第429話


 細かいことを言えば色々とあるだろうが、重要な部分だけ真っ先に補強してしまう。特に飲料水は必要になって来るので、湧水が見つからない場合に備えておきたいところ。


「二日もあれば敵の奥側に行けるだろ、俺なら方角の心配は要らんぞ。山の寒さで弱ってもつまらん、布の他に酒も持たせるとしよう」


「我が君が率いられるおつもりで?」


「ああそうだ。途中で何が出るかは知らんが、大軍がいることだけはない。ならば俺が居た方がやりやすいだろ」


 統率力よりも武力が適切な役割、騎兵が歩兵の為に働くという事情も鑑みれば島介がピッタリな役目なのもうなずける。ただしそれを推奨するかどうかとは全くの別物。


「そのような危険は配下に任せるべきと愚考致します」


「俺もそれが正しいだろうことは理解しているんだ。だからこそ南匈奴の連中も正面防備を強化してくるはずだ」


 側面攻撃に最大の力を持ってこられたら、それは防ぎきれない。混乱が生じたとき、指揮官がより前に居る側が圧倒的に有利になれるのは古今東西を問わずに共通している。


「それが我が君のご意志ならば、文若は従います。本陣機能はお任せ下さい」


「ああそのつもりだ。先の取り決めを忘れるなよ、敵を倒して於夫羅が単于として返り咲きさえすれば冤州に戻って構わんからな」


 もし行方不明になっても探すな、あの時の話を今一度確認する。この地に留まって全体を危険に晒さないようにとのことだが、島介を失えば全て終わってしまうので荀彧も引っ掛かっている。だが、命令は命令だ。


「軍の保全を致します」


 不満があるだろう返答だったが、敢えて無視して終わりにしてしまう。その後荀彧により、泰山兵を中心としたいわゆる山岳兵のような歩兵部隊が編成された。規模の程は二千人、とてもこの状況で将軍が指揮するような部隊ではなかった。


 重装備とまでは言えないが、体力自慢の奴らを多目に選抜して戦闘力が高い歩兵団を作り上げた。その分気性は荒く、一筋縄ではいかない荒くれ共。こんなところまで半ば無理矢理連れて来られて気分も良くない、反発心が強い。一部の黒兵を親衛隊のようにして連れているが数は五十人そこそこ。


「ったく、こんな地の果てにまで来させやがってよ!」

「山越えとか言いやがってふざけてんのかったな」

「冗談じゃねぇぞ、誰だよこんな真似させんのは」


 敢えて聞こえるように文句を垂れているのは冤州軍の泰山兵、指揮官を見たことも無いような雑兵だ。黒兵がギロリと睨んでも何するものぞと睨み返して来る。供回りは居ない、それは荀彧が必要とするから。


「おい貴様、あまり不平を漏らすようならば俺がわからせてやるぞ?」


 黒兵の一人が溜まらずに凄む。兵士をしているやつらなど基本前のめりな性格で、手が先に出て来るようなのばかりだ。それでも出来るだけ統制力があるやつを用いてはいたが、山塞に待機させているのが多くて次点のものらが集まっているせいでこうなってしまった。


「ああぁん、おれたちを泰山の者と知ってって言ってんのかゴルァ」


「山賊か雑兵かで何か違いがあるのか?」


「なめてんのかクソが!」


 双方がにじりよってガンの飛ばし合いになると、さすがに放置も出来なくなってしまう。わかるようにため息をついて島介がヤレヤレと傍に行く。


「おいそこの泰山兵、揉めるのは帰ってからにするんだ」


「あんだおっさん、なめてっとブチのめすぞ!」


 黒兵が殴り掛かろうとするのを止めて「昌稀や臧覇のところの若いのか?」仕方ないので別の方法でなだめることを選ぶ。その二人の手下でないならば、拳でわからせても良いだろうと。


「大頭目様を呼び捨てとはいい度胸だな!」


「あいつらがそうしろって言うもんだからな。俺のことも別に呼び捨てで構わんのに、兄貴とか言うんだから参るよ。で、お前はあいつらのとこの奴ってことで良いのか」


「島長官、俺にこいつの首を跳ねさせてください!」


「お前は黙ってろ、ややこしくなる」


 若い泰山兵の隣で「島将軍ったら大頭目様の兄貴分だぞ、殺されてぇのかテメェ!」騒ぎに気付いた中年泰山兵が声を出して、若い奴の頭を地面にたたきつける。


「別に柄が悪いのは気にせんし、俺をどう言おうと構わん。だが作戦に支障をきたす様な言動は慎め、それだけだ」


「この馬鹿にはきっちりとクンロク入れて言い聞かせておきませんで、お許しを!」


「しっかりやっておけ。お前も一々噛みつくなよ」


「へい、島長官!」


 ここは幼稚園か何かかと思いつつも、目を閉じて全てを飲み込んでしまう。数を集めると言うことはこういうことで、誰しもが品行方正に生きているわけではない。ざわざわとして、知らない奴らが「大頭目様の兄貴分!?」などと驚いているのが聞こえて来た。


「俺はそんなにあちこちに弟を持ったつもりはないんだがね。夢の中だけでも両手で足りないとはな」


 そこからは毛色が違う奴らが一つに団結して行軍を始めた、主に恐怖で。と同時に、まさか総大将の直下で戦えるとは思っていなかったようで、多少の興奮もあるようだった。山道を二日かけて移動すると、南匈奴の部隊の斜め後ろあたりに出て来る。


「周辺の偵察に出ろ」


「わかりやした、大親分!」


 山賊面をした髭男が嬉しそうに返事をして若いのを連れて走っていくではないか。大親分、自分たちの親分の親分のような意味合いだろう、身の程を知っているかのような物言いである。


「明日の朝早くに動けるように、今日はここで直ぐに休むぞ」


 警戒だけを残して総員休息を命じた。夕暮れに戻って来た斥候の報告を受けて、翌日の先導をするように命じると自身も休む。明け方に南匈奴の陣が騒がしくなっているのが見えたと報告が上がって来る。


「北瑠の奴らだな、張遼も前進するはずだ。俺達も戦闘準備をするぞ」


 日の出過ぎに食事を終わらせて、装備を整えると山道を下って行く。木々に隠れて双方姿は見えないが、一時間も歩くと開けたところに陣取っている南匈奴軍が見えて来た。隘路に布陣して、その後ろにある中軍。左手の先、山から現れた騎兵団の奇襲を受けて浮足立っているのが手に取るようにわかる。

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