第417話

「中原に比べればこのあたりは人口希薄な地域です。土地がやせているわけでもないと思うのですが、何故こうも発展していないのでしょう?」


 張絋はなるほど、そういった疑問にならば応えられると考えをまとめる。どのように表現したら、孫策が知りたい答えになるかを含めて。


「我等の版図にはいくつもの江があるが、二大河川といえば黄河と長江になる。この二つ、延長規模としてはほぼかわらぬが、圧倒的に黄河の方が水量が少ない」


「水量が?」


「うむ。本来ならば、洪水で氾濫した領域の方が地は育つ。だが水運に始まり、江を越える流通、人々が暮らすうえでの利便性とでもいうか、それらが江南は厳しい。ゆえに人々は強くは育つが、豊かになるのは江北になった」


 歴史の授業の雰囲気が出て来る、孫策はそれをじっと聞いていた。疑問を持つのは後でも良い、まずは話を全て聞こうという姿勢。


「国家が多数存在していた春秋戦国時代ならば、制限された区域での発展を目指したものだが、漢に統一されてからはより広い領域全体での発展性を求めるようになった。豊かな地に人が集まり、更に発展する。それを中原と呼び、政治の中心にもした。僻地を盛り立てるよりは、中央に移住するなりした方が良いと多くの者が考えた結果であろうな」


「そうでしたか。国家が割れているのと統一されているのでは……勉強になりました。ありがとうございます!」


 他者に説明することで己の認識を改めて知ることが出来る、それは復習のような行為であり人は常に求められていることだ。張絋にしてみれば、聞き手が居てくれた方が良い面すらあった。


「お互い様だよ。偏りを見せてしまった今では、中原のみで賄うことが出来なくなり、地方からあたかも収奪する形で富の移動をおこなっているのだから、何が良くて何が悪いかは時代によるものだ」


 その時々で同じ行為でも価値が変わる、理解はできるが価値の基準が今どのあたりにあるかを見極めるのは並大抵ではない。商人が相場の方向性を見切ることが出来ないのと一緒だ、終わってみて初めて明らかになって来る。


「戦略とは、その価値を変化させること。穀倉地帯を押さえるのがいかに重要か。荊州が閉ざされた今、江東の平野部である丹楊北部と呉、そして豫章がその対象。豫章が与しやすしと思わせれば、袁術はそちらへ向かうでしょう。あたかも水が低きに流れるように」


「伯符には才能があるようだ。劉揚州との会談で、豫章に乱れが起こるように謀議するとしよう」


 枠組みの中でならば張絋も目一杯能力を発揮できる、所詮その程度の実力でしかないというのを噛みしめて、納得すらしてしまう。天才とは存在する、そしてそれは自分ではないと目の前の若者を見詰めた。


「自分は身体を動かしているほうが性に合っています。練兵場へ行ってきます」


 座したまま張絋は孫策の背を見送る。もしこのまま成長して行ったら、どこまで大きくなるかを。


「子布殿に早く会わせてやりたいものだ、きっと驚くであろうな」


 自分が受けた衝撃を、張昭も同じく受けるだろうことを想像すると少し笑ってしまった。こういう驚きならならばいつでも良いと。劉揚州と会うだけではなく、一度直接訪問してみよう、そう思う張絋であった。


 右北平郡の北の際にある令支県、ここに公孫賛と劉備の軍団が一部駐屯している。公孫賛の出生地でもあり、一番信用出来る県ということもあった。孫策の部将である程普と韓当の出生地もここ令支県である。


 数万の軍勢が拠るには小さすぎる街ではあるが、これらがまとめて駐屯できるような街は近隣には無い。幽州にはないと言った方が良いだろうか。何せ辺境の地で、広さだけはいくらでもあるが人間が暮らせる場所というのは極端に狭い。歩兵らは徐無県へと向かわせていた。


「さて玄徳、いよいよ北狄を討伐に出られるな」


 幕には数人が集まっていて、劉備と関羽以外は全て公孫賛の手勢だった。これといって敵意は感じられない、それでも関羽は胸を反らせて青龍偃月刀を片手に劉備の後ろに立って控えている。


「全体の方針では各所で戦いを起こし勝利した後に、薊の北部で決戦に持ち込むとのこと」


 ここで完膚なきまでに押し出して蹴散らすのが目的ではない、軍勢同士をぶつけて僅かに勝ちを収めるだけで良い。つまりは奥の手をここで明かすような真似はしない方が賢明だ。もっとも隠しておけるほどの戦力など劉備には無いが。


「衛将軍殿はそのように考えておられるようだが、敵をここで減らしておくのは後々の為になりますぞ。害虫は見つけ次第殺すのが常識」


 奮武将軍長吏の関靖が、歪んだ笑みを浮かべてそう言い放つ。関羽は表情こそ変えなかったが、その物言いに嫌悪感を抱いた、劉備は冷静そのもので無表情で何を考えているかさっぱりわからない。


「伯圭殿はいかようにお考えでしょうか」


 丁寧な無視とも思えるし、公孫賛を立てているとも思える、関靖は取り敢えず口を閉ざして控えた。座しているのは公孫一族で、他は立って正面を見詰めている。


「勝利することを最優先とし、深追いはしない。これは緒戦であって目的は小物を討ち取ることではない」


 納得のいく言葉、これまたどちらでもないようであり、どちらとも取れる。あえてはっきりとさせないことが肝要なのは、朝廷であっても戦陣であっても幾らでも例はあった。


「然り。長城を越えて進み、山地での戦いになりましょう。南匈奴の騎兵は、このような峻厳な地でも戦うことが出来るのでしょうか」


 中原は野山があってもそこまで切り立った崖や、深い河など少ない。ところが右北平の北部、長城が建てられているあたりは山脈が連なっていて道も細い。ただ歩くだけでも大変だというのに、騎馬して戦うことがどこまで現実的か。


「ふぅむ、王門よどうだ」


 島介に酷評されている王門だが、奮武司馬と公孫賛の幕では関靖の次に席次が高い。関靖に関しても島介は厳しい評価をしていた。ではなぜそのようなものらが上席なのかについては、公孫賛の性格が影響している。公孫賛は自分を大きく見せることが出来るようになるため、小者を重用する癖があった。だからこの二人を寵愛しているのだ。

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