第9話 死体

 ある朝、江田聡史が気がかりな夢から目をさますと、自分の寝床の隣に男が寝ているのを発見した。

 相手の男の年の頃は50歳くらい。坊主頭でランニングシャツ姿。

 何だろう・・・この人は。そもそも、こんな知り合いいただろうか・・・仕事関係以外で、最近会っている人はいないから誰なのか思いつかない。


 場所は俺の家に間違いはない。

 女性が寝ていたのなら、酒に酔っていて家に連れ込んでしまったということもあるだろうけど・・・こんなおじさんと添い寝なんて、酔っていてもするだろうか。相手の性別もわからないほど酩酊していたか、男に寝込みを襲われたんだろうか。


 俺はその人を揺すり起こそうと思って、肩を触ってみた。

 何故か冷たくて固い。


「死んでる!」


 俺は一人きりなのに思わず声に出してしまった。何でいきなり俺の部屋で人が亡くなってるなんて!


 俺は布団をはがしてみた。そしたら、胸の辺りが血だらけで、包丁が突き刺してあった。


「殺人事件?そんな・・・俺が殺したんだろうか・・・」


 俺はまったく心辺りがない。でも、その包丁はうちの台所にあるのと同じ物だった。オールステンレスの洋包丁。動かぬ証拠だ。しかも、俺は右利きだから、向かって右にあるはずの心臓に刺さっている。


 この男を殺す理由なんてあるだろうか?昨日のことを思い出してみる。


 ***


 夕方6時頃だ。俺は仕事が終わった後、駅前のファミレスで夕飯を食べた。50%オフのクーポンがあったからだ。そこで、スマホを見ながらひとりで和風ハンバーグ膳を食べた。食べ終わると、やっぱりドリンクバーを付けたくなったから追加して、ドリンクを3杯ほど飲んだ。全部ホットのお茶だ。ずっと一人だった。


 ***


 夜7時頃。俺が家に帰ると、玄関の前に人が立っていた。気持ち悪いけど、家に入りたいから声を掛けた。


「どちら様ですか?」

「江田さんですか?」

「はい」

「実は・・・私は亡くなったあなたの大叔母に当たる女性から遺言を託されていて、アメリカから来ました。彼女はあなたに莫大な遺産を残していたのです」


 俺の海外の小説のラストに起こるような、降って湧いたような幸運に、すっかり舞い上がっていた。俺は玄関のドアを開け、照明を付けてその男を見ると、高そうなスーツを着たまともそうな人だった。

「立ち話もなんですから、お入りください」

 俺は我が家が散らかっていることも忘れて、その人を二階のリビングに通してしまった。台所には洗っていない食器がそのままになっていた。


 テーブルの上には、家計簿や読みかけの本が置きっぱなしになっていた。本のタイトルは『ホテル誘導術』、『ネットナンパ勝利の方程式』、『人たらし術』というような、人に見られたら恥ずかしいものばかりだった。俺は慌ててそれを隠したが、俺が台所に気を取られている間、その人はテーブルをガン見していた。


「お茶入れますから、よかったらソファーにどうぞ」

「ありがとうございます」


 ソファーは部屋と同様に散らかっていた。たまにそのまま寝てしまうから、毛布や枕が置いてある。それに、脱いだスエットのズボンが放り出してあった。俺はお茶をお盆に入れて運びながら、そそくさと片づけた。


「大叔母っていうのは、どういう人なんでしょうか?」

「あなたのお祖母さんの妹に当たる方です」

 俺はおばあちゃんの兄妹について考えてみる。おばあちゃんに兄妹がいたかなんて、考えたこともなかった。

「その人がアメリカにいたんですか」

「はい。アメリカ人と結婚してアメリカに渡ったので、親族からは存在が隠されていたのではないかと思います。大叔母さんの旦那さんは、軍の関係者でしたので・・・特に偏見があったんでしょう。退役後は会社を経営して大成功し、億万長者になりました」

 まるで、映画のようなアメリカンドリーム。俺はワクワクした。

「大叔母さんには子どもがいなかったので・・・。お姉さんの子どもたちに譲りたいとおっしゃっていました。生前からずっと探していたんですが、あちこち引越しされていて、発見が遅くなってしまいました」

「では、兄の所にも行かれたんでしょうか」

「いいえ・・・大叔母さんの遺言で、独身の男性に譲るという条件がありましたので」

 俺ははっとした。兄は既婚者だ。つまり、遺産を受け取れるのは俺だけってことか。

 

「あまりに突然のことで驚いています」

 俺は宝くじに当たったような気分になった。

「遺産と言うのはいくらあるんでしょうか?」

 もしかしたら、50万円くらいかもしれない。俺は答えを聞くのが怖くなった。

「100億円です」

「ええっ!!そんなに!?夢みたいです・・・」

 俺は感激で泣きそうになった。住宅ローンを一気に返して、チェーン店の24時間居酒屋店長の仕事をやめて、かわいい女の子を集めたガールズバーをオープンしよう! 

 

 俺はその後、その人と一緒に酒を飲み始めた。安い酒しかないけど、お祝いしたい気分だったからだ。

「今日は人生最高の日です」

「私もあなたの記念すべき日に立ち合えて、幸せですよ」

「ありがとう。アメリカから来てくださって」

 男はにっと笑った。軽蔑したような、嫌な表情だった。


「ふふっ・・・あなたは馬鹿ですか?それとも、お人好し?」

「え?」

「そんなうまい話があるわけないじゃないですか。あなたにお近づきになるための嘘ですよ」

「えぇ?」

 俺はそういえば話が出来過ぎている気がしていた。

「覚えていないでしょうね・・・。あなたがホストをしていた時の客で、草刈あゆみという女のこと」

「いいえ・・・覚えてますよ。俺のことを一番応援してくれた子です」

「あなたをNo.1にするために、OLの仕事をやめて風俗嬢にまでなったのに、あなたはホストをやめた時にあっさり捨てましたよね。妹はショックで精神に異常をきたして、精神病院に入院して、今も出たり入ったりしてます。もう20年も経ってるのに・・・!何回も自殺未遂を・・・」

 でも、生きているだけましだ、と俺は思ってしまった。

「悪いと思ってますよ・・・妹さんのことは今もよく思い出します。そういうこともあって、俺はホストを続けられなかったんです。女性をだまして金をとり続けるのは、俺には無理でした。今日はどうして?」

「あなたの精神をぶっ壊すために来ました」

「え?」

 急に男が大きく見えて来た。全然、勝てそうにない気がした。

 

 男は俺を殺す気なんだ!

 俺はとっさに台所に行くと包丁を持った。

「帰ってください。そのまま帰ったら警察には言いませんから」

「ふふ・・・」男は笑った。

「あなたが自殺したら許してあげますよ。ほら」

 男はポケットからピストルのような物を取り出した。小さいけど一瞬で人を殺せる恐ろしい兵器だ。俺は青ざめた。


 俺は慌てて3階に逃げたが、すぐに男は追って来た。包丁とピストルなんてどっちが強いか、子どもでもわかるだろう。


 俺は素早く寝室に逃げた。男がすごい勢いで追って来る。すぐにベッドまで追い詰められてしまった。俺は包丁を手に持ったままだった。男がとびかかって来て、そのまま刺してしまったんだ。多分、心臓を一刺しだったんだろう。男は出血多量で亡くなったと思う。そんなに長い時間でもなかった。俺は人を殺めてしまったショックで、そのまま横になった。興奮で震えが止まらない。


 ベッドサイドの引き出しから睡眠薬を取り出して、口に含みながら、これは夢だと言い聞かせた。

 

 大丈夫だ。

 俺は人を殺してなんかいない。

 これは夢だ。落ち着け・・・。


 しばらくすると、別の考えが浮かんできた。


 そうだ。思い出した。俺が殺したんだ・・・。

 でも、でも・・・違う。

 俺は嘘をついてる。


 違うんだ。


 違う。


 ・・・・・



 俺たちは一緒に禁止薬物をやってて、俺が幻覚を見始めて、それで怖くなって、その人を殺してしまったんだ。俺はよく部屋に知らない男を連れ込んでいたから、護身用に包丁を枕の下に隠していた。もう、料理なんかしないから、包丁はキッチンになくても困らなかった。


 その人はゲイバーで知り合ったばかりの、全然知らない人だった。

 最近はすっかりモテなくなって、金もないから、ゲイバーで男を漁るようになっていた。ゲイの人は誘うと、かなりの確率でOKしてくれる。そんな気安さに、俺は安らぎを感じていた。ゲイは女より優しいし、初対面でも多くの人と波長が合った。


 男の笑顔が浮かんで来た。カウンターの隣に座っていて、仕事はサラリーマンで妻子のいる人だった。全然、タイプではないけど、優しくていい人だった。


 うわぁ・・・ああああああああ!

 ああああああああ!

 ・・・・

 やばい!

 やばいって・・・


 やっぱり、俺が殺したんだ。その事実は変わらない。一緒に薬をやってたことを警察にどう説明したらいい?俺は薬物と殺人の両方で捕まる。懲役何年だ?15年?20年か?


 俺はリビングに行って、家にある薬物を全部集めて一気に口に入れた。そして、酒を大量に飲んで胃の中に流し込んだ。だんだん気持ちが悪くなって、腹が痛くなってくる。


 目を瞑っていると子どもの頃のことを思い出す。俺には家族も何もないけど、浮かんで来たのは、実家で飼っていた白い犬のことだ。かわいかった。俺にとっての唯一の家族。


 犬が俺の傍らにやってきて、指を舐めた。そして、俺の臭いをくんくん嗅いでいる。俺は意識が遠のいていく。俺の顔を舐めて目を覚まさせようとする。起きろと言っているようだ。俺は猛烈な吐き気に襲われて、そのまま気を失った。


(2022.8.7) 



 

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