第441話

 突然個人的に妻に手を振ってやると、チュウも焦って手を振り返す。当然注目の的になっている。馬を歩かせ全員の先頭を行くと、ぞろぞろと皆が歩き出した。残されたチュウ、双方の部族の女から視線を向けられていた。


 無事に約束の刻限までに後送と補充兵の引率を済ませて帰還する。その足で直ぐに本幕へと入ると、大人らが難し顔をして腕を組んでいた。


「戻りましたが何か?」


「おお伯龍、無事だったか。今日の事だが、白虫が舞った」


「それは?」


 聞いたことが無かった、虫が舞うと想像すると少し気分が悪い。何かの比喩なんだろうと考えるのをやめる。


「こいつが舞うと近く雪が降る、あと七日も持ちこたえればやつらも諦めるだろう」


「ということは、それまでに攻撃をしてくるわけか」


 積雪で撤退する前に挑まずに帰るではここにやってきた意味が無い、必ず一度は攻勢を仕掛けて来る。それで二人は難しい顔をしていたらしい。逆にいつまでも守り続けなければならいよりもこちらもありがたい話ではある、虫の動きというならば当然双方で誰かが気づいているはずだ。


「守りを固めて待つにしても、何日も緊張していては兵が持たん」


 骨都侯がううむと唸る、検大人も一緒に。なるほどと小さく頷くと島介は「では攻撃される時機をこちらで決めたらいいだろ」こともなげにそう言い放った。無論二人は、こいつは何を言っているんだと視線をからませる。


「一日なら良いが、二日三日目になると疲労が色濃くなる。そこでだ、こちらから攻撃を仕掛けてやれば、奴らも反撃して来る。そうそう簡単に途中でやめてまた総攻撃とはいかんだろうよ」


「なるほど、仕掛けてやればなし崩し的にはじまるか!」


 確かにそれならばタイミングを自分たちで決められるし、日時がきまっているなら兵士は気持ちを作りやすい。もちろんそれにも大きな問題がある、誰が攻撃してくるか。しくじれば敵に殲滅されるし、逃げ戻るにしても陣にまで食いつかれていたら収容不能の可能性もある。


「もちろん言い出した俺が任に当たっても構わんよ」


 勇気を示し続けられ、その都度成功されているので検大人は納得している。だが骨都侯は未だそこまでの信用を持っていない、かといって麾下の部将に命じるには大事だ。さりとて自分では出来ない。


「伯龍はなにゆえそうまでするのだ。客人なのであろう」


 聞かされている背景だけでは決めきれない、ならば目の前の男と話をする。それで己の判断を下すというならば、はぐらかすような真似もしたくない。


「妻と無事に帰るためだ。ここで勝てば春に安全に出ていくことが出来る」


 異種人なのだ、妻以外に財産らしいものもないし、他の繋がりもない。差し出すのが己の命ならば、得るものは妻の安全というのは納得いった。


「負ければどうだ」


「俺が死んでも妻は族の庇護を得て暮らせるだろ。なんの問題も無い」


 族の為に戦った戦士の残された妻、それは絶対に族が面倒を見る、当たり前のことだ。だからこそ戦士は命を張ることが出来る。共通の意志価値観を持っているならばこれ以上言うことはない。


「骨都族の侯として、戦士伯龍に願う。どうか部隊を指揮して欲しい」


「検烏桓の大人として、客人伯龍に欲する。隊を率い作戦にあたって貰いたい」


 それぞれが独自の礼をして真っすぐに願った、島介も同じように敬意を持って「承知した!」決死部隊の指揮を引き受けた。これが一つの分岐点、ここで上手く行けば言ったように春には大手を振って出かけることが出来るようになる。


 編成を済ませるためにと前の奇襲時に指揮をした二人の指揮官を呼び出す、一度その勇気を示されていたので今回は最初からしっかりと島介を長に据えることに同意して始まる。別部族の統合をしようとすると軋轢が出る、それは当然なので客人がいて優秀ならば大人らも助かる側面もあった。何せどれだけ功績を上げようと去ってしまうし、何なら死んでも無関係だから。


「状況の整理をする。近く降雪があるとはいっても、あっという間に積雪とまではいかない気候ということで?」


 この地域の特性があるかも知れないので、細かに確認する。何せ電子技術も高度な兵器も無い、使えるのは作戦、地形、天候くらいなのだ。ここで怠るわけにはいかない。


「時には降り始めて一晩で膝以上になることがある。そうだな、数年に二回くらいの割合だろうか」


 言われて部族民たみらがそんなものだと納得して頷きあっている。ということは、なっても珍しくはないくらいの確率なので、無いと信じて行動を決めるわけにはいかない。もちろんそれは連合部族であっても難烏桓であっても指揮官の判断は同じだろう。


「降り始めたらそうなるだろうとの見込みで作戦を立案する。一気に積もらずともその後はもう気温は下がっていて雪はとけない?」


「この時期からではもうとけんな。昼間に若干緩むことはあっても、夜に凍結する」


 ということは濡れた状態で夜を明かすことが出来ない、即ち野戦では継続戦闘不能といえる。余程の覚悟とその後の回復施設――風呂――でもあるならば別だが、ここにそのような文化も意志もあるはずがない。あったとしても数人が利用出来るだけのごく小規模なもので、軍隊が利用するには不足する。


 腕を組んで降雪前に攻めるならばどうするかを思案する。攻めて打ち勝つ、単純なのは大将である骨都侯と検大人を捕らえるか殺すか、簡単な話で一番難しい。逆に不意にそうされたら非常に困難な状況に陥ってしまう。次に数日ですら戦闘を続けられなくなる、食糧の不足や疫病の類が蔓延したらという危険。最後に後方が狙われるという話だ。


「骨都侯と検大人は身辺に十分注意しておいてほしい。万が一どちらかが捕えられたら全てが瓦解する」

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