7月13日水曜日 テスト期間は、やや寂しい

 わたあめを思わせる雲が同じ場所にいるようで、少し動いている。太陽が最後の力を果たすかのように、余りある空を焼く。


 焦げ目のついた行雲を茜色あかねいろ竜胆色りんどういろが混ざったような色彩になっていた。


 神話の光景には程遠い空の下で、五宮万尋いつみやまひろは参考書に顔を落としている。正門の前で勉強とは自慢しているように感じられなくもない。だが、夕方の時間に正門をくぐる生徒の数は極端に少なかった。


 明日から始まる期末テストのおかげで、部活動もほとんど行われていないのが、一層に人気ひとけがないことに表わしていた。


 万尋まひろは期末テストのため、最後のあがきを見せていると言っていいだろう。


 一夜漬けに勤しむ奇人変人はよくいるものだ。学生の主題である学問という刀を、鞘から抜く機会がテストぐらいで、一日だけ振った木刀でなにを成し遂げられるというか。


 と、日々の努力や習慣、日進月歩などの言葉を棚に上げて、祀ればそこまでなんだけど。


実際に一夜漬けでそれなり点数を獲得する世渡り上手もいる。その成功体験が、少年少女の未来に反映することは、間違いないことだ。


 ――以外になんとかなる(ピース)!!!


 以外なことに、地球で生物の頂点に君臨している人間様は知っている。


 ――思うほど、悪い結果にはならない。


 そう、自分が想像しえる悪果など、起こらないわけである。逆もしかり、自分が想像するほど、成功もしない。


 だからこそ、人間は努力して不確定要素を、我が物にしようと勉強する。


 ここに、運という意味の価値観があったりする。


 長々と語っているが、結局のところ――「テストで●×問題きてくれ!」そういうことだ。


 壁に埋もれたネームプレートを背にしていた万尋へ、一つの影が近づく。


「おっ、待ってないよ。今来たところ♪」


「当たり前だろうが! こっちが待ってんだ、お前は今到着して、待ち時間ゼロ分だよ。お? 言葉通りなのが、質が悪い⁉」


 ニシシと白磁色の歯を見せる史栞しおり


 参考書を丸めてどつくそうな万尋。


 万尋は凶器に成りそこなった参考書をリュックに入れながら、言う。


「待ち合わせって、十七時だよな? 史栞から一緒に帰ろっと誘って、遅れるか普通」


「普通かどうか知らないけど。まあ、言い訳を聞いてくれよ?」


「おう、事と次第では琵琶湖一周もあると思え」


「グリニッジ標準時と勘違いしてたんだよ。しょうがないよね」


「日本にいるなら、日本標準時が普通だろ! 常識外れ過ぎだわ……」


「まっ、今日が日本標準時制定記念日だから、わざと遅れてきたわけだけど。文句あります?」


「ああよかった。テスト期間で、家庭科部が休みで」


「えっ……家庭室開いてたら、包丁取りにいくつもりだったの……⁉」


「ああよかった。美術部が、テスト期間休みで」


「えっ……美術室開いてたら、ノコギリいや、彫刻刀。はんだごて⁉」


 ムンクの叫びみたいなポーズを決める史栞を見て、万尋は続ける。


「ああよかった。テスト期間で、校長室の立ち入りが禁止で」


「えっ、校長室に入れたら…………? 卒業証書入れる筒?」


「いや、金の延べ棒」


「金の延べ棒⁉」


「前に校長が、金の延べ棒に頬擦りしてるのを見たことがある」


「よーし、そうと分かれば、校長室にゴー‼」


「学生から怪盗にジョブチェンジするな。その行き先は、犯罪者の強制ジョブチェンジだぞ」


「私は、怪盗。職員室から盗むぜ、回答。今日のご飯は、冷凍から揚げすぐに、解凍。いつか行きたいぜ、北海道! いえーぃ!」


 史栞は、両手に逆ピースで華麗に決めた。


 そんなラップもどきのソングなど興味もなかった万尋は、史栞を無視して歩き出していた。


「ちょっと無視すんな!」


「俺、この人と知り合いじゃありません、はい」


「誰に言い訳しいてるんだよ。誰もいないから」


「やっぱりですか。いつかやると思ってたんです」


「私が捕まった後のインタビューに答えるな!」


 万尋の横まで走って追いついた史栞は、頬を膨らましていた。


 そのヘンテコ顔をスマホで撮影する万尋。写真を本人に見せたまま、話を振る。


「うんで、わざわざ待ち合わせしてまで、一緒に帰る必要あるか? いつもなら、一緒に帰る時でも直接教室に来るだろうに」


「一番の理由は、日本標準時制定記念日という文字列を述べるための口実だね。次点で、私にも用事があるんだ、聞くな」


「次点はないと。まあいいけどさぁ」


 二人の影が長く伸び、黒猫がやすやすと踏んでいく。


「そういや、今日って『オカルト記念日』でもあるだって。なんでも、オカルトブームの火打石になった『エクソシスト』が公開されたからとか」


「ほんと、毎日色んな記念日があるもんだ」


「なんか付き合いたてのカップルが、付き合った記念を細かく刻むみたいだね」


「俺は体験したことないけど、友達が気持ち悪い顔で自慢してきたことあったな。恋は盲目って本当なんだと知ったよ」


「私も生まれてこの方、お付き合い経験はないね。というか同性の友達もいないのに、男の子とまともに喋れるわけがない!」


「かなしいなぁ…………」


 と、史栞が両手を合わせる。


「夏と言えば、オカルトと心霊だよ。うちの学校って七不思議あった?」


「一切聞かない。大体、高校に七不思議ってあるもんか? 小学校は聞くけど」


「まず、なんで七不思議なんだろうね。六不思議とか八不思議でもいいじゃん」


「五感が良いからとか。まあ、七草、七福神、探偵七つ道具、七つの大罪、納豆、一週間、天地創造、ラッキーセブン。七には何かしら、意味があるんだろうな」


「期末テストで七択問題が出たら、七番を選ぶことにしよう」


「七択問題って…………」


「おまじないとして、手のひらに七って書くのもいいかも」


「カンニングになるぞ」


「ななんとっ⁉」


 驚きで史栞が足を止めたので、万尋も停止した。



 タンッ……。



「今、一歩多くなかった? どう、万尋」


「気のせいだろ」


 二人が阿吽の呼吸で振り返る。


 誰もいない。


 前を向き直した万尋が、リュックの肩紐を強く握る。史栞も同じく。


「万尋は、幽霊って信じる感じ……?」


「そんな非科学的なこと」


「そ、そうだよね。靴紐、ほどけてるよ」


「うん? マジで――」


「さよなら万尋! サクリファイスを頼んだよ~!」


 万尋を置いて走り出した史栞。


「あいつ……。てか、まだ明るいうちから、幽霊はでんだろ」


 史栞の後ろ姿に半眼を向ける万尋。


 その背中をポンポンと叩かれた。


「ひゃるどわあぁっ⁉」


「うちだ、にいやぁ」


「脅かすなよ、我がシスター」


 素っ頓狂な悲鳴を上げた万尋だったが、背後にいた人物が妹だと知ると、演技がかった言葉を繕った。だが、心臓はまだ強く脈打っていた。


 妹は兄から、史栞が逃げた道を一瞥する。


「にいやぁー、さっきの人だれ?」


「お前は知らんか。友達の花前史栞だ」


「へー」


「興味なさそうだな……。そうだ! 夏休みでも家に誘ってやるか。でも、あいつ子どもにも人見知り発揮するしなー」


「呼べば、可愛いおねえさんだし」


「可愛いは関係ないけど。妹もそういうなら、考えておこう」


「嬉しそうだね、にいやぁ」


「そんなことないから」

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