第435話
「始めよ」
慎重は百五十五センチ前後、体重は六十キロくらいはありそう。筋肉がついているこの時代、この場所では立派な男。二回りも大きな島介相手に怖じない勇気を持っている。拳を握りしめて打ちかかって来たのを、手のひらで左右に流して様子を見る。
組みかかろうとして掴みかかって来るのを、横に体捌きしてかわしてしまう。周囲全体へ注意をしているが、どうやら今は邪魔して来る様子はなさそうだ。
「俺も郷ではそれなりに腕前を知られている。全力で掛かってこい」
「戦士が手を抜くはずがないだろ!」
両腕の筋肉を盛り上がらせて、鸞谷林が連続で殴り掛かって来る。あまり後ろに下がることが出来ないので、たまにフェイントでジャブをして牽制しながら、その場でかわし続けた。なぜ反撃をしないのかと訝しむ者が居る。
「どうした伯龍とやら、検烏桓の戦士相手に手も足も出ないか」
「俺の郷では年長者が先手を譲る風習があってね。そろそろこちらから行っても良いな」
族の文化や伝統ならば認められる、そう頷く。見たところ鸞谷林は二十代後半か精々三十歳。一方で島介は四十路だ、年長と言われたら異存はない。また拳を振りかぶって来る。だが今度は右拳を左前に踏み込んでかわすと、自身の右手のひらを真下から上へと突き上げる。鸞谷林の上半身が浮いて、背中から叩きつけられた。
「ぐはっ!」
「動きがあまりにも荒い。もっと振りを小さくするんだ」
少し下がって立ち上がるのを待つと、顔を赤くした鸞谷林がまた殴り掛かって来る。島介は左半身を向けると、右手で右手頸を掴み引っ張る、踏みとどまろうと出した右足の先を、左足の裏で差し止めて地面に引き倒した。
「雑過ぎると動きを読まれるぞ、もっと考えてやれ」
完全に遊ばれていて、教導の模擬戦のようになってしまっている。それでも中止するようにとの言葉は出てこない。警戒度をあげて前に出て来なくなったので、島介が歩み寄る。
「戦いは上手く行かない時のほうが得ることが大きいぞ」
常にチュウの居場所を目の端で捉えながら、距離をゆっくりと詰めていく。正気を失いかけている鸞谷林に対峙し、左の拳をその顔に向けた時、輪の外で見ていた男から投石を受けた。咄嗟にかわす為に足の力を抜いて頭を狙った攻撃をやり過ごすと、鸞谷林が迫っていた。
「舐めやがって!」
両腕の筋肉を膨らませて、島介の首をへし折ろうとしてきた。彼我の距離はほぼない、下がったりよけようとしたりせずに、ぐっと身体に力を籠めると双方の額同士をぶつける。頭突きはしようと思った側が有利になる、鸞谷林が口をあけてフラフラした。
横に回るとそこから思い切り蹴りだして鸞谷林の身体を吹き飛ばす。その先は投石を行った男――側近の一人だ。二人で絡み合って転がると「戦いの邪魔をするな痴れ者が!」大声で喝を発した。側近らが腰から短刀を抜いたところで「それまで! 鎮まれ!」検大人が終わりを宣言する。
「検大人、これが検烏桓のやりかたか!」
ギリっと睨みつける。大人は顔をしかめて転がっている二人を見た。
「鸞谷林、鸞羅羊、検山の祖霊に対し何と言い訳をするつもりか。伯龍へ謝罪しろ」
二人を睨む周りの目、仕方なく膝をついて頭を垂れた。いやな役目を負ったのは命令だが、横やりを入れてそれに乗じようとした精神は個人の失態。謝罪を見て大人に向き直る。
「それで、気が済んだか。俺は交渉に応じるだけの価値がある奴だったかを聞きたい」
検大人は目を閉じると小さく息を吐く。立ち上がると「戦士伯龍の事を認める。馬二頭は鸞谷林、鸞羅羊が用意しろ、代価はそちらで決めると良い」言い値を認めるようにと圧をかけられ、二人も仕方なく従う態度になる。ここまでされると何だか悪い気になってしまう、それは島介の生まれ育ちの部分が大きい。
「本来ならば財貨で支払いたいが、この地でそれはあまりに価値が低いだろう。ゆえに、労務で支払いをしたい。その為の役目を検大人に求めたい」
その労務で適正価格を二人に払ってやるようにとの三角貿易、こうなれば悪意やわだかまりも抑えることが出来る。咄嗟に言えるだけの経験を積んできたものだと、島介も自分にやや呆れてしまう程だ。
「骨都の族との領土争いが起こる、ここを出たところで間違いなく伯龍も攻撃を受けるだろう。降雪時分には解決する見込みだが、直ぐに行くか?」
島介はチュウを見る、彼女の安全を最大限に担保しなければならない。四六時中守りながらではきっと人数の押切を防ぎきれない、かといってここで冬を越すつもりもない。
「俺が協力をすれば降雪時分にというのを早めることが出来るか?」
「勝った者の言葉を尊重するんだ、出来るだろう」
「チュウ、済まないが少しの間ここで暮らすことになりそうだ。それでも構わんか?」
申し訳なさそうにそう言うと「あなたの仰る通りにします。何も異存はありません」すっきりとそう返答した。妄信しているわけではない、それが適切だと理解しているからだ。
「伯龍が検烏桓に力を貸す」
「うむ、今より伯龍は我等が客人。皆の者にも報せよ!」
関係を修復し、族の為との名分を得て、この場を治めてしまう。二人の不満は残るだろうが、この後きっと過分な対価を与えて我慢しろとなだめることになる。集落の一角を与えられて、そこで暮らすことになった。あの小屋と住み心地は変わらないが、人が居るお陰で獣の心配は極端に少ない。逆に人を警戒しろという話ではあるが。
翌日になり落ち着いてから話を聞いたところ、骨都の族というのと縄張りの一つが被っているようで、冬を越すための狩場での活動をどちらが優先して行うか、というのでいつも争いになるらしい。食糧の争奪、それはこの地に暮らす者達にとって非常に重要な内容。
小屋に集まって現状の把握をするために会議を行う。寄合という感じの単語の方がしっくりと来るようなものかもしれない。長老や集団の指導者、大人の血族などの立場ある男達が出席していて、島介も席次を与えられていた。
「骨都族の人数は三千余り、我等はその半数以下、これを譲れば冬を越せる人数が減ってしまい更に差が」
分け合って耐えられるならそうするが、無理ならば子供を捨てるか老人を捨てるかしかない。青年層を生かさないという選択肢はあり得ない。毎年武力衝突を起こしているようだが、ある程度の被害が出たら身を引く。全力で互いがつぶし合いをするという選択肢はないようだ。
「あちらは難山とも争いがあるからな。かといってこちらを黙って譲るわけにも行かないんだろう」
どこかで誰かが接触していて、そうなれば大体衝突する。大差があれば征服されてしまうので移住するなどで族を生かしてきている、強き者である単于が立った時には、それらが協力し合うので全体が増えて裕福になったりもする。
どこの世界でも会議とはまとまらない話し合いをする場のようで、右往左往して時間が流れて行った。いつものように競り合いをすることで、仕方ないから戦おうという声すら出ていた。腕組をしたまま検大人をじっと見ていると気づき「客人は何か意見があるか」言葉を投げて来る。
「難山烏桓はどのくらいの数が居るんだ?」
「我等の五倍くらいだろうか」
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