第443話


 別の場所の歩哨が声を出したがもう遅い。天幕に油がまかれてそれに火をつけられた。繋がれている馬には革袋から水をかけて回られて、馬が暴れ出す。騎乗できなくなるという副次的効果も得られている。


「蹂躙しろ!」


 寝起きで混乱している難烏桓の屯所に広がり馬上から攻撃を繰り返し、かなりの被害を与えた。近隣からまとまった警備兵が押し寄せて来るのが音でわかる、直ぐに劣勢に陥ると。


「撤退の笛を吹け!」


 ピュー! 独特の音色の笛、部族特有の道具が効果を発揮する。これが耳に入れば何が何でも無理矢理に戦線を離脱して、一人でも多く本陣へ逃げ帰れとの合図。それぞれが陣形など無視して一目散に逃げ出していく、足止めは出来ても追うことは出来なかった。


 暗夜であっても馬は見えているようで、人間の小走り程度の速さですいすいと動いて回る。目印に置いてある松明の傍で少し待っていると、敵に食いつかれて逃げて来る検烏桓兵が居た。殿になり「お前は行け!」矛を振うと、一人、二人と追っ手を切り倒す。


「敵の部将だ、取り囲め!」


 難烏桓兵が集まって来ると島介を遠巻きにして刃を向ける、その数は増える一方。背中にも目があるかのように様子を窺う、もう味方は逃げ切っただろうことを確認する。得てして抜け出せそうな包囲が弱いところこそが罠であることが多い。朝焼けが空を照らし出し、互いの姿がはっきりと目に映るようになる。


「はっ、百人も居れば俺に勝てるとでも思ったか? 残念だがいくら雑魚が群がろうと何も出来んぞ!」


 指揮官が居る一番層が分厚いところへ向けて馬を突っ込む。矛を振り回して烏桓兵を次々と倒すと、矛が折れてしまう。敵から武器を奪うと今度は馬が力尽きた。すると馬上の兵を衝き落として馬を奪うと指揮官目指して突撃を行う。


「なんだこいつはバケモノか! 殺せ、殺すんだ!」


 烏桓の中ではやや体が大きめの男が馬上から声を出すが、兵らがいくら攻撃しても島介へは届かずに蹴散らされた。いまひとつ勢いに乗らないのは矛がぜい弱ですぐに折れてしまうから。漢の武器製造能力が高かったことを思い知ってしまう。


「ちっ、役に立たんな。うん、貴様の持っているのは良さそうな品だな、寄越せ!」


 兵から分捕った矛を投げつけると腰の剣を抜いて馬上から飛び掛かった。指揮官を下敷きにして落馬すると、剣の柄で頭を殴打して転がっている鉄製矛を拾う。手にしっくりと馴染むそれは、今までのものと違い装飾が施されている。文字は読めなかったが、一般的な武器とは違うようだ。


「死にたい奴はいくらでも掛かってこい!」


 矛の端を掴むとぶんぶん振り回す、驚いて竿だった馬から落馬してそのまま気絶してしまう烏桓兵、近づこうにもどうにもならない。怖じ気付いて攻撃が緩むと、馬に飛び乗る。


「我が名は島介、字を伯龍! 用事があるから見逃しておいてやる、邪魔するならば叩き切るぞ!」


 後ずさりして道を譲る奴らを睨んで威嚇すると馬をかけさせた、追撃する奴らを牽制するために体を半分だけ後ろに向けてだ。指揮官を失った烏桓兵らは悔しそうに睨むだけでそれ以上は追って来なかった。味方の本陣を探して少しだけ彷徨うと、それらしい山をようやくみつける。


 木陰から騎乗したまま不意に姿を現すと、多数の兵に矢先を向けられていることに気づく。あわや同士討ちが起ころうとするのを「やめろ、撃つな! 矢を地に向けろ!」姿が乱れた兵らがあちこちで叫ぶ。それでも何本かは飛んできたので矛で叩き落とした。射ってしまった兵を拳で殴りつけている様子が目に入る。


「伯龍無事だったか!」


 兵を少数伴い検大人が駆け寄って来る、一緒に夜襲に行って逃がしてやったやつが混ざっていた。どうやらちゃんと逃げられたようだ。


「見ての通りだ、程なく奴らが押しせよてくるぞ」


「おう、少し休むんだ。後は任せろ」


「ではそうさせてもらうか」


 兵が歓声をあげる戦士が生還したと。あの兵が水を差しだして来る「どうぞ」ニコリとして受け取ると一気に飲み下す、汗をかいた後の水は本気で美味しいと感じる。後ろから騒がしい音が聞こえて来る、難烏桓が攻撃にやってきたのだ。


「見事な活躍ぶりだったようだな伯龍」


「骨都族の戦士だって相当だったぞ、俺が認める」


 骨都侯が微笑む、族の戦士が褒められて嬉しいのだ、自分を言われるよりもずっと。その感覚は島にもあり、だからこそそうした。


「ここが完全に包囲される前に行くんだ、郷を頼む。これを渡しておく」


 何か動物の牙が磨かれた首飾りを差し出される、なんだという表情で見てやると「骨都侯が認めた戦士に与える証だ。持つ者を蔑ろにすれば、それは骨都族を侮辱したと同義」説明をする、どうやら大切な品のようだ。


「俺が手にしても誰かに渡してしまうかも知れんぞ」


「構わん。伯龍がそうしたければそれを認める」


「そうか。有り難く貰っておくよ。では行く、武運を祈る」


 懐にしまうと新しい馬を宛がわれ、整備された剣と短弓を装備させられる。最後にあの矛を手渡されて兵らに見送られると陣を裏側から出る、後ろには僅か数十の兵だけが従ってきた。もし同時に別動隊が出ていたらと思うとここで足を休めるわけにはいかない、駈け足で郷へ向けて走り続ける。夕方にはたどり着くことが出来た、まだ平和そうでほっとする。


「戦士伯龍の部隊だ!」


 補佐がそう声をあげると足を緩めて接近した、郷に残る老戦士らが警戒を解いて迎え入れてくれた。直ぐにあちこちから族の者らが出てきて、顔色を曇らせた。何せ連絡がなければそれで順調というものだから。懐からあの首飾りを取り出してぶら下げると、長老が深々と礼をした。


「直ぐに主要な人物を集めるんだ」


「畏まりました」


 多くを説明せずに求める内容だけを伝えると、広場の中央にある木箱に腰を下ろした。兵等には「郷の移動準備をさせろ、持ち歩けないものはここに残していく、奪われたくなければ埋めていくんだ」重大事項を告げる。真剣な表情で兵らを散らして報せをして回らせた。


「ここにそろいまして」


 長老が各種代表らを集めてきて並ばせる、異常事態が起こっていると皆が動揺していた、異種族の男が偉そうにしているのも不安を掻き立てているようだ。島介は立ち上がる。


「俺は伯龍、骨都侯並びに検大人より郷の安全を託された。この首飾りがその証、族の戦士も従えている」


「伯龍殿は真の戦士だ! 族長もそれを認めている!」


 従ってきた兵の隊長が自らの意思でそのように宣言した。負傷兵らも納得しているようで、その態度をみると集まった奴らも頷く。こういうとき集団がは小さい方が有利だ、意思の統一がしやすい。


「あと数日で降雪が始まり、難山烏桓は引き下がって行く。だがそれまでに本陣を攻め落とそうと激しい戦いが予測されている、奴らが別動隊をここへ向ける可能性がある」


 郷の住民がざわざわとする、戦士が出払っている状態で攻撃を受けたら全滅することなど解り切っているから。ではどうしたら良いのかと視線が島介に集中した。


「一時的にここを捨てて、鴛山の洞窟へ避難する。場所、状況の詳細は調べがついている」


 後方準備を骨都侯へ任せていた、郷の老戦士が確認を済ませている。そいつが一歩前に出る。


「鴛山の洞窟へは断崖絶壁の道を通らなければ出入りが出来ない。河の水をくみ上げれは飲み水には困ることはないし、山頂から回り込むのは少数でも極めて困難だ、空でも飛べるなら別だが」


「山道を俺が守る。住民は速やかに洞窟へ移動するんだ。雪が降るまで耐えればこちらの勝ち、そうでなければ全滅するだけのこと。事前準備は出来ているな?」


 皆の表情が引き締まる、生きるか死ぬかの瀬戸際であることを再認識したのだ。負けたら降伏するでは済まない、言外に含めている。


「暖を取るのと食糧の集積は承っております」


「よし、では今すぐに移動だ。動けない者は助け合って運んでやれ、兵は皆が移動を終えるまで全力警戒を行え。本隊は俺と共に行動、山道に関所を設置するぞ!」


 後備の守備兵と負傷兵に移動と警戒を任せると、数十人で山道へ急ぐ。遊んでられる時間など無い、チュウと会って話をしたいがそれを後回しにしてしまう。今は防衛司令官としてなすべきことを最優先するために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る