7月18日月曜日 人にナポリタンを奢る方法

今日は月曜日だというのに、休日だ。海の日らしいが、海に旅行するとしたら少し早い気がする。


 それは学生諸君がまだ夏休みに突入していないからだろう。暑さも日光も水着も青春も準備はバッチリできているはずなのに。日にちだけが許してくれない。


 そんな休日を、机に向かって勉強だけに費やした万尋まひろ。彼の顔には色濃く疲れが染み込んでいた。歴史と現代文の提出物をなんとか終わらせたようで、今開かれている教科書は他の教科であった。


 家には、万尋が1人。


 母と父、妹は万尋を置いて呑気に遊びに行ってしまった。期末テストがあるので仕方がないと割り切るしかない。


 しかし、期末テスト云々以外にも万尋は、家族と一緒に出掛けられない用事が控えていた。


 そう、月見那月つきみなつとの約束である。


 スマホのホーム画面は、18時5分を表示している。そろそろ月見が来てもおかしくない時間のため、万尋は勉強を一段落終わらせて待機することにした。


 すぐに出られるようリビングに向かったタイミングで、インターホンが鳴る。リビングのモニターで何者かと万尋が確認してみれば、予想通りの人物が立っている。


 玄関のドアを開けた。


「すみません⁉ 遅れました」


 息を切らしながら肩で呼吸をする月見つきみが、開口一番に謝罪を言う。


「別に遅れてないでしょ? 午後6時以降って月見さんは、昨日言ってましたよね」


「そうでしたか? まあ、歩くより走った方が早く着きましたから、問題ないですね」


「はぁ……」


 月見の恰好は、上から下まで真っ黒のスーツ姿。中から見える白いブラウスと、グレー無地のネクタイがまた、コントラストを作り出す。


 暑い中でも長袖長ズボンは、目に入れているこちらも熱気が伝わってくると思う万尋。おまけに、月見は走ってきたことにより、おでこに前髪がくっつき、汗が頬を通る。


 その様子は、万尋に申し訳ない気持ちを持たせるには十分であった。


 すぐさまドアに鍵をかけた万尋は、ニコリっと。


「それでは行きましょうか」


 冷房のかかった室内に彼女を届けるのを急ぐのだった。



 万尋まひろの家から徒歩10分のところにある喫茶店『ブラウアーフォーゲル』に着いた二人。


 店内はどこかアンティークなイメージがありつつ、その中でも昭和の香りが濃く主張している。固めのプリンが出てきそうだ。


 椅子にかけた万尋と月見は、メニューを手に取る。


 喫茶店ということで、珈琲や紅茶などのドリンクは勿論のこと、軽食からガッツリとした夕餉ゆうげのラインナップまで揃っていた。


 加えて、レトロプリンやパンケーキもある。


 夕食をまだ食べていない万尋は小腹を空かせていたが、ここでオムライスでも注文してしまうと、月見が払うと言い出しかねない。なので、無難なブラック珈琲を注文することに決めた。


 万尋は月見の方に目線を送る。


 すると、メニューに向けて唸る月見の姿があった。顔はメニュー表で隠れているので万尋にはわからないが、かなり悩んでいることは伝わってくるだろう。


 決めるのに2分ぐらいかかりそうな月見から、店内を見渡す万尋。


 テーブルの数は8個、一つに4人は掛けられるようになって、カウンター席が3つを合わせるとそれなりに人を収容できてしまう。


 注文のバリエーションといい、席の数といい、見た目にそぐわず繫盛しているようだ。


 その証拠に、テーブルの一つ以外は埋まっている。しかし、不思議と喧々諤々という感じではなのが、いかにも喫茶店らしかった。


 そして、ようやく注文が決まったようで、月見が万尋に声をかける。


「どうですか? 五宮いつみやくんは決まりましたか」


「はい」


「遠慮はしなくてもいいですからね。こう見えても社会人です。育ち盛りの学生さんに1食分ご馳走できるほどには、お金はありますから」


 自信満々に自分の胸に手を当てる月見。


「まあ、ありがたいです。店員さん呼びますよ」


 万尋は手を上げたのを見て、一人の店員が二人の席にやってきた。


「自分は、デミグラスソースオムライスとオレンジジュースをお願いします」


「俺は、ブルーマウンテンで」


 店員が注文をメモっていると、月見が驚きの声を上げる。


「五宮くんコーヒーだけですか⁉ もしかして、もう夕食は食べた後だったり」


「…………そうですね」


「はい、嘘! なんですか⁉ 今の間は、今の間は」


 ビシッと指を差してくる月見の反応を得て、万尋はため息をわざとらしくついた。


「忘れないでほしいですけど、俺はそこまで大したことをしていない。ここに来たのも月見さんがどうしてもというからです。図々しくご馳走になりに来たわけではないので、お構いなく」


「すみません。確かに考えてみると、親切もし過ぎると迷惑ですね……」


 しょぼんと口をωこんなかんじになった月見は、頭を下げて指をいじる。


「わかったなら、いいですけど。店員さんそれでおねがい――」


「では、もう一つお願いしてもよろしいですかね!」


 突っ伏していた頭を勢い良く上げた月見つきみに、店員が「ええー」と苦笑いを漏らす。


「なんですか」


「人生相談をしてもらいたいです」


「嫌です! 年下に答えられる大人の悩みはありません」


「いや、結構をあるもんです。知ってる? 大人ってそこまで凄くないからね。ただ年を重ねて自動的に大人なっちゃっただけですよ。二次関数も、徳川家の名前も、羅生門の話も、英語の単語も、細胞分裂も、心のノートも、全て忘れてしまう。自分が社会の歯車と思ったら、さらに細かい部品のごく一部で、考えることは休日になにするかで、いざ休日がやってきても、自分は何がしたいのか分からず、ちょっとビジネス書読んで、実践してみようかと思うけど、朝になったら内容忘れてて。大人だから同じ大人に相談できないし、皆どう思ってるかもわからないし」


「店員さん、ナポリタン追加でお願いします」


 万尋がそれだけ言うと店員はホッとした顔で、厨房に戻っていった。



 先に届いた珈琲を覗きながら、万尋は話を振る。


「ナポリタン分の相談は乗ります。それで、高一の俺に何を相談したいわけですか?」


 長広舌ちょうこうぜつで話していた月見は、オレンジジュースをすすり、ストローをかき混ぜる。水面の氷が沈むと浮くを交互に繰り返す。


五宮いつみやくんは私何歳に見えます? お世辞なしでいいですよ」


「見た目なら、20歳はたち前後辺りかと」


「23歳……。大学卒業して、今の会社に入社して一年が経ったんです。体感だと三年は働いたと思うほど繁劇はんげきでした」


「社会人は大変そうですね」


「大変というか……無です。気持ちは無でも体にも心にも疲労はしっかりと蓄積されてますけどね。考えるって、思っているより疲れてしまうんです。だから、考えずに一日を終わらさないと自分が保てなくなる気がして」


「俺、あと数年したら、そんな地獄に飛び込まないといけないわけですか」


 珈琲を飲む万尋は自分の将来ではなく、史栞しおりの将来が心配になった。重度の人見知りがまともに社会でやっていけるのかと。


 ちゅるちゅるとオレンジジュースをストローですする月見。


「五宮くんと始めて会った時、飲み会に無理やり連行されて、『まずはみんな生ビールだ』って。ピラミッド作ってる時代じゃないのに、自動的に生ビールが目の前に届くシステムでしたよ。私、お酒は飲めないのに」


「昔、親父がビール飲んでる時、泡舐めてみたけど、苦かったわ」


「そうなんですよ! オレンジジュースとか、リンゴジュースでいいじゃないですか!」


「あれ、このオレンジジュース、カシオレかな?」


 テーブルに体を預け、ストローをクルクル回す月見に、万尋はお酒でも飲んでいるのかと疑ってしまう体勢だ。


 月見は話を続けた。


「あの夜、五宮くんはなんで自分なんかに親切できたんですか……。自分には人を助けるってことがよくわからないです。電車の線路に人が落ちても、おばあちゃんが自転車からこけても、献血も募金も、目の前で財布を落としても、普段の自分なら絶対拾おうとも思いません」


「大分ひねくれてますね。俺は別に、自分がするべきことをしただけです。少し強く言いますけど、月見さんみたいに他の誰かが解決してくれるという考えは、自分の問題も他人に解決してもらうのが当たり前になるんですよ」


 万尋は、珈琲を口に付けてコップをシーサーに戻す。


「心当たりないっすか。実家に住みで掃除洗濯料理、誰かがしてくれると無意識的に思うこと。人には、あれ知ろ、これ知ろって、上からものを言う人に限って、家では洗面所の詰まりも掃除しないでしょう」


「自分です、それ」


 申し訳なさそうな顔で、月見が小さく手を上げる。


「まあ、価値観はそれぞれですから、その生き方も咎めないですけど。自分だけは見てますから」


「そうですね……」


「まずは、コンビニで1円募金するところからはじめても、いいかもしれません」


「五宮くんって、結構しっかりしてますね。本当に高校生ですか?」


「俺、そんな老けて見えます?」


「滅相もないです!」


 両手を前に出してブンブン振る月見。


 月見の手相を見つつ、万尋は言葉を編む。


「相談はこれぐらいですかね。どうも、相談だったかわからなかったですけど」


「ちょっと⁉ あと一つよろしいでしょうか」


「思ってましたけど、俺に敬語使わなくていいですよ。年下だし」


「これが素ですので、このままで」


 月見は一つ咳払いをして、口を開いた。


「自分、仕事辞めてもいいですか?」


「はったおしますよ……。今までの話聞いてました? 寝てたんですか?」


「えーっ⁉」


「俺、バイトもしたことないんですよ。仕事のことなんて知りません。俺に解決してもらうんじゃなくて、月見さんが自分で決めないといけないんです」


「そ、そうですよね! 自分で考えます」


 両手を握りしめた月見の顔は、どこか晴れやかな表情を浮かべていた。



「あの、月見さん。俺からも一つ質問していいですか?」


「もちろん! どうぞ」


「今、女子友達とテストの点数勝負しているんですけど。『負けた方は勝った方の言うことを、一つ聞く』って、月見さん的に、どこまでオッケーと思います?」

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