7月11日月曜日 図書室でテスト勉強は二人で、できない

 7月も中間に差し掛かる時期。


 学生諸君なら分かるかもしれないが、呑気にライトノベルを読み、ゲームで人をキルしている場合ではないことを。


 一学期最後のテスト――期末テストの時期だ!


 それは、五宮万尋いつみやまひろも同じである。


 図書室には執筆と紙をめくる音が残響するばかり。古本の香り、クーラーから放出されているハウスダストの独特な匂いが漂う。


 室内に存在する生徒は、三人。


 実際の話、――図書室でテスト勉強シチュエーションは、現代あまり聞かないような気もしなくはない。なんせ、自宅か教室で勉強した方が捗るからだ。


 図書室に陳列する本の中に、いくつ期末テストの内容を含む書物があるだろうか。答えは自分の通う高校で確かめてほしい。それか、近くの図書館で。


 ともかく、学生の本分が学問と知らしめるイベントが近づいているわけだ。


 ひと段落終わった万尋まひろは、両手を上に伸ばす。バキバキと骨が数本折れたような音が鳴り響く。


 そして横の席に座る史栞を見た。


 カクカクと一定のリズムで船を漕いでいる。机に頭突きのタイミングを図っている、ようにも見えなくはない。頬杖してなければ、おでこにたんこぶができているだろう。


 史栞しおりの前に開かれたままの本は教科書ではなく、小説だ。


 こいつはテスト勉強しなくていいのかと、万尋に一抹の不安が芽生える。知識とテストの点数はイコールではないからだ。


 ソロモン諸島の独立記念日を暗記していたとしても、テストにはでない。三年間で十回以上テストの機会があるが……ソロモン諸島の独立記念日が7月7日という問題は出題されまい。


 そう、クイズ番組ではない。定期テストには範囲が決まっている。


 出入口に掛けられた時計の時刻は17時と半分。


 帰りの支度を始めながら万尋は、史栞の肩を揺らした。


 ボブカットの黒髪、水色のサマーカーディガンが同じくゆらゆらと、あの世へ誘う幽霊の手招きみたいに揺れる。


「えうれか……」


「なに発見したんだよ」


 うとうとしていた頭が止まったと思えば、変なことをのたまう。


 それに万尋が呆れた視線を送った。


 と、ドゴオオォォォォ――ッ!


「いくさばか⁉」


 結局、寝ぼけたままの史栞が机に頭突きをかました。


「戦場だったら、とっくに死んでんぞ。お前」


「マジで! あれ、なんか……ゆっくりと痛みが⁉ いったああああぁぁぁぁ――ッ!」


「よし、完全に覚醒したな」


「なんつーことしてくれたんだ!」


 赤くなったおでこを擦りながら史栞が叫んだ。


「俺はなんもしてないわ! 自分でぶつけたんだろうが、イノシシ野郎」


「誰がイノシシ野郎だ! こっちはたほいやで獲物待つ狩人の方がお似合いでしょ!」


 たほいやとは、イノシシなど追うための小屋。他にも国語辞典を用いたゲームのことでもある。


 ちなみに、たほいやゲームは一人ではできないので、友達のいない人には一切無縁の遊びだ。


「おい! そこの水色馬鹿黙れ、うるさい!」


「えっ、すみません…………」


 カウンターにいた図書委員が怒鳴り、史栞は子猫のように震えて謝罪した。


 図書委員の彼女は、図書室の番人者で、学校内で随一の口の悪さが定評の生徒だ。声もでかく、どっちがうるさいのかわからないと、怒られた人達は揃って思う。


 どうも噂では、彼女は不良らしい。だが不良が図書委員を真面目にするもんだろうか。


 ここ最近は、怒鳴られるのが怖くて図書室へ足を運ぶ生徒は減少し、万尋たちは伸び伸びとテスト勉強できるわけである。だが、二人も声を上げれば例外なく怒られる。


 番犬も味方につければ、守護神。神も怒らせれば、祟り神。


 机に頭をぶつけた時の痛みか、怒られたことが原因なのか、史栞は涙目になっている。


 そこで鼻もぶつけていたらしい史栞から、赤い液体が垂れた。


「史栞、鼻血出てる。ポケットテッシュ持ってるか?」


「テッシュなんか持ち運ばないよ」


 顔に右腕を伸ばす史栞。


「おま、アホか!」


 史栞がカーディガンで鼻血を拭こうとするのを危機一髪で止めた万尋。


 だが、代わりに万尋のワイシャツが赤く染まっていく。


「ごめっ――」


「おい! うるせぇつってんのよ、クソ馬鹿目つき悪いクソガキ一年‼」


「ははっ……すみません」


 図書委員は鼻血のことなど気にせず、とっさに叫んだ万尋に激怒を飛ばした。


 しかし、「うん?」と訝しげな声を漏らした図書委員。


 椅子から立ち上がって、万尋と史栞の元にずかずかと音を鳴らしながら近づいてくる。


「こ、殺される……」


 史栞の小さな悲鳴は図書委員に聞こえなかったようだ。聞こえていたら半殺し待ったなしだったかもしれない。


 図書委員の彼女は、机の上に開きっぱなしの本を取ると、手の甲に青い筋が浮かぎ上がる。


「てめぇの鮮血が本に付いたらどう落とし前つけてくれんね、ええぇ! 魔術書じゃねんだよ、悪魔召喚したきゃあ自分の蔵書でしやがれ! 私に悪魔けしかけて殺そうが構わんが、お前みたいなちんちくりんには、下等悪魔の分際しか来てくれねーよ馬鹿! さっさと保健室で婆にでも手当してもらえ」


「はひぃ…………」


 早口でまくし立てられた史栞は、塩をかけたられたナメクジみたいに縮んでしまう。


 それを見かねた万尋が、図書委員の前に出る。


「まあまあ、先輩落ち着いてください。血はこの通り、俺の服に全部ぶちまけられましたから」


「ああん。てめえの先輩になったつもりはねえよ。彼女の血を彼氏が受け止めるは当たり前だろがボケ! 舐めてんのか? てめえの美味しい飯しか嚙んだことない歯に、恐怖と戦慄のかなで方でも教えてやろうか!」


「……遠慮しておきます」


 図書委員に下から睨まれて、万尋は苦笑いを漏らすしかできなかった。


 その間に荷物をまとめた史栞が、「それでは私はこれで~」と早足で出口に向かう。万尋を見捨てて逃げるつもりである。


「おい待てやぁ、水色!」


「な、ば、な、ナンデスカ?」


「これでアイスクリームでも食えば、血も、でこの腫れも収まるやろ!」


 彼女が指で弾いた百円玉が回転しながら、史栞の手元に飛んだ。


「えーと、どうもです」


「出世払いな。おら、お前もさっさと行ったれや、ウスノロ野郎がぁ!」


「は、はい……」


 万尋も慌てた様子で史栞の元に向かった。


 そして、二人は図書室から追い出されるように、退室するのだった。




「はぁ…………」


 二人の後ろ姿を見届けた図書委員は、大きなため息を吐く。


 頭をぐちゃぐちゃと掻きながら、カウンターの席まで戻り、先ほどまでやっていた作業に戻る。

「明日まで新人漫画賞、間に合うか……もう、二徹で頭痛いわ」


 目の下にできたクマは寝不足を表す。しかしそれだけじゃない、目つきの悪い彼女にクマができると、十倍増しでおっかなくなる。万尋と史栞の様子からわかっていただけるだろう。


 体を投げ出すように椅子へと座る彼女。


「そういえばあの二人、前もここで見かけたようなぁー。前見たときは他人行儀っていうか、ぎこちなかった気がしたけど……まあいいか。ペン、ペン――」


 カウンターの下で起動している液晶タブレットがブルーライトを放っている。それに照らされて顔辺りが輝く図書委員は、漫画を描くためのペンを探す。


 実に、――彼女が図書委員を受け持っているのは、隠れて漫画を描くためである。そして、集中するために他の生徒を追い払っているわけだった。当たり屋のようなたちの悪さなのは間違いない。


「あれ? あれあれ? どこおいた。ついさっきまで使ってたんだけどな」


「先輩、ペンを落ちてますよ」


「おっ! サンキュー」


「液タブ用のペンですよね。僕も絵描くんです」


「そうかそうか。すまないけど、今、忙しいんだ後輩?」


 バッと顔を上げた図書委員。


 カウンターに乗り出して液晶タブレットの画面を覗く後輩と、ぶつかりそうになり、体を引きながら言う。


「おま、てめぇいつから!」


「今です。ふふっ、あの暴力暴言暴君の三段活用の先輩が、お絵かきですか」


「あんま舐めてるとしめんぞ! このこと暴露でもして見ろ、一緒正門くぐれない思いにしてやるからな!」


「口外しませんから。だから、少し見せてくださいよ」


「マジで締め切りヤバいんだよ、さっさと失せろ!」


「わかりました」


「やけに素直だな、おい」


「はい。この先輩のペンを握って、帰らせていただきますね」


「はっ⁉ はああぁぁぁ――ちょっと待てクソガキ! おい、待てっつてんだろが!」



 青春は、出会いで溢れていて、どこかでまた、縁が繋がる。


 二人だけの日常は、一つではないかもしれない。

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