7月16日土曜日 夏の夜は、酔っ払いも幽霊に見える
夜の公園はどこか恐怖を煽るものだ。子供たちが元気に遊ぶ夕方と比較してしまうのが原因だろう。
世の中は二極で成り立つ。
それをハッキリと表わすのは、光と闇である。
人類が火を手に入れたのは、闇という暗夜を克服しようとした結果。人間は弱いからこそ生き残る術を身につける。
そうして闇を追いやり、人口の光で町を照らした。
だが、その光害により星の輝きは人々の瞳から消えた。自然の光は見えなくなってしまった。
公園の外灯に蛾などの虫が群がる。月光など目に入らず。
ベンチに座ると同時に、ポケットに入れている財布から小銭が擦れ合う音が微かに聞こえる。
棒状のソーダアイスを袋から取り出し、手に持つ。購入してから数分も経っていないのに溶け始めていたアイスを舐める。
暑いと冷たいも二極である。
アイスを食べながら万尋は、公園を見渡す。
そこまで土地が広くない。小さな滑り台とブランコが二つ、鉄棒。
地面に刺さった看板には、ボールの使用禁止、ペッドの立ち入り禁止、ポイ捨て禁止。禁止が多い公園であった。
最近は、遊具すら存在しない裸みたいな公園が増えている。子どもの安全のためと言われているが、結局トラブルが発生した時、誰も責任が持てないのだと、万尋は思う。
近くにある公園が退屈の形をしていないことに、少し微笑む万尋。
と、ブランコに闇が座っているのが目撃してしまった。錆びた金属が悲鳴を上げるような音をたてて、少しだけ揺れている。
万尋は肩を跳ねさせて、ブランコの方向を凝視した。
そんなことをしている間に、アイスが溶け、棒から蕩けてしまう。地面にペチャっと閑散を叩いた。
ブランコに揺れる闇は、万尋に反応することはなかった。
もしかしたら幽霊の可能性も大いにある。夜中、ブランコに座る人などそう多くないことは誰でも知っている常識の一つだ。
万尋もそれはわかっていたが、気になってしまい、――ブランコに近づく。
よくよく見ると幽霊でも闇の形をした妖怪でもなかった。世界に七十億人以上いるらしい人間であったのだ。珍しくもない。
黒く見えたのは全身をスーツで纏っていたからである。
顔は地面をうかがっているため、万尋には寝ているのか、起きているのか分からなかった。もしこのままにしておいて、熱中症にでもなられては、夢見が悪い。
万尋は、近所に迷惑をかけない程度の声で、スーツの人に話しかけた。
「大丈夫ですか?」
すると、ゆっくり、スーツは振り返り――。
「おろろろろろろろ――――ぉぉっ⁉」
胃中の物を戻した。
吐しゃ物が土に叩きつけられ、アイスを落とした時の比にならない音が公園に響く。
「ぎゃあっ⁉」
万尋は小さく悲鳴を上げ素早く後ずさりして、汚物から距離を取る。
スーツは胃の中にあった物をすべて吐き出して、気持ちよくなった顔を万尋に向けた。が、すぐに真っ青な表情を浮かべた。
「すみません、すみません⁉ 大丈夫ですか? かかってないですか?」
ブランコから立ち上がり、何回もお辞儀を繰り返す。そのたび、スーツが乱れ、中に着ているワイシャツを押しのける双丘も連動した。
「いや……大丈夫ですけど。俺より、あなたの方が大丈夫なんですか?」
万尋は心配の色を帯びた目を彼女に送る。
「自分は大丈夫です。ちょっとお酒を飲み過ぎただけなので……」
「それならいいんですけど。えーと、水入ります?」
袋からペットボトルを取り出した万尋は、彼女の前に差し出した。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」
彼女は水を受け取り、「ぷはっ!」と見ている方もほころぶ飲みっぷりをかます。
「それでは、俺はこれで。飲み過ぎは気を付けてくださいね」
「待ってください⁉ なにか、なにかお礼をさせてくれませんか」
「結構です。110円の水ですよ、それ」
「いえいえ、値段ではなく、気持ち的な問題です。普通、こんな公園で酔いつぶれている人に親切なんて誰もができることじゃあ、ありませんから」
「買いかぶり過ぎだ、ですよ。誰がここにいても、みんなあなたを助けたと思いますけど」
「それはないです! 私なら助けませんから!」
強く言い切った彼女を見て、万尋は「ええー……」と言葉を漏らした。
おそらくまだお酒の酔いが回っていると予想した万尋は、すぐにこの場から離れるために踵を返す。
そして、走った。
逃げることは、生存率を上げるには大切なことだ。不審者に出会ってしまったなら、逃げるべきである。武の究極体は、戦わないことにあるとも言うのらしいし。
「ちょっと⁉ 名前と住所、年齢だけでも教えてください!」
「だけでも、全部じゃあねえかおい⁉」
背後から聞こえてきた彼女の声にツッコミながら、万尋は闇へと姿を消していった。
残された彼女は、
「ただお礼がしたかっただけなのに……」
手に持ったペットボトルを見つめる彼女の瞳は、水のせいか揺れている。
このまま公園で寝てしまいたい気持ちな彼女。どうせ明日は日曜日だからと。
だが、一日8時間+残業3時間、週6日の労働に勤しむ彼女には、日曜日とは唯一の休みであった。せっかくの休日をベッドではなく、土の上で寝たくはない。
そんな気持ちで、立ち上がる。
自分が吐き出した吐しゃ物を見て、彼女はため息をついた。飲み会なんて一生行くものかと心で決める。
と、地面にゲロ以外の物が落ちていることに気付いた。
彼女はそれを拾い上げる。
「さ、財布みたいだけど……誰のだろ?」
彼女は、「確認のためです」と独白を呟き、中身を開けた。
「免許証か保険証でも入ってれば、届けられるんだけど。まあ、無くても警察に届けますけど」
数枚のカード束を抜いて、確認する。
そして、学生証が出てきた。
「この顔……さっきの男の子? じゃあ、この財布は……」
彼女の休日は、日曜日だけである。
明日がその日曜日であることに間違いないはない。
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