第425話

 張遼が違和感を言葉にする。万里の長城を越えて侵略して来る奴らは集団行動に長けていた、脅威だったので平地の民である漢は城に籠もって震えているしかかった過去がある。それが血族集団なわけがないので説明と食い違う。


「軍長の命令に従わない軍令違反者は、郷に残してきた家族が不遇を見るということだろうな」


 即ち違反者は一族まるごと奴隷にされるなどのペナルティが課される。ならば命令に従って死んだ方が家族の為になるのだ。遠征ということで意志の確認は取れているので、恐らく世界中あちこちで見られる仕組み。それが良いとか悪いとかは関係ない、取り決めは強制力を持っているので途中で辞めることは出来ない。


「本来、徴されし者が命に背けば家族は拘束され強制労働に処される。それは漢でもかわらぬこと。某が数えるところ、我が君が直卒される軍兵では極めて少ない事例かと」


 極めて少ない、つまりは存在はしている。どれだけ厳しく律することが出来ても違反者は出て来る、これは確率の問題ではなく性質の問題。厳しいがゆえに見逃すことが出来ない、またそうされることを許容してしまう人物がいるから。


「兵役は義務だからな。確かに島将軍の下では指揮がしやすい、報酬が出ているからだろうな」


 兵役義務、その地の領主や軍の司令官に与えられた権限。納税の義務と変わらず、普通に課せられる農民への制約。当たり前に扱われるので双方とも疑問に思うことはない、そういうものだ。けれども島介は違った、異常者はいつでも島介の方だ。


「労働へは正当な報酬を支払うことにしている。功績には適切な行賞をすることにしている。信頼には行動で返答することにしている。期待には結果で示すことにしている。俺は俺であるために決して譲らんことが幾つもある。我がままだがこれだけはそうさせてもらう。これまでも、これからも」


「ああ、我が君。そのお志をこそ我等荀氏は求めておりました!」


 今日は今日で荀彧が感激に膝を折る。現代的な精神と道の心、荀氏は生まれるのが二千年ばかり早すぎた一族らしい。張遼は張遼で平気な顔をしていた。


「俺は功績を認められて官を進められるってならなんでもいい。やっぱり男子たるものは大身を目指したいからな」


 よっぽど単純で扱いやすい、そのうえで納得出来る理由を言葉にされて安心した。対価があって初めて人は努力する、非常に理解しやすい行動規範だった。


「話を戻すぞ。匈奴の奴らは数が多く力は強くても、統制力の面では決して高くない。無論、単于の周辺は別だろうが、隅々までとはいかん。そこが弱点だ」


 司令部へ圧迫をかける、これは戦場に立っている部隊では考えが及ぶところではないし、個別にどうにかできるようなことではない。荀彧は目を細めて思案を進めた。ピクリとしたところで島介が目線を向ける。


「策をあげろ」


「南匈奴は現在一つの分岐点に立たされております。単于の座をかけての争い。これ自体は部族が望むところでありますが、そこに我等、漢の者らが在るのが不満でありましょう。具に状況を確かめ、いかにして切り抜けるかを模索しているのが道理」


 今のこちらもその通りで、情報収集をしてはいかに有利になれるかを思案している。司令官は情報がいかに少なくても判断しなければならない、それが最大の役目だ。


「そうだ、これは殲滅戦ではない。落としどころは単于の座の行方」


「そこで御座います。呼攀単于は我等の意図と行動を必死に探っております。そこで偽情報を仕掛け錯誤をまきます」


 虚報による情報攻撃、この策の嫌らしいところは嘘だと解っていても全て精査しなければならない。単純な話、誰にでも簡単にわかる誤報を山ほど用意してはなってやったとしても精査に労力をかけなければならいのだ。迎撃するのが攻撃するより苦労するのと同じで、自由気ままに仕掛け続けるだけで相手が疲弊するのを誘える。


「嘘八百か」


「矢継ぎ早に誤報を流し続けますれば、いずれ単于の供回りも疲労します」


「そう言えばこういう時に有効な手段があると聞いたな」


 どこの誰にと聞かれたら、島介はファッキンサージという単語を頭に思い浮かべてから、師匠だと変換して答えるだろう。


「後学の為にご教示頂けたら幸い」


「多くの偽情報の中に事実を混ぜると確度が乱れる。その上でだ」じっと荀彧を真剣に見詰めてから笑う「流した情報を追うように行動を起こす、そうすれば予言にすらなるからな」


「なんと、未来を推察するではなく予言するとは。なるほど確かに策略者と決定者が同一ならば可能」


 軍師参謀の類は、主たる将軍らの権限の下で知恵だけを差し出すのが役目。それ以上の直接的な権限は持ち合わせていない助言者だ。その知恵袋が行動まで出来たら主人の地位が脅かされてしまうので、権限を弱められている。いま島介はそんな制度を無視して、荀彧に全てを任せようと言っているのだ。


「俺よりも荀彧の方が上手くやれるのは解り切ってるからな。全て任せる、案だけは俺が出したのを忘れるなよ」


 精一杯の冗談でそう言ってやった。荀彧は拱手して首を垂れた。


「我が君のお言葉通り、信頼には行動で返答させて頂きます。張遼殿、委細詰めますので我が幕へおいで下さい」


「わかった。じゃあ島将軍俺達はこれで」


 二人が連れ立って出て行って、妙に部屋が広い感じがしてしまう。任せることが出来る相手が居るのは幸せなことだ、そう信じて。


 広大な地に大きく展開する両軍。山を隔てて布陣しているので、味方であってもどこに居るのかは絵図でしか確認できない。全軍の最前線に身を置いているのは、恭荻将軍の軍、その少し後ろに奮威将軍呂布、左右にやや離れて安国将軍曹操、奮武将軍公孫賛と討慮将軍劉備。平難将軍袁紹は衛将軍馬日碇と共に少し後方に居た。


「さあ始まるぞ宴が」


「南匈奴の部族のうち五つが広域防衛の為に距離を置いております」


「そうか」


 荀彧の虚報につられて幾つかが戦力から外れた。名目は指定地域の防衛だが、事実上の更迭。偽情報で敵戦力を落としたのだから功績は莫大だ。断崖絶壁の間を河が流れている、左手――北側には平地も見えるが双方軍を置いているのは防御効果が見込める山岳だ。


「後方で狼煙があがっております!」


 後方とは南、即ち衛将軍本営があるところ。上がっている狼煙は二本ずつが二カ所から、つまりは決戦を開始せよ、という合図だ。天気の程は雲が厚いが雨は降っていない、風はやや強い。射撃に有利な位置を占められると厳しい局面がありそうだが、風向きがどう変化するかなどまでの情報は集められていない。


「では進むとしよう。軍旗を振れ、前進だ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る