7月19日火曜日 知育菓子の初見成功率0パーセント

 教室の中はまだ昼を迎えていないというのに、ガランとしていた。賑やかな足音もペンを走らせる音も、この場所には存在しない。


 冷房が切られているため、全開の窓から吹く風だけが、埃を動かす。


 ミンミン、ミーン、ミーン、ミンミン。


 期末テスト四日目を終え、明日を迎えてテストは無くなる。皆が振るったシャーペンソードが等々問題の喉元に突き付けられた。


 だから、生徒がいないのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。


 唯一教室にいる万尋まひろは、スマホの画面をスワイプする。開かれた電話帳の中に、『月見那月つきみなつ』の連絡先が追加されていた。これは昨日の7月18日の出来事があってである。月見はまた万尋の人生相談がしたいらしく連絡先を交換した。だが、万尋の方はあまり気乗りしないようだ。


 万尋は、その下に登録された人物に電話しようか迷っていると、教室の扉が開いた。


「やあやあ、お待たせ!」


「おせーよ! 電話するところだったぞ」


「それはやめてくれよ~。学校内でスマホの使用は禁止だぜ、万尋さんよ」


「校則の拘束力は、クソだがな。教師の退室中の教室を見れば、ひと目でわかる」


「私はスマホ使用してないから、あそこに先生を突入させて、全員のスマホを一網打尽にしてやりたい」


「最低だ……あとで友達無くすぞ」


「安心なされ、私に友達は万尋以外いませんので」


 ニカッと口角を上げる花前史栞はなまえしおりは、堂々とした立ち姿であった。しかし、クラス内で友達が皆無であるのは事実である。


 呆れた表情を浮かべた万尋は、手に持っていた鍵を回しながら、言う。


「んで、わざわざ空き教室の鍵を俺に取りに行かせて、なにを始める気だ。もしかして、普通に『勉強会や~ろ、きゅぴん』なんて、ふざけたこと抜かさないだろうな」


「勉強は一人でしてよ。ラーニング・ピラミッドのトップ、『他の人に教える』なんて、私は信用してないからねー」


「まあ、ラーニング・ピラミッドは科学的に根拠薄いらしいからな、特に定着率とか。読書が十パーセントは嘘としか思えない」


「確かにね。てか、読書だけで勉強終わる奴いないでしょ! そのあと絶対アウトプットするし、読みっぱなしの人間なんていないからね」


 やれやれと両手を天井に向ける史栞。


「じゃあ、なんで空き教室に集まる必要ある?」


「それはね、――これです!」


 史栞しおりは、廊下に置いていた電気ケトルとお菓子の箱を持ち上げる。


「本当は、理科室とかでやりたかったけど、さすがに学生だけ使わせてはくれないみたいだね」


「それ、俺が職員室で聞いたんだけどな。史栞、お前教師ともまともに話せんだろ……。授業の時、当てられたらなんて言ってんだよ」


「沈黙は金、雄弁は銀って知ってる?」


「もうわかったから、いい」


 げんなり肩を落とした万尋は、史栞に近づくお菓子の箱を一つ受け取った。


知育菓子ちいくがし?」


「今日は知育菓子の日だからね! まあ、語呂合わせで無理やり生み出された感は否めないけど」


七一九しちいく。うん、無理やりだな」


「でもいいんだよ、売れればいいんだよ。こうやって私は3つも買ってんだからな!」


「販売店の人ですか?」


 万尋の疑問に答えることなく史栞は、壁のプラグにケトルのコンセントを刺す。ケトル本体は近くの机に乗せた。


 知育菓子にお湯が必要なのか疑問に思った麻尋は、質問を投げかける。


「水でもいいんじゃないのか? わざわざお湯って」


「中学理科でやらなかった? 温度が高い方が物質は溶けるって。なら、熱湯の方がスピーディーに溶けるでしょ」


「説明見る感じ、真水で大丈夫って書いてるし、問題ないだろうに」


 箱の側面に書かれた説明を読む万尋。


「知育菓子で知力上げる前に、まだテスト期間なんですけど……」


「ハハハっ、またまた冗談を。3日の休日でテスト勉強ぐらい終わるでしょう。あれ? もしかして万尋さんはまだでしたかな?」


「ウサギとカメの話知らんのか」


「……あれか! ウサギが一瞬でゴールして、月まで行っちゃって餅つき始めた話だね」


「おっと、俺の知る昔話と違うようだ」


 ケトルに天然水を注いで、準備ができたようだ。


 温めを開始すると史栞は、知育菓子の一つを万尋に渡した。


「こっちの、『和菓子屋さん』と『お寿司屋さん』は私が作るから。万尋は『ニラニラ二~ニラ』でも混ぜてて」


「なんじゃこりゃあ⁉ こんなの子どもが喜ぶか⁉」


「ニラニラ二~ニラ知らないの?」


「ねちょねちょね~ちょりんなら見聞に知っていたが、ニラニラ二~ニラは初めて見た」


 ニラニラ二~ニラは、土の粉Aとニラの粉Bを水で混ぜると、土色の粉がニラに変わるお菓子である。


 と、お湯が沸けたようで、ケトルから大量の煙が立ち込めるのだった。



 慣れた手つきで知育菓子を作る史栞の横で、万尋はニラニラ二~ニラをまぜまぜしている。


 史栞が手で握っていたお菓子を紙皿に乗せる。完成したのは、『お寿司屋さん』のマグロだ。見た目は小ぶりのお寿司で、本物そっくりだった。


 知育菓子初心者の万尋の目からでも、完成度が高いことはうかがえた。


「なぁ、なんでそんなに上手く作れるんだ?」


「私こう見えて、知育菓子初めて四年になるからね」


「なにそれ……。バスケ初めて三年みたいなノリは」


「結構面白いよ。ちゃんと考えて作らないと失敗するところとか、料理と一緒だし。まあ、初心者向けではないね、子どもとか初めて作ったら百パー失敗すると思うよ。そんな人には、ニラニラ二~ニラがオススメかな」


「ほんとに、ニラニラ二~ニラはどこに需要があるんだ?」


 そんな会話の間にも、史栞がトレイに入っていた赤い粒をすくい上げ、海苔が巻かれたシャリの上に注ぐ。イクラの完成だ。


 お寿司屋さんセットを作りながら、和菓子屋さんの方も準備が並列処理されていた。練られたキャンディーを丸め、串を刺して三色団子ができる。


 万尋の方は、緑のニラの束が誕生し始めていた。


「マジで、ニラ出てきたんだけど⁉ なんか、凄くないか!」


「面白いでしょ♪ それ、トッピングでアブラムシラムネ入れると、二つの食感味わえるよ」


「アブラムシはあかんやろ……俺のニラが病気になるじゃん」



 紙皿には豪華な面々が集まっていた。

 

 お寿司は、マグロ、いくら、玉子。


 和菓子は、三色団子、たい焼き、いちご大福、桜餅。


 ニラのアブラムシ添え。


「どうぞ、召し上がれ」


「ああ――このマグロ、ブドウ味だな。食感もグミに近い」


「さすがにマグロそのままの味はしないよ。というか、ぬるいマグロは美味しくないだろうね」


 史栞は三色団子を手に持って、続ける。


「お菓子に生っぽい味って、エンドいから。お菓子って別にそのままの形で歩いてるわけじゃないからね、完全に料理してできる嗜好品」


「それはそうだな。チョコレートのカブト虫とか、グミの蜂、八つ橋の蝶なんか実際したら、子ども達は喜んで、絶滅に追い込む」


「だね~。水あめの川に、ケーキの木、飴玉の雨、ホイップクリームの山なんかいいね」


「地球全部がお菓子になったら、10日でなくなりそうだ」


「じゃあー、人間はシュークリーム! 中身はイチゴジャム」


「それは、グロいてぇ……」

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