7月21日木曜日 テスト勝負――完結

 万尋まひろ史栞しおりの通う学校では、1日で全教科のテストが返却される。


 それは、1学期の期末テストだけに言われるのかもしれない。二人の高校生になって初めて学期終わりを迎えるのだから。


 明日の終業式以降は夏休み期間になる。


 この世界に夏休みが嫌いな人間はいないだろう。いるとしたら、そいつは人類の滅亡を企む宇宙人、または、人の不幸が大好物な悪魔ぐらいだ。


 はたまた、街談巷説として生徒達の口から口、先輩から後輩と受け継がれた――七不思議の面々だったりするかもしれない。


 なにが言いたいのかと示せば、「学校になくてもいい」この一言に集約してしまう。


 閑話休題…………。



 万尋は、屋上の落下防止フェンスにもたれかかっていた。今、フェンス自体が落下すれば、万尋は真っ逆さまに床に叩きつけられてしまう。そんな1パーセント未満の可能性など、万尋は気にした様子はない。

 逆に、「ちゃんと仕事してろよ、柵!」とでも命令したあとのような、絶対的余裕がうかがえた。


 万尋が見つめる空は、徐々に赤く染まり、地獄の蓋が開いたかのようである。


 夏に怪談や心霊、魑魅魍魎の話が増える要因に、空の色彩は少なからず関係していると思わられる。


 他の季節と違い、ゆっくりと変化していく夏空は、空が持つすべての顔を拝むことができてしまう。そこに人々は恐怖を抱き、耽美たんびを見出したに違いない。あくまでもの話だ。


 万尋の輪郭が夕日と溶け合い曖昧にぼやけ、物寂しい表情が目立つ。タバコの煙でもふかせれば名画になりそうだ。


 未成年の喫煙ゼッタイダメ!


 と、錆びつく音色を鳴らして屋上の扉が開いた。


「おぉーっ! いい景色じゃないか。これこそバトルクライマックス感が湧き立つね~」


「相変わらずよく待たせてくれる。ヒーローは遅れてやってくるってか」


「そっちこそ、馬鹿と煙は高いところが好きってやつかな」


「お前が呼んだんだろうが⁉」


「まあ、そうだけど」


 おちゃらける史栞が、ケラケラと笑う。


 そんな史栞を見てため息を吐く万尋。


 と、史栞が「ああああ――――っ⁉」と絶叫しながら、必死の仕草で万尋を手招きする。


 万尋は怪訝そうな表情を浮かべて、史栞に近づく。


 すると、史栞は回し蹴りで万尋の足を狙った。


 命の危機迫る時、世界がスローモーションになる現象を、体験しなくても史栞の蹴りを遅かった。なので、万尋は普通に回避。


「急にどうしたんだよ? 回転の軸が弱々だから、史栞の方がこけてんぞ」


 万尋の言う通り、――史栞は床に手を付けていた。


「あんね……はぁ、はぁ……。フェンスにもたれると、下から見えるでしょ! バレたらどないすんの」


「ああー、そう言えば屋上って生徒立ち入り禁止だったな。教師も戸締りしている屋上に生徒がいるとは思わないだろう」


「そういうこと。次から気を付けてよね」


「うぃーす」


「チャラいな⁉」



 2人は、屋上の秘密基地こと――塔屋とうやの影に座った。


「ちゃんと持ってきたよね。例のぶつ


「当たり前だろ。ほれ、ココアシガレット」


 ココアシガレッドは、タバコの形をした駄菓子である。


「ありがと。――ふぅ~、授業のあとの一服はたまりませんなー。じゃないよ⁉」


 万尋からココアシガレッドを受け取り、口に加えて大人のマネをする史栞。だが、示唆するぶつとまったく違うことに、ココアシガレッドを嚙み砕いた。


「おたくも、授業上がりっすか? 俺も失礼しますね」


「まだ続けるか⁉ 仕事上がりで、たまたま喫煙所で、横になった人にかけるセリフを!」


「お見事、正解だ」


 わざとらしく喫驚きっきょうする万尋。


 史栞はジト目を作る。


「冗談だ。ほら、テスト勝負の話をした駄菓子屋あったろ? その話を妹にしたら、案の定パシリにジョブチェンジしたわけだ。ココアシガレッドはその時のやつ」


「よかったね。妹の尻に敷かれるなんて、兄として光栄でしょ」


「史栞は、兄という生き物の認識を間違っているぞ」


「でもさぁー。アニメとか漫画で、主人公が実妹じゃない子に、『おにいちゃんと呼んで』みたいなことを言うじゃん。だから、そうなのかと」


「現実とフィクションの違いをわきまえてほしい。もし、自分の妹におにいちゃんって言われたら、全身に鳥肌が立つ」


「そうなの? 私兄弟姉妹きょうだいしまいいなから、おねえちゃんって妹に言われてみたいけどね」


「姉妹がいないから言えることだぞ」


 くだらない話をしながらも、万尋まひろはリュックから8枚の紙を取り出した。テストの解答用紙である。


 史栞しおりもクリアファイルを手に持つ。中には同じく解答用紙。


 2人はしばし、目線を合わせて沈黙した。



「やりますか~」


「ですな」


「罰ゲーム覚えているよね?」


「『負けた方は勝った方の言うことを、一つ聞く』だろ。そのために本気でテスト受けたぐらいだ」


「やだ~~! 万尋は私に何させる気なの」


「学校で、100人に『納豆の混ぜる回数』インタビューをさせる」


「……………………」


 顔を真っ青に染める史栞。そして両手を合わせ、天を見上げる。


「人間って命の危機に直面すると、神に祈るんだね。塹壕ざんごうの中に無神論者はいないとは、上手く言ったものだよ」


「神に祈るにしては遅いんじゃないか。結果は手元にあるんだから。それに史栞は神に勝負を左右されていいのかよ」


「…………確かに、ここで神に、私たちの勝負を邪魔させちゃダメだよね。私のテストの点数は、私のだから」


「はぁー、良かった。『神なんざ』って口が滑ったから、今日中に天罰が下るかと思ったけど。ほんとに良かったー、俺一人だけってことはなさそうだ」


「最低だぁ……。神様がひとつ願いをかなえてくれるなら、私は万尋との決闘場を用意してもらうことにするよ」


「それならコロッセオぐらい盛大な建築物にしてほしいなー」


 2人はお互いに片目を瞑り、開かれたまなこを交わす。


 女の子座りの史栞がにこやかに、言う。

「そんじゃあ、やりますかね~」


 万尋はあぐらを組みなおして、言った。

「勝負は、全科目の合計点数だ。ほらかかってこいよ、ヒーロー。圧倒的点数差で涙目にしてやるからさぁ!」






「まっ……負けた? この俺が、敗北しただと⁉」


「はっはっはっは♪ この私に知識で勝てると思ったのが、万尋の敗因だな。――けど、中々の点数だね。私が全教科九十点以上はまあー、当然として」


「そこ、当然か?」


「万尋も生物と数学Ⅰ以外は、80後半とか90前半ばかり」


 史栞の胡乱な目線に、万尋はなげやりと言った。


「生物と数学Ⅰを受けたのは、勝負するって決める前だったろ? 俺はテストを真面目に受けるたまじゃないんだよ、普段は」


「こんだけ点数取れるのに勿体ない」


「こんだけ点数取るのに、どんだけ勉強しんといけないか」


 万尋の言葉に、「たし――」と史栞は言いかけるが、止めた。


 そして、立ち上がる史栞。


「ルーザーくんには、私の言うこと一つ聞いてもらうからね。覚悟の準備はいいかね?」


「大丈夫だ。清水の舞台から飛び降りて、五点着地法ごてんちゃくちほうで受け身を取れるぐらいに」


「なるほど、死地に送られても帰還する自身があるんだね」


 うんうんっと頷く史栞は、正座に座り直した万尋を指さす。


「貴様の罰ゲームは、『夏休み期間、私を万尋の部屋にいつでも入れることだ』」


「いつでもって…………」


「もちろん、迷惑にならない時間にくるさ」


 万尋は史栞の罰ゲーム内容の意思を問うかのように、口を開く。


「なぁー、なんでそんな内容なわけよ……他にあるだろ」


 万尋が投げたボールをキャッチした史栞は、不思議そんな丸瞳で。


「夏休みでも知識をひけらかしに行くからに決まってるでしょ?」


 万尋は少し寂しい顔を屋上の床に落とした。


「……さすが、衒学者げんがくしゃ様だな」


「当たり前じゃん!」


 両手を腰に置き、誇らしげなポーズをする史栞。


 そんな彼女の頭に万尋が手を乗せ、「まあ、よく頑張ったな」と本心のひとつだけを伝えた。

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