第422話


「曹操殿、皆の手前で御座いますれば、お気遣いなく」


 苦笑して礼に及ばずと頭を振る。本来ならば限界まで見極めて行動に起こすよう助言したいが、寿命が無いのでどうにもならない。概要だけでそれ以上は手の施しようがなかった。


「やはり貴殿は格が違う。目から鱗が落ちる想いだった」


「某が気づけることでしたら、文若殿も気付いているでしょう」


「ふむ、恭荻将軍と荀氏か。あの者らならば確かにやりそうではあるな」


 曹操は自分とは違い、皇帝を招けばやって来てくれる間柄だというのを見知っていた。それでも長安から離脱して、それを受け入れるという流れは必須。ならば狙うはそこになる。


「冤州に皇帝陛下が入る前に奪い取る、或いは冤州の手前に地を持つしか御座いません」


 冤州の手前と言えば言わずと知れた河南の洛陽。あそこを手に入れること自体は無理とは言えない、だが維持するとなるとかなりの負担がかかって来る。手に入れて維持できているその瞬間に、皇帝を迎え入れるタイミングが来ないと厳しい。時間制限がある、それは弱点だ。


「現実的には前者を選ぶしかないだろうな」


「御意に」


 道さえ定まれば曹操だけでも上手に出来る、それだけの知略があるのは戯英にも感じられていた。後はどれだけ不慮の事態が挟まって来るか。こればかりは現場に身を置かねばどうにも出来ない。


「匈奴など赤子の手を捻るが如しではあるが、中原の覇権はそうもいかぬものだな」


 曹操がため息をつく。聞く者が聞けば鼻で笑うだろう大言壮語であるが、それを成し遂げるだけの十分な素地があると解っている者にとっては心強い言葉。実際数が集まって戦うだけのことなど、後ろで指揮していれば何の心配もない。数が五分五分程度ならば八割がたそれで済む。


「のう志才よ、そなたが没した後に、儂は誰を頼れば良い?」


 戯英も曹操が気に入っているから仕えている、その後の事を乞われたら無下に勝手にしろとも言えない。かといって意中の人物は既に誰かに仕えている。それでも一応伝えるだけは伝えておく。


「当人に迷惑が掛かるかも知れませんので、人となりだけを。物事を常に的確にとらえ、より遠くを見ぬくことが出来、謀略に極めて適したものが御座います。ですが間違っても品行方正とは言い難く、幾人もと軋轢を持つでしょう」


「儂が求めるのはその才覚だ、形ばかりにこだわる儒者など傍にはいらん」


 孔融や楊彪など、名声が異様に高いものらのことを想定して言い捨てた。何かあれば常に思想からしか入らないので、無能どころか有害と見切っていた。


「その者の名は」


「郭嘉、字を奉孝と申します。今頃、都でくしゃみをしているでしょう」


「ああ、また恭荻将軍か! なんなのだあいつは!」


 郭嘉が島介の配下として行動していると報告を受け取っていた、今現在長安で勤務しているとも。荀氏だけでは飽き足らず、戯英が勧める人材までもが既に手を付けられていることに大いに憤慨する。


「先ほども申し上げました通り、決して穏やかな性格ではございません。幕を割るかのような言動があれば、放逐されることもありましょう」


 たとえ主が構わないと言っても、それに耐えられない者が複数居れば、郭嘉をとるか他をとるかを選ばなければならないことも出て来るかも知れない。またそういう雰囲気を促進する離間策を練るべきだと言っているのだ。


「そなたが傍に居てくれて本当に良かった。望みがあれば何でも言うのだ、儂が叶えてみせる」


「でしたら、某の亡骸は、故郷の見える丘にお願いしたく」


「承った! 何があろうと必ずそうすると、天と地に誓い約束しよう!」


 見切りや不承知が多かった曹操だが、戯英とのこの約束は後に実行された。それも彼自身の手によって。それほど存在が大きかったと、晩年に振り返ることになる。だが今はまだその時ではなかった、


 暫くすると南匈奴との間に前哨戦が勃発する。これにかんしては危なげなく漢軍があっさりと勝利した、少しぶつかると南匈奴の連中が撤退していったから。中央でも島介が呆気ない報告に首を傾げていた。


「なあ荀彧、あいつらはそんなに臆病だったのか?」


「そのように疑問を持たれたのでしたら、きっと擬態なのでしょう。決戦で勝った者が勝者ゆえ、前哨戦でどうなろうとさして意味は御座いません」


 なら最初から三方に別れて対峙することもないだろうと思ってはみたものの、何もせずにいきなり全力で決戦というのもどうかと考えてしまった。少なくとも指揮系統や軍の数、それに日数の消化はされているので変化はある。特に武将と兵数の確認が出来たのは大きいはずだ。


「だよな。で、ここらに全軍集合まであと数日っぽいが、軍で溢れても困るから前進しておくとするか」


「御意に。山向こうに要塞を幾つか準備いたしましたので、そこへ入られるとよろしいかと」


 道があり、高さがあって水が手に入れば即ち要塞だ。適切な場所を繋ぎ合わせて縄張りにして、兵の居場所を用意する。言うは易しで、これをやろうとすると実地を見て回らなければならない。地の選定一つで、生きるか死ぬかの数がけた違いになるので甘い仕事ではない。


「食糧は余分に抱えていくようにさせた方が良いな。貯蔵地にも詰めて置くべきか」


「委細お任せを」


「最近俺はお前に頼り過ぎていると思うがどうだ」


 何せ結果を示せば良いように処理してくれる、むしろ自分でやるより上手に。ならばと任せてしまうことが多い上に、自分で出来ないことも任せるからあっという間に過剰な分量になった。


「雑務など配下に任せて然るべきでありましょう」


「ふむ」


 今までいくどそのように言われてきたか、ここでまた耳にすると何人もの顔を思い出してしまう。島介にはあまりに心当たりがありすぎた。ただ、荀彧にとっての雑務はレベルが高すぎるという部分はある。


「では話題を変えよう。公孫賛はどの段階で独自の行動をとると考えている」

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