第424話

 確かに河南から冤州を攻撃するのはかなりの骨だ。策源地が遠いのと、増援が見込めるから。洛陽で頑張るよりも遥かに選択肢が多い。もし長安で争えば、どちらかが西涼方面へ逃げて行くのだろう、となれば東西両方を警戒するのはやはり難しいので洛陽より更に遠い冤州は安全性が高い。


「わずか数日、その瞬間をいかに過ごすかだな」


「必ず兆候を掴みますので、それまでご辛抱くださいませ」


 荀彧であっても何時なのかまでは読み切れていない。そして荀彧でわからなければ誰にも分らないだろうことは島介も納得いく。目の前で火事が起ころうとしているのに、数年先のことを思案している、これこそが頂点の思考だ。


「敵を相手に切った張ったしている方が遥かに楽だと解ってはいたが、こうも顕著だとはな」


「そのような台詞を口にしている人物は、我が君とあと数名だけでありましょう」


 敵ならば戦って胴と首を切り離すだけ、そうなって生きていた人物とはまだ出会ったことが無い。ところが形だけでも味方という扱いならば面倒でしかなかった。


「南匈奴を解決した後に幽州へ帰還する。俺達の知らない山道が他にもあるはずだからそれを通ってな。来た道を戻れるかもしれないなどという甘い考えは捨てろ」


「御意」


「麾下に行軍準備を発令しろ。明日朝に出るぞ」


 漁陽の軍に命令が下ると、北瑠が姿を現した。あの日から黙って従って来ている北部騎兵団の指揮官、用事があって来たのだろうことしか推測できない。


「どうした北瑠」


「島長官、我等北狄騎兵は幼少の頃に羽長官に保護されて中原へと移った。その生まれ育ちは様々で、記憶があるものも無い者もいる」


 真剣そのものの表情で急に過去のことを語り始めた。今さら郷土が懐かしくなったわけでもないだろう。そしてこれからの話に無関係でもない。


「お前が何を言いたいかは知らんが、これだけは言っておく。俺はお前の判断を決して蔑ろにはしない、そうだと信じた行動をするんだ」


 じっと目を細めて島介は北瑠の瞳を覗き込む、微動だにしないまま暫く沈黙の時間が流れる。するとすっと片方の膝をついて拳礼をすると部屋を出て行った。


「一々やって来ないでも信頼しているってのにな。まあ俺の方が信用されてないだけか、やれやれだな」


 腕を組んで目を閉じる。行動で示しているつもりではあるが、それが伝わっているかはわからない。言葉は必要になるが、言葉だけでは足りない。結局のところ先頭を歩んでついてきたい者だけそうしろというのがいつもの形なのだ。来るもの拒まず、去る者追わず。


 翌朝守備兵の一部のみを残して麾下の軍を前進基地へ向けて進めてしまう、張遼が前衛で乗り込んでいるのでその側背に位置する形で。山と背が低い植物、生命力が弱そうな大地。遊牧民とは定住するだけの力が無い土地特有の生き様でもある。


「荀彧一つ取り決めておくぞ」


「我が君、何なりと」


「もしこの地で連絡が取れず不明になれば、冤州で合流する為に自身のことだけを考えて行動しろ。敢えて近隣で見つめ合うために動くことはない」


 遭難時に力を分散して良いことなどない。余力を削って何かをしようとすれば、それは己だけでなく相手も不利になる可能性を孕んでいた。


「ご命令とあらば」


「ああこいつは命令だ。絶対に帰還しろ、すべてはそれからだ」


 厳命しておかなければ部下は絶対に島介を救助しようとして混乱する、そうすることで見付けられたとしても大被害を受けてしまっていては今後に支障がある。最終的な目標はずっとずっと遠くにあるのだから。


「将軍、昇竜塞です!」


 要塞に適当な名前を付けている、そのほうが便利だから。名前は何でもよかったが、岩場が競りあがっていて竜のような姿にも見えたのでピッタイだと少し口元があがる。厄介そうな縄張りを構築されているので、五倍の敵を支えて数日籠もることが出来そうな良い造りだ。


「よし、ここに入るとするか。張遼に伝令を出せ、状況報告に出頭しろとな」


 他の要塞に於夫羅たちも向かった、分散して入るので首脳部も別々に陣地入りしていた。元より指揮系統は違うし、一人でも充分やっていける奴らだから何の指示もしていない、行動報告位は届けるようにはしていたが。その日の夜に三百人の供回りを引き連れて張遼がやって来た。


「島将軍!」


「おい来たな張遼。まずはこいつを一杯いっておけ、木の実の茶だよ、酸味が美味いのがあってな」


 ベリーの類で木の実かといわれたら良くわからないが、香りは良く味は確かにすっぱい。僅かに甘みがあるので飲みやすかった、煮沸した水分をとるための手段でしかないが。それをグイっと飲み干すと、小さく何度か頷いて器を戻す。


「ここ数日で東西から匈奴兵が集まってきているようで騒がしくなってる。それでも動きはない、全部揃うまで待ってるような感じだ」


「決戦に参加できないと苦情が出るのかも知れんな。小部隊の戦闘ではなく部族の一大事だ、形式は必須なんだろう」


 他者の面子を守ってやらないと勝ってもその後に影を落とす、これは政治的な闘争も込みの大事だ。そういう意味では漢もそうだ、ここで島介が奇襲をかけて大勝利しても漢の勝利として扱うためにはもう一度決戦をする必要性が生じる。理不尽でも不思議でも、戦争というのはそういうものだ。


「流石に奴ら騎兵が多い、けれども歩兵が半分以上だからこっちより多少多いかなって程度だ。長城を越えて来る時はほとんど騎兵だが、案外一般の歩兵が主だったんだな」


「ほう。荀彧、そのあたりはどうなんだ?」


 全部騎兵だととてもではないけれども戦闘などしていられない、どうやって陣を組んでやろうかと考えていたところに衝撃的な報告。当然馬を隠している可能性もある。


「一家の主が騎馬をするのは南匈奴では常識でありますが、複数の馬を所持しているのが常かと申しますと様々としか。貧富の差が小さいのは遊牧民の特徴であります、ですがそれは定住民の平均より遥かに低い。騎馬を用意出来ず徒歩が主となることも自然かと」


「ふむ。ランスか……いや、主の槍一本に従者が複数付き従う戦力団を、槍の数で表現する西方国家の認識形式がある。その際の不都合があったな」


「といいますと?」


 いつもどこからか不明の知識を引っ張って来る島介に、荀彧の興味は尽きない。共に在るようになってから知ったが、別にこれといった外の者らとやり取りをしていない、ならば過去にそういった知識を仕入れたことがあるだけとしか言えない。それなのに未だに知らないことが沢山湧いて出て来る。一体どのような幼少期を送ってきているのか、いつか知りたいと考えていた。


「そのままだ、騎馬に従う歩兵を基準に行動力を合わせなければならい。それと判断は騎馬の主がそれぞれ行うので統制力が低い。集団の長がそのままそれぞれの主であるような、血族集団なら別だが」


「でも島将軍、それなら長城越えしてくる奴らはなんだってんだ?」

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