第416話

「実働の部隊長としてはその者らに御座いますが、それらが擁立した人物が居ります。閻柔という者を烏桓司馬として持ち上げ、行動の名目を保っておりました。現在は烏桓校尉の印綬を継承しておられる様子」


 妙な表現だったのが気になり指摘すると「先の烏桓校尉は北方民族に不人気だったようです」烏桓や鮮卑の助けを借りて、先任から奪い取ったと説明を受けた。なるほど人望があるのだと受け止めておく。


「その閻柔というのを認めてやり、烏桓、鮮卑らに公孫賛を牽制させるわけか。公孫賛は異民族を目の敵にしているし、拒否される可能性は低そうだな。で、それは脇を固める為の動きだな。本命はなんだ」

 これだけで終わるなら、荀彧がこうも世に名声を轟かせているはずがない。柔和な笑みを浮かべたまま、畏まる。


「世は乱れ、都では李鶴、郭汜らが乱暴狼藉を行っております。関所は往来を差し止められ、実情は見られません。ですが今、衛軍はまさに南匈奴と交戦を始めることとなりました。であるならば、戦況を具に報告する為の伝令が行くのを差し止めることは出来ますまい」


「…………伝令を飛ばすと同時に、都への指示を出すわけか。こちらへ戻って来る奴は少ないだろうが、全てを留め置くことも出来ないわけだ」


「この戦況を利用して、朝廷工作を行うと同時に、都の情報を探ります。幽州にあっても戦場はここだけに限りません」


 そんな方法があったかと感心してしまう。人選やら交通整理やらが大変だろうと思ったが、恐らくは潁川を目指して走るだけで、全ての手筈がそこで整うこともうかがい知れた。


「我等荀氏一同、必ずや我が君の目指す未来を支えさせて頂きますゆえ」


「うむ。誤ったらいつでも俺を見限ってくれて良いからな」


 荀彧は微笑むだけで何も反応を見せない。誤るならば正すだろう、そして見限る位ならば見いだした己の間違いを受け入れるだろう。


 丹楊で軍兵を鍛え続けている間、孫策はやるべきことを思案していた。優秀な部下がいるので、賊などは直ぐに撃破するだろうと確信していた。その後についてを考えた、順番が非常に大切になって来ると。部屋で一人姿勢を正し座り、机の上に広げられている地図をじっと見つめている。


「伯符よ、随分と熱心だな」


「先生。御用でしたら自分が伺いましたのに」


 主君が誰かははっきりとしているが、それとこれとは別だ。師を立てるのは当たり前であり、若年者が年長者を敬うのもまた当たり前という姿勢。


「なに、旧知の者と手紙でやり取りをしていると気になってしまってな。報せもせずに来てしまった」


「懸念無くいつでもお出で下さい。先生は自分の母と弟を守ってくださった恩人です」


 言葉を飾らず真っすぐな好意を向けられてしまい、普段迂遠な付き合いばかりをしていた張絋が微笑む。こういうのも良いものだと。部屋に入ると眼前に腰を下ろす。


「揚州の絵図か。今後の戦略についてどこが肝要と見ておるかね」


 視線を張絋から地図に移すと、丹陽の宛陵がある位置に指を置き動かす。それは呉や会稽がある東側にではなく、何故か西側へと動いて行き行軍距離で六日七日あたりにある春穀県を指したではないか。


「ここです」


「ふぅむ……春穀県。というと?」


「揚州東部を支配した後、長江に沿った郡県が争奪の的になるでしょう。この春穀県は丹陽、歴陽、襄安、臨湖という主要都市と等距離に在り、ここ宛陵とを繋ぐ都市、戦略重要拠点と言えるでしょう。欲しくなってから求めても遅きに失するかと思い、いかにして今のうちに影響下に収められるかを思案しておりました」


 張絋は目を見開き、袁術との全面闘争にった際の想定を行ってみた。盧江の舒と、居巣が長江の対面にあり、そこから襄安、歴陽を支配下に収めて進軍する。ならばその後は春穀に前進基地を置き、宛陵や丹陽を攻略して来るだろう。逆に春穀さえ支配して居れば、それより先に進む道が無い。


「むむむ! 伯符はそこまで遠くを見ておったか。江東を獲るのは難ではないと」


「決められた範囲内のことであれば、諸兄等が自分よりも上手くやるでしょうから。それに、その位出来なければ最初から独り立ちなどすべきではありません」


 潔さともまた違った達観とも言うべき雰囲気。張絋は広陵で座して居たら感じることが出来なかっただろう何かに出会いっぱなしでいた。うーむと唸ると頷いてしまう。


「いつか、我が旧知の者に引き合わせたい」


「先生の仰せの通りに」


 張絋は頭を振ると、己などまだまだだと唇をかみしめた。先生と呼ばれて増長している場合ではないぞと自らを律する。


「劉揚州への繋ぎ、お任せいただけないでしょうか」


「どうぞ、よろしくお願い致します」


 拳礼をして即答する。本来ならば孫策の側から懇願して行ってもらわねばならない役目、それを自発的に口にださせたのは大きい。


「伯符は劉揚州からの任官推薦を受けるつもりはあるかね?」


 それ即ち、協力関係を出て一つの勢力としてではなく、漢の一配下として国家に従うかどうかの意思を確認している。独立勢力として手をつなぐだけのものなのか、それともより広く遠くを見据えているのか。


「今はまだわかりません」


「ほう、それはどういう意味でかね」


「先生があって話をして、そうすべきだという人物であるのならば受けます。ですが違うと判断したのならば受けないでしょう」


 己の判断次第と預けられてしまうと何とも返事が出来なかった。孫策の勢力丸ごと一つの未来を託される、張絋はまた胸を打たれてしまう。


「必ずや人物を確かめて参ります」


 拱手して、未来溢れる若き主君に感謝と誓いを示す。賢明だ。ただただそう感じられる言動に、興奮を覚えてしまう程に最近は心が躍ってしまうことが多かった。


「盗賊の類もうろついています、こちらで護衛を用意しますのでお連れ下さい」


「それは安心ですな。宜しく頼みましょうぞ」


 絵図にもう一度視線を落としてから、呉、会稽の方面を指さす。張絋も居住まいを正すと視線を向けた。

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