弐.異界渡り
「お目覚めですか」
目を開けると、白いスーツの男が俺を覗き込んでいた。その姿よりも虹色の瞳でまじまじと見つめられている異様さに背筋が凍っている。
「私はこの場所において貴方の魂を管理している者です。初めまして」
「えっと、誰ですか」
誰か聞いても理解できない。魂って概念を目の前にするとは思わなかった。全くもって理解ができない。
「とりあえず、後藤さんにお詫びしなければいけないことがありまして」
「え、なんですか……」
「風前の灯火だった貴方の生命のロウソクを間違えて天界の天使が倒した為死んでしまいました」
言ってることがよくわからないんだが、とりあえず俺は死ぬはずではなかったけど間違えて死んだと言うことか。
しょうがないでは済ませられない、けどまぁ遅かれ早かれあの仕事をしていたら死んでいたのだろうな。
「それで、お詫びといってはなんですが不幸が重なった後藤さんの体に貴方の魂を緊急輸送することによりなんとか助けることに成功しました」
「いやいや、おかしいでしょ。なんでそうなるんだよ」
「こちらの後藤茂平次さんは身体は残ったんですけど魂が壊れてしまって、
処刑人だからだろうな。しかも多分心優しそうだぞ、妹さんの反応見る限り。
「後藤某って誰なん、ですか」
「えーと、後藤さんの魂がいた二〇〇年前、江戸時代で南町奉行所で斬首処刑人をしていたお役人さんです。北辰一刀流の使い手ですね」
うっわ、どうしよ。スペック高そう。俺剣道とかかっこいいとは思うけど、そういう剣打つとかからっきしなんだよなぁ。
なんだ、これどうしよっかな、でも戻れないんだしなぁ……
「魂の後藤茂平次さんがいるのは一八六四年二月です。申し訳ないですがそこで生きてもらうことになります」
「何にも知らないのに、それは無責任すぎますよ」
「もちろん、お詫びは致します。体にある技術は全て魂とリンクさせます。先ほどはリンクできてなかったのでチグハグになってしまいましたが、目が覚めると身体の記憶とリンクするので仕事自体には支障は出ません」
「そんな都合のいい話で俺の人生を狂わせるのはやめてくれ」
よくもまぁこんな、理解のできない話の中で追い詰められるもんだ。間違えて殺してしまったから新しい人生を歩んでくれ。そんな都合のいい話が通ってはほしくない
ただ、なんとなくのニュアンスでこの後藤茂平次とやらは、精神を病んでしまって自壊しそうになった。それを防ぐのにちょうどよかった。
それなら、誰かの役に立つのなら、こう言うのでもいいのかもしれないな。受け入れてみなければわからないが、やるべきことはやらないと。
「決まったことですので、それは避けられません。次私と会うのはその体で死ぬ時です。それまでまた自分のやりたいことを探してやってみたらいいと思いますよ」
男の手が俺の目を塞ぐ。やけに人間味のある手が、夢ではないことを鮮明に示してくる。
すぅっと意識が落ちていく。こんな希望もない説明会みたいな話を聞かされるとは……
***
目が覚めると、屋敷と呼ばれる場所に確かに寝かしつけられた。さっきの虹色の眼の男が言ってた話がいまいち実感できない。感じることと言えば……少し目線が高くなっただろうか。
起き上がって辺りを見回すと、隣で眠りこける
「時間の概念は分からないが、身支度は覚えているのか。なるほど知識的なものはない状態か」
「ぁ、あぁ、も、申し訳ありません、兄様!」
後ろから大きな物音と声がしたかと思いきや、寝巻き姿の妹がバタバタともがいていた。多分何かしようとしてくれてはいるんだろうけど、なにぶん目覚めたばかりの体ではどうしても自由が効かないのだろう。派手にすっ転んでいる。
「こらこら、朝からそんなに暴れてはいけないよ」
「ですが、まだ具合の悪い兄様に家の事をさせるなど、サチめの不覚でございます。かくなる上はこの命を」
「こら、侍でないのだから気軽に命を賭けてはいけないよ」
俺も喋り方が少し丸くなった。こんな妹がいたら元の時代では溺愛していたのかもしれないな。というか、侍でなくても命賭けちゃいけないと思うんだけど、よくもこんな話ができるようになったもんだ。
そんなことを思いながら身支度を進める。バタバタと出ていったサチが戻ってくる頃には昨日着ていた侍っぽい格好に身を包む。これなんか綺麗だけど制服とかなのかな。
戻ってきたサチはなんかお茶漬けみたいなやつと漬物をのせた小さいテーブルを持ってきた
「
健気だけど物騒だな。お茶漬けはほんのり塩味で、米の形が残ったお粥みたいな感じだった。朝にはいいかもしれない。
かきこんだところで、通勤の途に出る。どうやら屋敷は屋敷であって、一応処刑人用に泊まれる宿が大森にあるらしい。ありがたいのでそこを使おう。
「ありがとう、ごちそうさま」
「お粗末様でございます。それでは兄様、いってらっしゃいませ」
誰かにいってらっしゃい、って言われて仕事に行くのなんかいつぶりだろうか。こういうあったかい感覚は久しぶりだ。家族がいるというのもいいもんだな。
幕府から支給されているらしい脇差を提げて、屋敷を出る。何かの視線を感じる気がするが放っておこう。 三時間も歩くのかと思うと憂鬱だ。酒も気軽に飲めない、ともなるとこの時代の趣味としてはなにがいいだろうか。 そうだな、確か鈴ヶ森って大田区か品川区だったと思うから、海とか多摩川近そうだな。
釣りができるのではないか?
漁業権とかなさそうだし、昔よりも海は綺麗だろうから、魚も美味そうだ。なんだったら、江戸前って言われるぐらいだし寿司とかいいな。 面白くなってきた。どんな宿か知らないがそっちにいる方が長いだろうからいい感じに立て直さなきゃいけないな。
「父上の仇、そのお命頂戴する!」
大声が聞こえたかと思えば、目の前には短刀を持った少女が一人、こっちに突進してきている。
え、殺されるんか、俺
体が動かない。これが死ぬってことなのだろうか。
理解できないまま右手は脇差を抜こうとしていた。身体は生きようとしているが間に合わない。このまま担当が突き刺さって、いや突き刺さらなかった。
風を切る音と共に、少女が派手に転んだ。その背中には大きな生々しい切り傷。というかそもそも首がつながっていない。
突然死んだ。俺何もしてないのに。
「斬り捨て御免、お前さんは役目を果たされよ」
凛とした女性の声がしたと思い辺りを見回す。誰もいない。少女だったものが転がってる以外にはなにもない浜辺道だった。
何が起きたのか、全く分からないが一つわかることがある。俺は命を狙われた。しかも年はもいかない子供に命を狙われた。その事は俺にこの時代で生きる自信を無くさせるには十分だった。
どうやっても戻れない、この状況を受け入れるしかないのだろうか。
何かやりようはないのか。俺はその亡骸から逃げた。とにかく逃げた。
しばらく逃げただろうか、もう何も見えないぐらいの場所に辿り着いた時、一個の神社があることに気づいた。なんの神社かわからないが、こういう時は祈ってみると良いかもしれない。神頼みって言葉もあることだ。 礼儀作法もとんと分からないが、なんとなくで拝んでみる。
「どうか、元の世界に戻れますように」
「んなぁぁぁぁ」
聞き覚えのある声が聞こえた。その方向に目を向けると、一匹の黒猫がこっちの様子を窺っている。ちょっと汚いぐらいの鳴き声がとてもいとおしくて好きだ。
俺は無類の猫好きなもので、あの時々甘えてくる感じがたまらない。あの猫はこちらをみている感じからすると、多分気にはなっているが近づいてくるのを待っている。そわそわと首を動かしていた。
ただ、誰のとも知らない神社の深くに入っている時間はない。俺は、後ろ髪を引かれる思いで神社を後にした。 「にゃ、なんだよ唐変木、アタシがせっかく姿出してやったのに……」
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