【掌編小説】2人分のハーブティー

@airaruki

「2人分のハーブティー」


猛暑日。気温35度。

アイスを食べながら、エアコンを21度に設定し毛布に包まる私は、テレビに映るミヤネ屋に見入ることなく過ごしていた。


予定があっても、海に行くとか花火をするとか、そんな夏らしいイベントなど何一つせず、時間だけが過ぎていく連日の猛暑。


今日は久々の予定なしの休日。音のない風が吹くこの時間が好きだ。贅沢だ。

そんな大切な無駄な時間は、ある男に奪われてしまう。


「ただいま」

霧矢が帰ってきた。今年で出会ってから三年、結婚の事も視野に入れ始めた私たちは、去年の丁度この時期に同棲を始めた。

「おかえり。今日先輩と飲みに行くんじゃなかったの?」

「あー、給料日前だしやめた」

霧矢は超ホワイト企業に勤めていて、いつも帰りは早いし、会社の人と飲みに行くことなんてほとんどない。

それ故友達には、「信頼できる彼氏」と羨ましがられている。


「…そうなんだ。たまには行ってきたらいいのに」


あっという間に過ぎてしまった至福のひととき。


 -え?待って。今何時だと思ってるの…?-


「ねぇ、出勤してから何時間過ぎた?7時半に家を出たのになんでこの時間なの?」

「…」

何も答えない霧矢。…ああ、まただ。

機嫌が悪くなるとすぐこれ。何も話さない。


確かに霧矢は、自慢の彼氏だった。

有名私立大学を卒業。給料もいい大企業に勤めていて、それに彼女想いで優しくて、おまけに178cmの高身長。

表参道なんかで過ごしていると、カフェの定員が女の顔になるのがすぐに分かる程。


正直最近は、嫉妬というよりも「イケメン彼氏を連れている自分に酔っている」という事を否めない感情になっている。

まあそんな風に思っている自分をどうかと思う時もあるが…。

しかし、そう思い始めてしまったきっかけがある。霧矢のサボり癖だ。

高校を卒業してすぐに社会人となった私は、仕事に全くやる気を持たないのが許せなかった。


 -これだから大卒は嫌なんだ-


偏見だが、大学生は勉強ではなく、手の抜き方を学んでいるのではないか?と思ってしまうほどにやる気がなく感じる。

これというのは、霧矢だけを見て思ったわけではない。私の職場にも数人いて…なんて、こんな話ではない。


流石に嫌気がさして、またこんなことがあったら別れるつもりで話をしようと、心にきめていた。

「ねぇ、真剣に話したいからここに座ってくれる?」

何も言わずに私の向かい側に座る霧矢。

私は静かに席を立ち、電子ケトルでお湯を沸かし始めた。


付き合ってからは話し合いを始める時、冷静かつ落ち着いて話しをする為にハーブティーを淹れて話すのが私たちの暗黙のルールになっていた。


 -お湯が沸くほんの数十秒も待てなかった-


「…何回も話してるからわかってると思うけど、霧矢のその癖。癖っていうか癖じゃダメじゃない?人としてもっとしっかりしてほしいんだけど…」

外の暑さを他所に極寒の部屋の中にいた私は、暑さから解放されたばかりの霧矢の気持ちなど考える事はしなかった。

「ごめん。」

霧矢の謝罪には慣れている。

「でた。またごめん…。」

呆れや怒りの中では、大切に思う気持ちや好きという感情はちっぽけな存在に感じてしまう。

俯くだけの霧矢の姿に、身体の底から湧き上がる熱を抑えることができないでいた。

「いい加減にしてよ」と怒鳴りつけそうになった私に、霧矢はゆっくりと顔を上げる。

「終わりにしよう。もう一緒に居られる自信がない」

何故か優しさすら感じる穏やかな表情が私に言葉を向けた。

思考回路が止まる。私は頭の中が真っ白になった。


 -なんでわたしが振られているの?-


「カチッ」


お湯が沸いた。待ってよ。1分にも満たないくらいの時間で、何この結末。…同棲って、恋愛って、こんなに簡単に終わってしまうものなの…?


目の前のピンクと水色のマグカップ。

二つの色は混ざり合っていくように見えた。


「この家、今週中には俺がでて行くから。我儘でごめん」

そう言った彼の顔を見ることは出来ず、ガチャンと閉まる玄関の音だけを耳が捉える。


別れようとしていたくせに、整理ができていない私。

テレビでは、宮根さんが間も無く日本列島に直撃する台風について、今後の大阪の天気を伝えていた。


あまりにもあっけなく終わってしまった私の夏の大恋愛。

大恋愛…そんなものだったのかな。


一人分のハーブティーを淹れた私は、人間味のない顔で冷房を消した。

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