第427話


「そうだな、牽招に華を持たせてやるとしよう。志願させろ」


「畏まりました。これより手配して参ります」


 志願をさせる、一般兵ならそうはしないが、部将であるならばこういう無理もさせられた。それに功績を立てる特別な機会を与えられて悪い気はしないだろう。若い奴の仕事でもある、五百ならうってつけでもあった。日中の仕事も終わってこれから余暇を楽しもうかというところで、伯長が集められた。


 志願者は過剰に集まったので選別を行う。志願をした者には一律で報奨が与えられた、却下されたものも含めて。その精神に対する評価ということで。真っ暗で足元もおぼつかない、それでも準備が出来次第動き始めた、そうすれば暗いうちに戻って来ることが出来るから。


「冤州軍司馬牽招だ。これより我等は夜襲を行う!」


 暴風雨と呼んでも差し支えないような雨風に打たれて男達が離れた場所で集まっている。手にしているのは鎌や鉈の類で対人戦を想定していない。背負っている革袋にはお湯が詰められていて、少しでも役立つように笠と蓑も身につけている。


「目標は敵陣の幕舎の破損、敵と戦う必要はない。寝泊まりを阻害するだけで充分、不幸な奴らに戦闘から脱落してもらうぞ。決してはぐれるな、位置を見失ったら朝を待って山頂の軍旗を目印に本陣に帰還しろ!」


 縄を片手にして十人ずつで固まって進んでいく。すり足で動かなければ滑って転んでしまう、さかさまにしたバケツのようなものの中で燃える油だけが光だ。一時間以上もゆっくりと進んでいると、ついに敵陣が見えて来た。正確には焚き火が。


「ここより数カ所に目印として油を残していく、撤退時にはこれを頼りに動け!」


 風雨のせいで声が聞こえづらいので、大きなことで伝える。敵陣に聞こえる心配は皆無だ。それに暗夜に外でこの油の燃える光を見たとしても確かめに行きようがない。異常を報告しに行くのもおっくうになるような風雨だ。百人ずつの部隊に分裂して陣営に潜り込む、牽招が一カ所目の破壊を命じたところで一斉に動き始める。


「うわぁ!」


 突如天幕が傾いてぺちゃんこに倒れてしまう。中にいる兵士は慌てて火を消してから、雨風のなかでどうしたらよいか混乱した。直すにしても逃げるにしても、暗闇で風雨でやる気が急速にしぼんでいく。あちこちで倒壊する音や声が聞こえて来た、警備が集まって来るが光が全然足りない。


 いくつもの天幕が次々と破壊されていき、さすがに異常を感じ取った警備が「敵襲だ!」警報を上げ始めた。そこで竹笛が甲高く鳴り響く、南匈奴の警備兵が使うようなものではない。警笛を耳にした夜襲部隊が来た道を戻り始める、撤収の合図だ。約束の場所で少し待ってから「これより部隊は撤退するぞ!」三十人ほどが欠けたまま帰路を進む。


 帰るときはより慎重に、ここでケガをしたら元も子もない。夜明け直前になりようやく戻って来ると、風呂に入るようにと連れていかれて、そこで熱い汁も与えられた。牽招はそれを後回しにして島介のところへ向かった。


「牽子経ただ今戻りました!」


「おうご苦労だ」


「夜襲の結果、倒壊させし幕舎七十余、未帰還者現在二十七名」


 傍に侍っている荀彧に視線を向けると「日が登って後に迷っていた者らがぽつぽつ戻るでしょう」少し結果を待つ必要があると告げた。


「そうか。まずは身体を温め、飯を食って寝ろ。詳細結果は今夕あたりにまとめる」


「承知致しました!」


「よし。ここからは雑談だ、牽招、どうだった?」


 表情を緩ませて、武将の顔から先輩や指導者のそれに変えた。島介にとって若い奴らはみな可愛い部下であり後輩なのだ。


「作戦とは企画時点で八割だと感じました。現場指揮官は残りの二割をどうするかが役目かと感じた次第です」


「良い感想だ。やってみた者しか感じられんことだからな、これが経験という奴だ。必ず人生で役に立つ、忘れても構わんが必要な時には思い出せよ」


 近づいて肩のあたりをポンと叩いてやり笑顔を向けた。すると牽招は嬉しそうに笑い「はい!」素直な返事をしてくる。荀彧はそのやりとりをじっと見つめていた、あるべき主君と部下の姿だなと。結果、南匈奴の重軽傷者は百を超え体調不良でかなりの数が数日使い物にならなくなり、未帰還者は三人だった。文句のない勝利。



 雨上がりの朝、空は綺麗に晴れ上がっていた。山の先にある景色も心なしか輪郭がはっきりとしているように思える。天候が回復したということは戦いが再開されるということだ。


「張遼軍団が前進します!」


 歩兵ばかりの軍兵団がまた山道を進んでいく、四日の休養は双方の体力を回復させている。一部の不幸な兵士と、不用意な部隊の兵士らは逆に弱っているが。だとしても多少の差異など戦況に何も変わりをもたらすことはない。


「他の軍も姿を現す頃でありましょう」


 河の向こうにある山脈のあたりで、ちらちらと軍旗が揺れているように思える。傍仕えの若い奴に「あそこに何かいるだろう、どいつだ」見て来るように命じて待つこと十数分、駆け足で戻って来た。


「『安国』の字が見えました!」


「ふむ、曹操のやつか、どこかで渡河してきたらしいな」


 橋など掛かってない、浅瀬を進んで河を渡るしか手段など無い。その浅瀬だって崖下かも知れないし、情報など手元にないのだ。それでも現実に河の反対にいるのならば、それだけを受け止めることにする。


「曹操殿が渡れたのです、南匈奴の軍も居るでしょう。もし味方が少数ならば」


 見えてはいるが届かない、不利になった側は蹂躙される可能性があった。手探りで未知の場所に踏み込むほど曹操が眠たいやつならば、中華の半分以上を手にすることはないだろう。


「あいつのことだ、有利に事を運べるから進んだんだろ。小競り合いもそろそろ飽きて来た、左右の歩兵も前進させるんだ」


「御意。軍旗隊へ命令を下すのだ」


 山頂に陣取る部隊が、赤と黄色の大きな旗を括りつけたものを振り続ける。予備隊の前進合図、それをみた部隊司令部が前進命令を出す。どこが目標というわけではない、敵が居る方向へ移動しろという大雑把な話でしかない。そのまま待ち続け昼過ぎ、中央の歩兵がやや位置を前に押しだしているように見えた。


「張遼に前に出るように命じろ。戦線を押し上げるぞ」


「承知致しました。本営より各隊に連携を命じます」


「ああ任せる」


 荀彧が伝令を多数呼び寄せて矢継ぎ早に命令を下してゆく、一人で行かせることはなく、必ず五人以上で伝令を走らせる。後方部隊から物資を前に、前衛は獲得した地歩を堅守して後方部隊が到達すると役割を交代した。梯団方式と呼ばれているこの戦法は、それぞれの部隊が同じだけの練度を求められる。

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