夢殺しの卵

岡崎昂裕

第1話

夢殺しの卵


「あいつだけは絶対に許せないけど、殺人犯にだけはなりたくないんだ、俺は」

 まるで穴倉のような地下の小さな、店舗かどうかもわからないような部屋で、川崎   良助は、痩せ細った禿げ頭の老人に向かって、手を合わせていた。

「頼むよ、俺は知ってるんだ。お前が、手を汚さずに人を殺す道具を売ってるって。なあ、しかも安いんだろう?一千万かかるところが、十万位で済むって聞いたぜ」

 良助は良心のかけらもないような怒りと憎しみに引き攣ったような面持ちで、老人に迫っていた。

 その迫力に怖気る様子もなく、老人は荒野のような禿げ頭を骨ばったかさかさの手で撫でながら、薄笑いを浮かべていた。

「お客様、うちはただの小さな古物商ですよ。人殺しの道具だなんて、人聞きの悪い。そんなたちの悪い代物を売っていたとしたら、この東京という世界最高峰の警察組織である警視庁のお膝元。とっくの昔に刑務所送りになっていますから」

 と、やんわりと、

「帰れ」

 と商談を断っていた。

「おいジジイ!俺が大人しくしている間に売れよ!勿体ぶってると、お前がこのちっぽけな汚い店の床に転がることになるんだぞ!」

 怒鳴り声から脅し文句。

老人は微笑み、

「勘違いで身を亡ぼすこともあるのですよ、お客様。さあ、早くお帰りください。このビルは古くて小さい店ばかりが寄り添うように営業しています。そしてみんな年寄りです。少しでも騒ぎがあると、すぐにみんなして一一〇番しますので」

と良助に言い放った。

「なんだとお、てめえ!こんな狭苦しい穴倉で暮らしているモグラのくせに!さっさと売ればいいんだよ!どこにある!言え!」

良助は刃渡り一〇センチを優に超える肉切り包丁を取り出した。

「さあ、出せよ!」

 老人に切っ先を向けた良助は、

「殺すぞ、こらあ!」

 と喚いた。

 その瞬間だった。

 背後のドアが開いた。

「何やってる!」

「動くな!」

 びくっとした良助は包丁を取り落としてバンザイした。

 本当に警察がやってきて、良助は銃刀法違反の現行犯で逮捕されたのである。

 このまま起訴されたら、ついでに殺人未遂もプラスされるのだ。


「やれやれ」

 と老人は痛む腰を上げ、良助が蹴飛ばしたり落下させたりした店の調度を元に戻した。

「庵内(あんない)さん、大丈夫でしたかあ?」

 同じビルのテナントに入っているみんなが、心配そうに顔を出した。

 占い師の戸田星雲さんや、アロマオイルとお香の専門店の未知之純子さんや、アンティックの筆記用具、特に万年筆を扱っている、イギリスから移住してきたベティ・ウィッチさんたちが、心配そうに老人、庵内さんの様子を見に来た。

「みんな、心配してくれてありがとう。大丈夫でしたよ」

 庵内はにっこり笑って、部屋から出た。

「すいませんねえ、みなさん。騒ぎになってしまって。本当に、この稼ぎの減ったコロナの時代に、あんな奴がきたんじゃねえ。この埋め合わせは、必ずやらせていただきますので、どうかご勘弁ください」

 と頭を下げた。

「何言ってんですか、庵内さん、悪いのはあんたじゃないんだよ」

「そうですよ、あの変な包丁男が悪いんだもの」

「でも、庵内さん、怪我がなくて、無事でよかったです」

 みんな口々に、庵内を気遣う。


 そんな中、ひとりの少女が、店を訪れた。

 両目がくるくるきらきらした、何の屈託もなく罪の意識も悪意の後ろめたさもない、純な瞳の少女である。

「みんな、どうしたの?」

 少女は驚いて、集まっている人々の顔を眺めまわした。

「やあ、由美子ちゃん、いや、なんでもないんだ。心配しなくていいよ」

 由美子ちゃんは、このビルに入店している色んなお店で、持ち回りでバイトしている女子高生だ。

 その純粋で穢れのない彼女の心と性格は、みんなの宝物とさえ呼ばれていた。

 今日は、庵内さんに預かりモノを渡してから、純子さんのお店でアロマオイルのブレンドを手伝うことになっている。

「大丈夫ならいいんだけど、庵内さん、これ、一昨日の預かりモノ。今回もいい色に仕上がったよ」

 と、由美子ちゃんはコンビニのビニール袋を差し出した。

「ありがとう、由美子ちゃん。はい、これはバイト代」

 と、庵内さんは茶封筒を差し出した。

「え、こんなに貰っていいの?」

 と、由美子ちゃんが毎回驚くくらいの紙幣が入っている。

「いやいや、面倒なことをお願いしているんだもの。このくらいしか払えなくてごめんよ」

 と、庵内さんは優しい。

 みんなが立ち去った後、彼はビニール袋から、タオルなどで幾重にも包み込まれたモノを取り出した。

 そして、包みを剥がしていくと、中から現れたのは、薄明るい光を発する、半透明の、卵のような形をした物体だった。

 大きさはそう、鶏の卵のLサイズを四、五倍くらいにしたような、そう、ダチョウの卵を少し小さくしたようなモノ。

 透き通り始めたその中身には、何かが映っている。

「誰かが、この夢殺しの卵の噂を外に流したようだけど、由美子ちゃんは、これはただの装飾品だと思っているし、それ以上の説明をしたことはない。それに、もしも彼女が漏らしたのだったら、彼女はこれを勝手に売ってしまうだろうからねえ」

 だとしたら情報漏洩者は誰か。

「この卵を使ったことのある人間に限定されるんだけど」

 だが、

「この卵を使った人は、この世には残っていない。みんな死んでしまっているから」

 だとしたら?

「少し考えてみましょうか。この夢殺しの卵の無限の矛盾の謎を解くことのできた何者かが、もしいるとしたなら、それはそれで興味深い。ただ、どうして今日の押し込み強盗の耳に入ったのか、ううむ、どういうことなんだろうねえ」

 と庵内は首を傾げることしきりだった。

 それでも、また数日して、由美子に『夢殺しの卵』を預け、いくばくかの報酬を与える。

 そしてこの卵は、ここで売るのではない。

 ひっそりと、安寧の死を臨む人のために、夢の中で売られるモノなのだ。

 決して、他人を殺(あや)めるための道具などではないのだ。

「苦しんで生き続けるより、最高の薔薇色の幸せの夢を見たまま死にたい!」

 そんな安楽死を求める人のために、庵内たちが知恵を振り絞って考え出した、幸せの末路のための卵。

 それがネット社会の裏側で、忌まわしい名前をつけられているようだ。

まさかの、ひとごろしの道具として。

 その名も、

『人殺しの卵』

と。

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夢殺しの卵 岡崎昂裕 @keitarobu

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