90 ヒメリアからの手紙
バーラムトさん、ティアルナさん、セリアナさん、ルリエールさん、そして工房の皆様。
春から初夏に季節が移って、随分と汗ばむ陽気となって参りました。
お元気でお過ごしでしょうか?
わたくしは毎日、とても楽しく過ごしております。
ニコニコ!
女性専用の衛兵隊官舎に入れましたので、バーラムトさんが心配なさるようなことはございませんよ。
それに、ウァラクの男性達はとても礼節を弁えていらっしゃる方々が多く、気持ちよく仕事ができております。
こちらで先に制服を受け取った方々への背刺繍をすべて入れ終えましたので、今はベスレテアの町での仕事が中心です。
他の地区へ行く時にクァレストの町へは行きますが、ウァラクの北側、ピエナ地方に行くために立ち寄るくらいです。
でも、今度、胡椒を買いに行きます!
ピエナ地方は、医師が少ないので【回復魔法】を使える隊員が交代で訪れているのです。
まだ方陣札を作ってくださる魔法師が少ないのです……
ピエナ地方はとても美味しい山羊の乾酪があり、ちょっと甘口の葡萄酒と一緒に食べるのが美味しいらしいのです!
夏に美味しい山羊の乾酪は、数が少ないことと輸送に時がかかり過ぎてしまうという問題があり王都に持ちこめないので、今度是非食べにいらして欲しいですわ。
冬なら平気なのに冬は売ってない!
今、シュミレア地方ではいくつも『
そろそろ王都での販売が始まるらしいですが、何冊かいただけたのでお送りしますね!
千年筆だと、素晴らしく書き味がいいのです!
スラスラスラ〜
本として魔力を長期間保持し続けるのは少し難しいらしいので、雑記帳や予定表などに使っていただけると思います。
台帳や本としては、やっぱり三椏紙の方が魔力も多く入りますし格が上なのですよねー。
なんか悔しいです。
でも、方陣札を作ると結構いい感じなのですよ。
そういえば、大地から湯があふれ出したペータファステで、その近くに宿が建ちました。
樅樹紙を買い付けに来る方々が泊まれるようにということですが、なんと、その宿で『神泉の湯』を使って身体を洗うことができるのです!
勿論、周辺の民家などでも使うことができて、家まで水道のように『湯道』という物が作られているのです。
湯に浸かると効果が高まるとかで、今から楽しみにしている方々が沢山います。
効果効能は……◯×==
効果効能は、疲労回復と冷えの改善とか傷にもいいのだそうです。
飲むと胃腸によい……らしいです。
ちょっとだけ、ペータファステに住みたくなってしまいましたが、やはりシュリィイーレまで一刻半のベスレテアからは離れられません。
この間セラフィラントからの使いの方がいらした時に拝見したのですが、背にかなり短めの少し濃い蒼で外衣布が着けられるようになっておりましたよね?
しかも、小さめではありますけれどセラフィラントの紋と街区の紋が並べられて染め抜きされておりましたけどっ?
あれもバーラムト工房作なのでございますか?
ただでさえ格好良かったセラフィラントの制服が、またしても一段と格好良くなってしまわれて……!
でもっ!
我がウァラクも負けてはおりませんよっ!
絶対にうちが一番ですー!
みんなで揃いの刺繍が入った手巾を、持つようになったのですよ!
もちろん、衛兵隊員の刺繍はわたくしが刺しております。
不死鳥紋はなくて『ウァラク』の文字だけですけれど、手巾の隅に赤い『海石榴』を入れているのですよ。
これ、結構好評で、今度教会の方々が沢山作ってくださって、ウァラクのお土産として売ることになったのです!
ふふふー可愛いー
お土産の方は布の色が何色があるのですが、衛兵隊のものは薄紅なのです。
でも銀糸のようにキラキラ輝く、素敵な薄紅です。
これを、胸の衣囊からちょっとだけはみ出させて入れておくと、小粋なのですよ。
女性は花が見えるようにしている方も多くて、可愛らしさが格段に上がるのです!
勿論、公式行事では隠しますけれどね。
だけど先日、ハウルエクセム卿の胸衣囊にこの手巾を見かけた時は、嬉しくって思わず叫んでしまいそうでしたわ!
格好良かったのですー!
取り留めもなく、つらつらと書いてしまいました。
お会いできる日を楽しみにしております。
ヒメリア
*****
その手紙を読み終わって、バーラムト一家はくすくす、と笑い声を漏らす。
「ヒメリアったら、これ、絶対に下書きよね?」
「うん、ちっちゃい字で『スラスラスラ〜』なんて書いてある。ふふふふっ」
「ヒメちゃんって、時々とてもおっちょこちょいだねぇ」
でも、間違った文字も、所々の小さい字の感想も、もの凄く微笑ましい。
いつもとても綺麗な文字で、丁寧に書かれている彼女からの手紙。
だが、こうしたお茶目な感じが彼女の笑顔を思い出させて堪らなく嬉しいと、皆が感じていた。
きっと今頃、入れ間違いに気付いて、大声で叫んでいるかもしれない。
「早く、
「そうね。でもその前に、セラフィラントの冬服用の刺繍を仕上げなくっちゃ!」
「セラフィラントからの外衣布の生地って届いた?」
「ロートレアがまだ。他の街区のは届いているけど、冬服用って生地が違うのね」
「しかもあの染め抜きの魔法! 知りたいわぁ」
「セラフィラントってお金持ちよね。ウァラクは……なんだか、もの凄くこぢんまりというか」
手紙の端にはヒメリアが描いたのであろう、椿の刺繍を入れた手巾の絵。
小さめの胸衣囊に折りたたんで入れるのだから、そんなに大きいものではあるまい。
その端の小さい刺繍は、職人達でなく領民達の手で入れられるのだ。
「でも、そういうのも温かみがあっていいよ」
ティアルナはやんわりと微笑み、何度も手紙を読み返す。
バーラムト一家にとって、ヒメリアは幸福でいて欲しい存在なのだ。
いつかみんなでウァラクに訪ねていってみよう、その時は新しい刺繍糸を沢山持って行ってあげよう、と話しつつ、いつまでも遠くの地にいる愛しい家族を想っていた。
▶カタエレリエラ
自室でニレーリアはヒメリアの今の在籍地を知り、激しく落胆していた。
「なんで、ウァラク……あそこの家門、苦手なのに」
「ニレーリア様、そのようにハッキリと仰有るのは……」
オリガーナはどんよりと暗い顔をした主が、お気に入りの娘とおそらく二度と会えないであろうことに憐れみを感じている。
だが、この家門の元従者や護衛騎士のせいなのだから、仕方がないと諦めていた。
そしてニレーリアはやはり、ヒメリアのことをよく解ってはいないようだった。
「だって、暑っ苦しいのよ。大仰というか……しかも、英傑も扶翼も両家とも炎の神・聖神三位なのよ? その上『炎の鳥』だなんて!」
「……多分、それが決め手ですわ」
「え?」
「ヒメリアは、絶対にあのウァラクの制服が気に入って、衛兵隊入りと移籍を決めたのですわ」
「えええーー?」
確かに、黒に金飾りなど、この暑く湿度の高い気候のカタエレリエラで生まれ育ったニレーリアの好みではないだろう。
軽やかな色、涼しげな生地で、カタエレリエラ衛兵隊の制服を作らせたのは彼女なのだから。
だが、オリガーナは、シュリィイーレとセラフィラントの制服が常に若者達に人気を博しており、その流れを踏襲しているといえるウァラクの『格好良さ』を理解していた。
「あれ、セラフィラントに優るとも劣らぬ人気なのですよ、今や」
「……うちは?」
「不動の最下位でございます」
主の信じられない……いや、信じたくないという面持ちに少しばかり呆れつつ、この方に今の若者達が求めている格好良さというものは理解できないだろう、と軽く溜息をついた。
▶セラフィラント
(絶対に……セラフィラントだと思ったのに)
ラーシュはセラフィラントの南・シュナイ地区にあるデートリルスという港を有する町の陸衛隊勤務になっている。
近衛の合格発表の時に、ヒメリアの姿を見つけられず落ち込んでいたキリエムスを見て勝った、と思った。
セラフィラント衛兵隊は受験者数が多く、何日かに分けられて試験が行われたため、ヒメリアがいなくても試験日が違っていたのかもしれないと思っていた。
なのに。
合格者二十三名の中に、彼女の姿はなかった。
落ちたとは思えない。
だが、ラーシュにヒメリアの行方を知る手立てはなかった。
「ラーシュ、おはよーう! 今日も綺麗な瞳の色だねぇ」
「……ありがとうございます。おはようございます、カルティオラ神司祭様」
この町はセラフィラント次官である扶翼・カルティオラ家門の出身地とあって、聖神司祭のカルティオラ・リーライムスはちょくちょく王都から教会の越領門を使って戻ってくる。
どうやら魚料理が恋しくなると、帰ってくるらしい。
「僕、昔は緑色の瞳があまり好きじゃなかったんだけど、今は凄く好きなんだよー」
「はぁ……」
町に聖魔法を持つ神司祭が戻った時は、必ず衛兵が護衛につかなくてはいけない。
そしてなぜか一年目だというのに、カルティオラ神司祭は自分を指名してくるのだ。
多分、緑の瞳だから。
「吃驚したんだー天光の光の中にね、緑が混ざっているんだよ。とっても綺麗な色だって思ったんだよ、その時に」
嫌がる奴とか、蔑む奴しか知らなかったラーシュは、当初カルティオラ神司祭の言葉が信じられなかった。
だが、何度か会ううちにまったく裏表がない人で、本気でこの瞳を気に入ってくれているんだと思えた。
「輔祭殿がねー『夜に全てを見守ってくださる瞳』って言っててねー、感動しちゃったんだー」
「……その話、七回目ですよ?」
「あれ? そーだっけ?」
きっとこの人は次に会う時も同じ話をして、同じ笑顔を向けてくるのだろう。
八回目も聞いてあげよう、そう思うラーシュは、セラフィラントに来たことを後悔はしていなかった。
(でもなーヒメリアがいてくれたら……もっと最高だったのに……どこにいるんだよー)
▶王都
皇宮の南方宮護衛勤務となったキリエムスは、今日も溜息をつく。
近衛の試験に受かった時に、絶対にいると思っていたヒメリアの姿がなかった。
彼女の故郷であるカタエレリエラには、今年の合格者がひとりも志望しなかったと先輩の近衛達が噂しているのを聞いた。
(どこに行っちゃったんだろうなぁ……)
衛兵隊だろうとは思うが、カタエレリエラでないとすれば一体どこを選ぶのか、キリエムスには見当もつかなかった。
そして、自分がどれほど彼女のことが解っていなかったのだろう、と激しく落ち込んだのである。
(ヒメリアが近衛に来ていたら……ショコラ・タクトを喜んだだろうなぁ)
南茶房では製作者である至極級の職人から直接作り方を伝授されており、現在皇宮は正しい『皇室認定品』を作ることができる唯一の場所であった。
時折臣下達にも売り出されるそれは、近衛騎士達の楽しみのひとつになっている。
その製法を学ぶ会が幾度となく行われ、東茶房と西茶房はどれほど滑らかなショコラを作れるかと躍起になっていると聞く。
あの素晴らしく美味しい菓子を口に運び、満面の笑顔を見せるであろう彼女を想う。
そしてまた、溜息ばかりが増えていった
▶リバレーラ
「あっれー、君、うちに来てくれたんだー」
「お久し振りでございます、ファイラス教官」
「もー『教官』じゃないって」
そう言って、あはははは、と軽い声で笑うリヴェラリム・ファイラスを前にしたテターニヤは、どうしてこの領地の衛兵隊にヒメリアがいないのかということを知っていた。
リバレーラの制服が素敵だと言いつつ、彼女は『金釦ならもっといいのに』と呟いていたのだ。
なぜ、そのことを忘れてしまっていたのかと、自分の記憶力を呪ったほどだ。
(金釦なら、セラフィラントかロンデェエストだわ……!)
コレイルも素敵とは言っていたが、彼女は刺繍についても一家言あるらしく単純な模様のコレイルは対象外だと思っている。
おそらく試験研修生仲間では、テターニヤが最もヒメリアを理解しているだろう。
彼女に足りないのは、情報だけであったのだから。
「いやー、嬉しいねー。今年の合格者は少ないし、主席のヒメリアはウァラクに取られちゃったしなぁ」
「ええっ? ウァラク……ですかっ?」
予想外の地名にテターニヤはつい大声を出してしまい、慌てて口を塞ぐ。
そういえば、ウァラクは新しい制服に替わった……と噂で聞いたことを思い出した。
「ウァラクの制服は……金糸の刺繍、ですか?」
「うん、黒地に金刺繍。金釦も格好いいんだけど、靴に使われている金具がいいんだよねぇ!」
(……なんということ……わたしの情報が不足していたのだわ……! あれ程情報を制する者が物事の趨勢を決めると、リエンティナ教官に教えられていたというのに……!)
黒地に金釦なんて、ヒメリアが一目惚れして当然だとテターニヤは心の中で地団駄を踏む。
その内まとまったお休みを取って、必ずウァラクに訪れなくては、とテターニヤは再会を心に誓った。
ファイラスを見送り、テターニヤは目の前に広がる葡萄畑に視線を移す。
配属になったリバレーラ領・アルフェーレは非常に活気のある扶翼のリヴェラリム次官が住む町である。
領主・次官共に女性であるこの領地は、今新しく作り始めた『干し葡萄』の生産に力を入れ始めていた。
あの、ヒメリアが大好物だと自分に勧めてくれた、タク・アールトという菓子の材料のひとつである。
キュレイトというレブレック近くの村と、アルフェーレの北西側トエルク近郊で作り始められた干し葡萄は、領地で少しずつ人気になっている。
(当分お会いできないかもしれないけれど、お手紙を書きましょう。お会いできるその日まで、ヒメリアさんの愛するタク・アールトの干し葡萄は、わたしが守ってみせるわ……!)
少し見当違いの使命感に燃えていたが、テターニヤの真面目な仕事ぶりで、衛兵隊はリバレーラに新しくできた干し葡萄農園に勤める者達から、絶大な信頼を得ることとなるのである。
▶ウァラク
「あーーーーーーーーっ! 間違えましたわーーーーーーっ!」
了
********
ここまでお読みくださりありがとうございました。
ヒメリアも時々、お買い物でシュリィイーレに訪れると思います。
そして、ウァラクで、あの冒険者とも……
どこかで彼女達を見かけた時に、この物語を思い出していただけたら嬉しいです。
(この後のことは……ちょっとだけ別の物語でw)
ヒメリアの選択〜がらくたと呼ばれた姫の物語〜 磯風 @nekonana51
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