過労死して幕末に転生したらしいんですが、新しい職場はブラックすぎる刑場でした
安東リュウ
壱.むかしむかし
「後藤、明日はスタッフミーティングだから十一時半に出勤よろしくな」
昨日、というかさっき。朝の四時くらいにそう言われて帰ったはずだった。コンビニでバカみたいな労働の間の癒しにしていた、銀色のやつとお気に入りのチータラを買って帰ってるはずだった。
家に帰って深夜の通販番組を見ながら、酒なしでは眠れなくなったこの身体にこだわりのレモンサワーを流し込んでいたはずだ。
「茂平次様、昨日はお体が優れなかったようですがお休みいただけたでしょうか?」
何故、目の前に時代劇に出てきそうな女がいる。酔っ払って夢でも見てるようだ。身体を起こしてとりあえず着替えよう。
着替えると言っても、出勤時間ギリギリまで寝ていられるように近くに着替えを用意している、いや、ないな。俺のだる着がない。居酒屋チェーンだしスーツじゃなくていいだろ、しかも職場まで徒歩三分だし、と気にしなくなったお気に入りのだる着がない。
「……ここはどこですか」
「ここはお屋敷でございますが、もしや兄様、憶えが悪くなってしまわれましたか?」
さも俺が記憶喪失みたいな言い方をするな。そもそもお前は誰なんだ。というか兄様って、俺一人っ子なんだけど。兄弟欲しいとは思ったこと何度もあるけど。
理解ができないままとりあえず布団に座り込む。 「お屋敷、誰の屋敷ですか?」
「誰のと言いましても茂平次様の……もしかして
憶えがない、身に覚えがないというレベルじゃない。でもここは記憶喪失のふりをした方が話しやすそうだ。二十九年の人生経験が教えてくれている。
「そうですね、昨日というよりここまでのこと全てが思い出せなくて」
「なんと、であればこのサチのことも憶えておりませぬか。これは大分重いことになりました。まず兄様、お名前とお役目は覚えておられますか?」 「後藤……あれ、下の名前が出てこない」
下の名前は確かにあるはずだ。だが何も出てこない。なんだっけ、俺の名前。
「そうでございます、後藤茂平次、南町奉行所首打役同心のお役目に就かれているのが兄様でございます」
なんか物々しい役目が勝手についてきている。奉行、といったら勘定奉行しか知らない。でもあれ、確か昔のなんかがなんかして名前の元になったやつだったはず。
歴史の授業を寝ずに受けとくんだった。というか、タイムスリップ?
いや夢だろ。こんな体験はありえない
「今は何年だ」
「文久四年が睦月でございます」
え、何年?
睦月っていうのは確か一月だというのは分かるけれども、ブンキュウってなに。どうしよう、夢にしては目覚められない。でもこういう悪夢たまに見るよなぁ……
「
「に、兄様、どうされてしまったのですか、昨日稲妻に打たれてより起きられたと思えば、全て忘れてしまわれたのですか……このサチのことも」
「そう、みたいですね」
どうやら雷に打たれたらしい。昨日雨なんか降ってなかったしそのまま家帰ったはずなんだけどな。不思議なもんだ。
いや、待てよ。こうなったら非現実的な話が浮かんできた。それを証明する為に頬を一つねりする。古典的な方法だったが、痛みを感じてしまった。
「今、この国で一番偉いのは誰でしたっけ」
「えっ、それはもちろん徳川の将軍様でございます、お上に仕える同心ともあろう兄様がそこまで忘れられてしまったのですか!」
いや、想像通りっちゃ想像通りだが、にわかに信じがたい。これ最近流行ってる転生モノってやつだ。 もしかして、多分俺はもう死んでいる。死んだ上でなんやかんやあって江戸時代にタイムリープかなんかしたんだろう。
そうだな、こういう物語が流行っているのだけは知っていた。でもただの創作だと思っていた。
でもそれしか説明がつかない。てかなんでそもそも死んだんだ俺
「後藤殿、目が覚められたか。山田浅右衛門に頼むと
知らないサムライがやってきた。でも、山田浅右衛門って好きな漫画に出てきたから少し知ってる。首切り浅と呼ばれる処刑人一族だったはず。それにならぶ首打ち……俺、処刑人なのか?
グロイの無理だけど。鶏の心臓捌くとか、鶏の食道の内容物取り除くとかぐらいしかできないんだけど。マジ? 「兄様は昨日の稲妻により混乱しております。一時お暇をいただけないでしょうか」
「ならぬ。首打ちの役目はこの江戸を守るに必要な役目、一時も絶やすことはできぬ」
休みはもらえないらしい。休みも何も仕事内容自体知らないんだけど。妹を名乗る女の子が必死に交渉してくれたがダメだった。やばいね、これ。
「申し訳ありません、兄様」
「大丈夫です、一晩二晩眠ればどうにかなりますよ」
しょぼくれた子犬のような顔をして悲しそうにしている少女に笑顔を見せる。結構若い子だし頑張ってくれたのだからせめて元気さは見せないと。
あー、学生バイトちゃんと働いてた時は戻ってこないのか。少なくとも、もしかしたら前よりもマシな世界なのかもしれない。そう考えて仕事をしよう。
そうだ、物騒な仕事もゾンビゲームのゾンビを倒すのと同じって考えればいい。いいんだ……
***
鈴ヶ森までの道のりが過酷すぎた。嘘だろ、家まで往復六時間なのかよ。もうちょっと近くに住まわせてくれよ。なんでだよ。
マジでこの体の持ち主強メンタルすぎるだろ。俺ですら家まで歩いて三分だったぞ。六十倍とか正気の沙汰じゃねぇ。
「松本次郎兵衛、
「ゆるじでぐれ、お、おれにはむずめが!」
「茂平次どの、首尾よくお頼み申す」
それより、この仕事マジでやばいだろ。
銃刀法違反で死刑になるんか、トンデモ法律すぎるし俺が今からこの人を殺すんか?
目の前には痩せた男が震えながら後ろ手で縛られている。恐怖からか失禁していた。その表情は白い布に覆われて見えないが声はとてつもなかった。
心の葛藤に襲われていると、手が突然震え始めた。いや震えていない、勝手に動いている。抜いたこともない刀を抜いていた。腰に提げた刀は重いなと思うぐらいだったが、今、その刀身が陽の光でキラリと輝くその瞬間、現実を一気に感じた。
自分の意志とは別の動きをしている。こんなものは早く覚めてもらわないと困る チャキリ、と鳴ったのは自分が上段に構えた刀からだった。時代劇で、一番盛り上がる殺陣の前に行われるあの動作。名前は知らない。
「あああああああっ、やだやだやだ、じにだぐなっ」
考えるよりも先に手が動いていた。
人を殺したことなんて一回もない。でもこの手応えはもも肉を切れ味のいい包丁で切った時みたいな、スッと包丁が入るようなあの感覚だった。
その感覚で、人の首が落ちた。そんなことが目の前で行われた。
というより俺がやった。
「茂平次どの、さすがの手腕お見事でございます」
礼をしてくる部下っぽい侍。悪夢だと信じたかった。でも、起きることはできない。理解もできない。
そう悟った俺は、そのまま後ろに身体を引かれた。地面に倒れてやっと、なにかが解決しそうな、やっと目が覚めそうな気がした。
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