第452話

 五千の騎兵が前列に出て横並びになり命令を待つ。集団の動きを訓練されたというのが直ぐに解る程に動きに乱れが少ない、一度荒れてしまったらどうなるかは未知数ではあるが。急転直下の展開に、一人肩を怒らせ進み出る男が居た。矛を片手に単騎で南匈奴兵の前に出る。


「何の前触れもなく、一方的に武力を振うのがお前のやり方になったのか! 見損なったぞ呼廚泉!」


 平原に響き渡る大声、島介が大喝する。呼廚泉が何者なのか、烏桓族の大人や幹部らにしかわからなかった、何せマイナーな人物だから。今はまだ。その声を聞いて、百ほどの騎兵と共に平原ど真ん中に進んで来る茶色の軍旗。更にちかづいて来ると目を大きく開いて馬をかけた。


 大慌てで駆け寄り下馬すると左賢王呼廚泉になった若い南匈奴族の大将が、膝をついて礼をした。その光景が何を意味しているのかは誰にも理解出来ない。


「島将軍、生きておられましたか!」


「呼廚泉、お前は何をしているんだ!」


 呼びかけなど無視して叱責を加える。万の軍勢の大将に向かい、一体何を言っているのだと。供回りの南匈奴護衛騎兵がこぞって打ちかかろうとするが「控えろ!」呼廚泉に制されてしまい困惑する。


「南匈奴の生存権を拡げる為に、平定を進めておりました」


 異常の報告を受けたのだろう、ひときわ大きな茶色い軍旗『南匈奴単于』の旗がその場に向かってくる。烏桓族からも主要な者らが中央を窺える場所にまで進んできた。大きな馬に跨った中年が島介の前に来ると、下馬した。たったままではあるが礼をする。


「南匈奴が単于於夫羅が、島将軍にご挨拶を申し上げます!」


「無事単于になれたようだな。お前がどこで何をしようと知ったことではないが、俺の妻の出身部族を滅ぼすと聞いては黙ってはいられん。やるならば相手になるぞ」


「なんと奥方が! 是非お祝いの言葉を贈りたいのですが」


「男子を産んで死去した。気持ちだけはありがたく受け取る」


 これだけ大勢が集まっているのにシーンとしてしまう、何が起こっているのか説明して欲しいものばかりだ。島介の目は未だに厳しい。


「それで、やるのか?」


「いえ、島将軍の族とあらばその必要はありません。代表らに会わせて頂いても?」


「話だけは通す、その後は約束できん。それで良いならな」


 単于と左賢王をその場に待たせて、カッポカッポと馬を歩かせると烏桓族の前に来て「南匈奴の単于が話をしたいそうだ。烏桓族の代表はその気があるならついて来い」返事を待つことなく、轡を返すとまたカッポカッポと歩いて行った。島介が下馬し、後ろを見ると難楼、骨都侯、検大人がついてきていた。


「俺が南匈奴単于の於夫羅だ、こっちが左賢王の呼廚泉」


 三人がそれぞれに自己紹介をする、なぜこのようなことになっているのかの説明が欲しくてたまらないらしい表情が非常に良くわかる。於夫羅の方もなぜなのかをよく理解出来ていない。ゆいいつ、この中でこの手の事に若干の耐性があったのが呼廚泉。


「単于、自分が進めても良いでしょうか?」


「ああ、構わん」


 二十歳そこそこの若造が前に出て来るのが下に見られているとムッとしたのがわかるが、呼廚泉は素知らぬまま三人の顔を見た。どうすれば南匈奴の最大の利益になるかと。こういうことは苦手だが、最適なのは自分だろうと言うのは自覚していた。それに今後はこういう場を何度も体験することになるとも。


「先年、単于を正式に宣言し、部族をまとめたので周辺に挨拶をして回っている」


「随分な挨拶だが受け取ったよ、うちの若いのに被害があったしな」


「荒っぽいのは勘弁してもらいたい。上谷烏桓族とまとめてしまうのは不満では?」


 交渉事は相手に喋らせてなんぼだ、自分の言いたいことよりも相手の言いたいことをより多く聞いたほうが有利になっていく。相手の事をより深く知るのは相手方なのだから。


「検山烏桓族は、骨都族の一部とみて貰っても構わない」


「検大人、そうか。では骨都族を代表して考えを述べるならば、上谷烏桓は二つに分かれている」


「難山烏桓族としてもそう考える」


 呼廚泉はこの期に及んでも腕組をして黙っている島介に、さっさと喋ってもらいたくて仕方なかった。けれどもきっとタイミングはあちらが決めるんだろうなと触れずに進める。ふと、荀彧らの気持ちが理解出来そうにすらなってしまう。


「単于は南匈奴として、一つの大きな族を目指している。従うならば繁栄を約束するが」


「そうはいっても急に現れて、はいそうですかと全てを預けることにはならん」


「俺も武力で脅されて配下に加わるくらいなら、難山烏桓は名誉の為に戦う」


 納得の流れでしかない、この先に進む為に志願したのだ。この程度の集団に手を焼いているようでは、未来などつかめるはずもない。


「南匈奴は戦争も辞さない。だが……そうではない方法を望む。さて、この方の妻が烏桓族と聞いたが、どちらの族の出で?」


 三人の長が顔を合わせる、何故ここで伯龍なのかと。検大人が「我等の族で暮らしているが、出身はそちらの難山烏桓、先の大人の娘とのことだ」みなが大雑把にでも知っていることだけを語る。ようやくここで呼廚泉は糸口を見つけた。


「それならば、骨都族と検山烏桓族は南匈奴の支族として、先に属しているものらと同等の扱いをすると誓おう」


「なぜそうなるのか聞いても?」


 骨都侯が目を細めて根拠を尋ねると「妻が暮らしているならば夫も暮らしている。その方が居る族ならば信頼できるから」そういっていよいよ島介にバトンタッチした。趙厳あたりならば真面目な顔をしているだろうけれど、甘寧ならばニヤニヤして自分のことだろと丸投げするだろうと想像してしまう。


「伯龍殿が居るのとどのような関係が?」


「俺は島介、字を伯龍という」


 説明になってるようでなっていない、ここは現代社会のように情報が瞬時に拡散される世界ではない。五年十年経って、ようやく知る人ぞ知る世界だ。


「島将軍は私の仕えている上官で、単于の友人でもある。ならばこれを信じずにどうするのか」


「島将軍?」


「わかったわかった、呼廚泉、お前に預ける」


 腕組して黙っていたのに仕方なく許可を与えた。烏桓族の中で全てを隠して暮らしていたのも、らしいなと笑ってしまう。この人ならどこででも受け入れられてしっかりと生きていける証拠だと。


「この方は、漢の冤州刺史で島恭荻将軍、目下のところ戦争中行方不明で大勢が探していた人物。我等に南匈奴を取り戻させてくれた恩がある」


「なるほど、それであんなにも戦いが得意だったと。事情は分かりました、骨都侯として南匈奴単于の支配下に連なることを承諾します」


 骨都侯と検大人が単于に向かい礼をとると、於夫羅もそれに応じた。面白くないのは難楼だ、蚊帳の外になってしまっている。


「して、難山烏桓族はどうか」


「俺は名誉を失うような真似は出来ん」


「そうか。島将軍の妻の出身部族と聞いたが、先の大人の娘が何故他の族で暮らしているのか。調べてから対処しても良いが、もっと荒っぽい方が俺は好みでな。今の族の上層部を全て取り除き、征服するのが適切だろう」


 急に声のトーンを落として脅迫に出る。既に服従すると誓った側としては、無理をするなよと忠告することすら出来ない。


「いや、支配下に入らんとも言ってない――」


「ふざけるなよ! 頂点がどっちつかずで曖昧な態度をして、部下に責任を問えるか!」

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