた。悪いものを食べたような切迫したのではなく普通のやつだ。昼飯を食う前に来るとは無愛想なやつだと、心の中で悪態をつきながらトイレに向かった。

 違和感を感じたのは、トイレから軒先に戻ってきた時だった。

 なんかいる。

 軒先に誰かいる。昔ながらの笠を被った侍が七輪をじっと見ている。顔はあまり見えないが凝視しているのはわかる。

 どうしよ、戻ったら斬り捨てられるかな。この間の少女みたいに。脇差を取りに戻ろうと後ずさりすると、突然その侍がアジをツンツン指でつつき始めた。人の食べ物なんだけど容赦ないな。

 しばらく観察していると、突然侍は串を手にとった。と思えば、おもむろに食い始めた。

 あ、女の子だ。侍の格好している女の子なんて珍しいな。というか昼飯勝手に食われてるんだよ。いやでも、戦うの無理だしなぁ。というか美味しそうに食べるなぁ。

 ニッコニコで魚を頬張る彼女を思わず見つめていた。それはもう警戒を解いてしまっていた。
 ふと目が合う。じっと見られている。これはまずい、と思った時にはすでに畳に組み伏せられていた。
 しゃがみ込んでいたから分からなかったが、背が大きかった。肩は少しがっちりしていてスタイルも良さそうだ。なんというか太ってるんじゃなくて鍛えているような体つきをしている。頭をがっちり押さえられてて、身動きが取れない。俺は元々小さい方で今も多分身長で言ったら一六〇ちょっとしかないと思うけど、こんな恵まれた身体つきでは戦ったら絶対やられる。


「誰だお前」


 頭を押さえる力が強くなる。すんごい痛い。少しハスキーでダウナーな声が怪訝そうに俺に問いかけてきた。


「誰って、ここに泊まってる人間だけど」

「ふむ……この間の人間か」


 今度は首元の匂いを嗅がれた。恥ずかしいな、というか人間が匂い嗅いで他の人間を識別できんのか?

 パタン、パタンと音がする。まさか刺客がきたのか。刺客と刺客が出会ってやりあってる隙に逃げられたらいいな。


「というか人の昼飯食べておいてこれはひどくないですか?」

「人の昼……あっ、あぅ、その……」


 え、魚の話したら急に降りてくれた。少し距離を取るとシュンとした様子で女の子座りしていた。後ろには尻尾みたいなのがニョロニョロ動いている。


「ち、ちがう、あ、あの、おな、おな、えっと……御免!」




 逃げた。とても早い逃げ足で飛び出して行って、一歩で何者かに取り押さえられていた。侵入者よりも小さい、子供のような女の子が女侍の上に乗っかっている。


「離して、ナエ、アタシは逃げないと!」

「姉様の悪いとこだよ、いい人間には迷惑かけちゃいけないって父上から言われたでしょ!!」


 勝手に玄関先でジタバタもみくちゃになっている。これは、どうしたらいいのか。
 女侍の方は大きい身体に力もあるのか抵抗してはいるが、小さい子の方が素早く動いて技で制圧している。


「ほら、しかもお役人さんなんだから謝らないと!」

「ゔゔ、うっ、うん……あの、勝手に昼餉を食べて申し訳ない……」


 のそのそと玄関先に正座したかと思えば、土下座されてしまった。後ろに立つ少女は、赤髪に緑の眼、さらにはピンと立った猫耳が印象的な姿形だった。

 頬を膨らませて姉様と呼ぶ女侍のことを一瞥してから、こっちに向いてきた。


「姉様のご無礼申し訳ありませんでした。私共は旅の者でして、信州更科さらしなより江戸を通って京や大阪を巡ろうと思っております」

「なるほど、人よりも体力はあるのでしょうね」


 不思議そうに見ている二人。なんだろう、猫耳がついてる女の子は確かに俺は好きだし、自分の身に非現実的な事が起こりすぎて飲み込んでしまったが、ぴょこぴょこ動いている猫耳は多分本物だし、多分厳密にいうとこの二人は人間ではない。

 女侍も笠を被ってて耳こそ見えないものの、ピンと立った尻尾が人間らしさを失わせている。


「……姉様、やっぱりやるしかない」

「えっ、だっていい人間にはちゃんとするって」

「悪い人間だよ」

「でも、昼餉勝手に食べても許してくれた」


 許してないんだけどね。まぁでも、謝れるってことは常識自体は人間寄りなのだろう。時折獣性の強い行動をしてしまうだけで。


「まぁまぁ、魚はまた釣ればいいので。でもお腹空きました」

「す、すまぬ」

「すまぬで済めば僕ら同心はいらないですよね」

「ど、どど、同心なのか!!」


 びっくりしたように刀を抜いて構える女侍。玄関で抜刀したらダメでしょ、俺今武器ないし。やばいな、どうしよう。また命のピンチ迎えてしまった。


「い、いえ、捕まえたりしませんよ。大体処刑人なのに、捕まえることの方が大変ですし!」

「処刑人?」

「姉様、この家、お上から首打方のお役目についた方に貸し与えられてる宿だよ」


 目をしぱしぱさせながら剣を中段に構える侍、その横で俺の命を狙っているであろうくのいち。これはどうしようもないぐらいまずい。打開策はないだろうか。

 と思ったら、熊の咆哮のような音が玄関先に鳴り響いた。熊まで現れたかと思うと、くのいちがお腹を抑えて顔を赤く染めていた。


「ナエ、飯を食っていると言っていたではないか」

「だ、だって、姉様にご飯食べていただきたいから……」


 ぐぅぐぅなるお腹を必死に隠してうずくまるくのいち。サチとは真反対の苦しみ方だがもしかしてそんなに飯を食っていないのか。


「最後に飯を食べたのはいつですか?」

「えっと三日前、姉様ごめんなさい、六日前です」


 女侍に睨まれて泣きそうな顔でしょんぼりしているくのいち少女。無碍にするわけにもいかないというか、そうだもう仕事に向かわないと。

 でもこの二人にはここにいてもらうわけにもいかない。さすがに幕府所有の小屋だし、誰が来るかもわからない状況で鉢合わせすれば、罪人扱いから自分が資材を申し渡される可能性もある。


「仕事に出なければいけないので、一度出てもらってもいいですか?」
「んにゃ、あのお腹が空いたので少し米を分けてもらえぬだろうか」


 あげたい気持ちは山々だが、食い扶持があまりない状態では二人を同時に腹を満たせる量は持ってこれていない。残念だが、更科に戻ってもらうしか……


「な、なんでもする、そうだ、飯が食えればいいから用心棒として雇ってくれないか」

「用心棒?」

「おうさ、このサクラに任せてくれれば、関八州が艱難辛苦かんなんしんくは全て払ってみせるぞ。このナエも一緒にいるからな」


 お腹が空きすぎて元気がなくなったのか、静かにこちらをじっと見ているナエと呼ばれた少女。ただ小さい子がこうやってお腹を空かせるのは俺としては許容できない


「わかった、とりあえず一晩考えよう」


 俺は護身用の脇差と仕事道具の太刀を手に取って、寺の鐘に追い立てられるように鈴ヶ森へ向かった。

 そう、女侍と一緒にだ。

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過労死して幕末に転生したらしいんですが、新しい職場はブラックすぎる刑場でした 安東リュウ @writer_camelot

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