第453話

 やはりこの中では難楼は役者が一つ落ちるようで、小粒感が否めない。今まで黙っていた於夫羅がついに口を開いた。


「島将軍の子が居ると聞いた。部族を追われた族長の娘の子ならば、族長になる資格はあるだろう。まだ産まれたばかりゆえ、族を率いるわけにはいかんが、成人後に南匈奴単于が後見になり族を立てることを認める。もしここで難大人が降ると誓うならば、成人までの間は族の運営を任せる」


「…………難山烏桓は南匈奴単于に従います」


 不承不承頷いた、そう見えた。於夫羅はそれが不満だった。本来ならばここで幕引きをすべきだと理解していたし、そうしなければならない立場であるのも知っていた。けれども我慢ならなかった。


「島将軍は! 我等の族が困窮し、明日をも知れぬ時に手をさしのべてくれてことがある。冬を越せる食糧も棲み処も無い時に、名誉に配慮しそれらを手にする仕事を与えてくれたこともある。国を取り戻す為に、全てをかけてくれたことすらあった。不満があるならばそう言って向かってこい、俺はたとえたった一人になろうとも受けた恩を忘れはせんぞ!」


 場が静まり返る、何ともいえない事実の積み重ねだ。感情で動く人間はいるが、そうでない人間だっている。理由を与えなければならないならば、それは補佐の役目だ。


「単于の仰る通り、島将軍には沢山の恩義があります。だが信頼の証はそれだけではない。島将軍は、かの北方の伝説、孫羽将軍の後継者だ」


「そ、孫羽将軍の!」


 四十代以上の者ならば知らない北狄が居ない程に有名な男。敵味方どちらであっても極めて高い信用を持っている伝説。どれだけ自身が不利になろうとも、絶対に約束を違えない者。いわれてみれば島介の行動もすべてそうだったと納得してしまう検大人に骨都侯。


「はぁ、俺は俺でしかないぞ。確かにあのじいさんは凄かったが、いつまでも引き合いに出さねばならんとは、俺が恥ずかしくなる。それに於夫羅も、終わったことなど忘れてしまえ。それでも何かしたいってなら、部族の若い奴らに良くしてやればそれで構わんからな」


「将軍がそう仰るならば」


「ああ、それでいい」


 戦争は回避されそうだととの思惑が成り立ったので、勝手に席を立ってしまう。いつものように、後は好きにやってくれとばかりに。


「単于、後はお任せして頂いて構いませんので」


「頼んだぞ」


 事務的な処理は引き受けて、頂点同士する話があるだろうと送り出す。後始末をしている方が自分には合っているなとほくそえんでしまう呼廚泉であった。やることは多い、まずは荀?のところへ早馬を出すべきだと考えていた。


「島将軍」


 少し離れた場所に行くと後ろから於夫羅が声をかけた。その場で足を止めると島介は空を見上げる。一体自分は何をしていたのかと言わんばかりの表情で。


「俺の妻はとても賢かった。決して邪魔をせず、夫を助け、支え、導き、遠くを見ていたんだ」


「将軍……そう、でしたか」


 何を言っても仕方ない、終わってしまったことだ。もしこうだと知っていれば、何が何でも島介の妻を保護していただろう。出産は危険な行為だ、だがそれは衛生や事後の管理でリスクを減らすことが出来る。無論それでもダメなことは絶対に起こり得るのだが。


「今後は俺の人生を送れって言葉を遺していったよ」


 北方で暮らしている間は自身のことを隠していた、それは妻との新しい人生を送るためだったのだろう。けれども当の妻は真実こそ知らないものの、ここに居るべきではない存在だと感じていたのかもしれない。


「島将軍のなされるべきこととは」


「それは決まっている、俺の友人を助けることだ。忘れなどしないさ」


 行方不明の間、死んだのではないかと心配をかけさせているのは解っていたが、一報を出すことも無かった。一年二年程度では変わりはしないと未来を知っていたから。或いは過去を知っていたから。


「この於夫羅、族をあげて微力を尽くす所存」


「手助け込みで計算する程寝ぼけちゃいないよ。於夫羅は自分たちのことだけ考えてればいい、こっちはこっちでやる」


 そうだ、この人は決して断れないような頼み事などしない。於夫羅はだからこそ力になりたいと心底感じ入った。己など何が出来るか不明だが、ここ一番で盾になる位は出来ると確信を持つ。


「過日――」少し声を張って「漢軍は南匈奴の地で勝利を収め、直後に分裂しました。呂布は幽州の西地に勢力を持ち、公孫賛は東部に、袁紹が冀州北部から東に、曹操が青州に割拠いたしました。またそれらに呼応し、冤州でも動きが」


「夏侯惇やらなんやらが刺史不在の冤州から離反して、どこからともなく朝廷に任命されたと刺史がやってきた。そして荀彧らがそいつを受け入れたって感じか」


「もしや?」


「そうなるかも知れないと荀彧が予測していただけだ。それで馬日碇殿は」


 概ね未来予想を当てていたのだからやはり侮れない、至高の知恵であるという評価は正しいのだろう。元々疑ってなど居なかったが、こうまで想像した通りだと笑ってしまう。


「裏切りに陣を乱し、山間の砦に籠もった後に、何とか中央へと脱出いたしました」


「そうか」


 準備をしておいた甲斐があるというもの、無事ならそれで良い。その後の苦労はこみこみで、今頃長安で忙しい思いをしているはずだと遠くを見つめた。


「冤州へお戻りの際は、南匈奴の精鋭騎兵をお付けします」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る