第423話


 裏切りではなく独自の行動と表現した、何せ味方と思っていないから。その理由もしっかりと荀彧には伝わっていて微笑している。


「こちらが抜き差しならない状態、即ち南匈奴の本隊と交戦を始めた頃で御座いましょう」


 臨戦状態の敵を目の前にすれば、そこでやめたと切り上げるわけにも行かない。何せ山道は細く、大勢が一斉に駆け抜けられるようなものではない。不意をついて暗夜に撤退したとしても、追いかけられたら後続が食いつかれるのは目に見えている。


「だろうな。あいつらが道を遮断するまでありそうだ」


 肩をすくめて最悪の一つを披露する。来た道を戻ることは出来ない、それを前提に行動するつもりではあるが、回り道が出来るかは未知数。


「逃げ回るよりは戦いに勝利した方が早いかと」


「なるほど、言えてるな」


 真剣に口にしてから互いを見て声を出して笑ってしまう。困難窮まるような内容を、さも仕方ないからそうするという感じでいるのだからそうもなる。


「呂布だが、前に出て戦って貰う方が良いんだろうが、あいつはあいつでどうするつもりやら」


「それですが、幽州刺史として推挙するようにと手筈を組んで御座います」


「なんだって? 呂布がか、ふーむ」


 公孫賛に曹操、それに袁紹、そこへ更に呂布まで混ぜてしまうと混迷しか産まれなさそうだ。手を繋ぐことはない、ぶつかると大事になるが狭い地域で大人しくしているはずがない。


「素直に受けるとも思えんが」


「かの将軍は領地を欲しております。都より荊州へ落ち、そこでも上手くゆかず、予州や冀州などでも見込みなし。目指す先はありましても、まずは休める地を求めるでしょう」


「それは理解出来るが、幽州はそこまで広くないぞ。公孫賛が東を、曹操が西を。青州あたりも含めたとしても袁紹だって居るんだぞ」


 それぞれが万の軍勢を手にしている以上は、一つの郡だけでは食わしてはいけない。複数となると人口の都合から、幽州では四つの群雄が割拠するにはあまりに狭い。


「呂布殿は薊を境に北西部に影響力を及ばすでしょう。匈奴の地に食い込んでも構わずにです」


「ここで勝利すれば睨みも効くから悪くはないだろう。公孫賛は海沿い青州方面か。袁紹は啄郡と渤海郡、その間を平定するとして、呂布と対抗するのに気を持って行くだろう。だがそれでは曹操はどうするんだ」


 黙って退くはずがない、袁紹と手を組むくらいはありそうだが、曹操が決定権を持てない状態で満足するとも思えなかった。かといって呂布とは慣れ合うはずがないし、公孫賛ともそれは同じ。


「かの御仁のところには志才が居りますので、東郡と魏郡より中原を目指すという方針になるでしょう」


 東郡は冤州で、夏侯惇が太守をしている。曹操の領地と同義なので、冀州の南端にある魏郡と結着させるのも納得いった。なによりも曹操と魏という響きが島介にはしっくりときた。


「そうなると俺が邪魔だな」


「住民の為にも争わないと宣言致しますれば、我が君は邪険には出来ないのではないでしょうか」


「壁扱いか。まあ実際そう言われたら敢えて戦いはしないだろうな」


 曹操が嫌いではないし、自分のことだけを考えて駆逐するつもりもない。ならば相手が戦わないというならば、放置してしまうのは自分でも理解出来た。荀彧がそう判断した以上は、似たような智者はやはり同じように判断するだろう。


「いずれ河南地方を保持出来ればという考えでしょうが、李鶴、郭汜の勢力が崩れない限りは近寄らずが正解かと」


「向こうとしても曹操が出てこないなら、俺を攻撃することになるだろうし、じっくりと準備が出来そうだな。まあいいさ、時間はこちらにも利益をもたらしてくれるからな。それに、そこまで読んでいるということは、何かしらの予定があるんだろ」


 ある種、東郡が北方からの異変の防壁になってくれるのはお互い様といえた。泰山を越えることは考えられないので、済北あたりに注目を向けておけば察知できる。


「いかにして都に乱をもたらすか。外敵ではなく内からというのが定説でして」


「李鶴と郭汜の仲たがいか。あいつらは長い付き合いの同僚なんだよな、つけいる隙はあるのか?」


 人となりを詳しくは知らないが、島介にとって長年の同僚ほど信頼し合っている人物はない。それを切り離すのは非常に難しいと思っていた。


「同僚でもあり幼なじみであるとか。間諜によりますれば、互いの陣営に行っては寝泊まりをし、夜を徹して飲むことがあるとか」


「幼なじみだって、そりゃどうにもならんだろう」


 恐らくは敵同士の立場であっても庇うことになるだろう間柄。何なら親兄弟よりも結束が強い可能性すらある。島介がとある親友を思い浮かべた、あいつが世界中を敵に回したとしてもきっと擁護するだろうなと。


「人同士の繋がりは心であると申しますが、郭汜殿には細君がおられます、無論李鶴殿にも。さてどちらをとるわけにもゆかぬ時、どうするでしょうか」


「むむむ」


 妻のことを第一に想えば友との間柄が崩れる、逆もまた然り。妻が居て中年となれば子供もいる、家族が幾人も居るならばどう判断するか。妻子をとって親友には理解をしてもらう、きっとこうなるだろうと想像した。


「気分は良くないが、これは戦争だからな。もし荀彧が妻と俺とで悩むことがあれば、気にせずに家族を選べよ」


 荀彧は微笑むだけで何も答えなかった。そのような策に嵌められるつもりはないし、主君も妻も見捨てるつもりはないから。


「一度傾いてしまったら心の水平はもう元には戻りません。きっかけを得て互いを攻撃しあうでしょう」


「そうだな、そこでようやく俺の出番なわけか。劉協は洛陽へ向かうだろうか?」


 長安から脱出して北に向かうことはないだろうし、蜀へ向けて益州へ行くことも無い。洛陽か、同族が治めている荊州を目指すかといったところ。荊州の方が安全で良いのかもと思ってしまった。


「間違いなく洛陽へお向かいになられるでしょう。祖先の祖廟を蔑ろにし、正統性を主張することは御座いません」


「陳留と洛陽の間の距離が恨めしいな」


 そういうと島介は頭を左右に振った、河南を制圧するだけの力はあるだろうけれども、そこに力をつぎ込んでしまうわけにはいかないと理解しているから。そんなことをすると支配地が東西に伸びすぎてしまい、逆に不安定になってしまう。


「一度必要な手順を踏みさえずれば、その距離こそが安定を産み出しますので」

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