第415話

 来た時とは比べ物にならないような気迫を感じて一瞬気おされてしまった。どんな話をしたかは想像に難くない、国家の一大事だろう。危険を回避する為に避難先に行ってから、縁があり傍に居るうちに望んで危険に身を投じることになるとは考えてもいなかった。後ろをついて歩き、そうであるならば命令があるだろうと先回りする。


「島将軍、軍令はございますでしょうか」


「冤州軍は明日朝漁陽へ向かう、各部に命令を出せ」


「承知致しました!」


 陣営に戻り次第、即座に伝令を多数招集し伝えさせる。通知は行っているだろうが、荀彧への連絡も別途行うことも忘れなかった。物資の乱れがあってはならない、警備には特に厳重に夜間の見張りを厳しくするようにと通達した。


 翌朝一番で冤州軍が薊の駐屯地を離れていく、総司令官が見送りをするわけにもいかないので望楼からみつめるしかない。馬日碇は傍に韓浩を控えさせてずっとその姿が見えなくなるまでその場に居た。於夫羅の南匈奴軍も黙ってそれに付いてきた、伝令をやると於夫羅を本営に招き寄せることにする。


「軍旗を並列し掲揚せよ!」


 『漢』と『恭荻』、『南匈奴単于』の帥旗が高らかに掲げられ、主軍が北上して行く。騎馬が忙しそうに走り回り、斥候が引っ切り無しに出入りを繰り返した。三日ほど進んだあたりで山岳地帯へと突入する、辺りを見回し荀彧を呼んだ。


「我が君、いかがされましたでしょうか」


「山塞を幾つか築きたい、それらは防御用であって逆撃を必要とせず、千から二千が一か月籠もることが出来れば充分。水に困らず、ただ守ることだけを目的としたものだ」


 荀彧はその美しい顔を引き締めて何事かを思案する。後方にそのようなものを作る、つまりはこれからの戦闘に必要なものではない。となるとその後。


「緊急避難用の要塞と見受けられます。適切な箇所を見極め、兵二百を常駐させましょう。糧食を積み上げ、目的を為せるように」


「詰める兵は統制が取れ、信用出来る者のみだ。功績を求めるような者を残してゆくなよ」


「御意。お任せ下さいませ」


 もし使われなければそれに越したことはない、なのに信用出来る兵を抜いてしまう。誰か大切な者の為に備えるのだろうと直ぐに解った。洛陽のあの一件のように。これから大一番があり、少しでも兵力、戦力が欲しいはずなのにだ。


 漁陽郡の太守は雛丹という公孫賛の手下だったが、劉虞を攻め殺された後に漁陽に屯した際に、鮮于輔や鮮于銀らを主将とした劉虞を称えていた烏桓、鮮卑らの反乱に遭って敗死している。以来は仮の県令が城を預かっていた。仮といっても住民の互選でその地の有力者が廻り番で行っていただけだ。


「勅令軍、督漁陽冤州刺史恭荻将軍島介小黄侯が入城する!」


 統率を明らかにして城門を潜った。住民らがビクビクして軍勢を盗み見ているが、今のところ乱暴は行われなかった。略奪暴行など日常茶飯事だというのに起こらない理由、それは将軍の直下で行えばたとえ印綬持ちでも斬首されるほど軍令が厳しいと聞かされているから。流石に軍を割った時の枝まではどうにもならないが。


 太守の座に腰を下ろすと幕下らを見回す。すぐ左には荀彧が侍っている、右後ろには典韋が。右列の最前列に居るのは張遼、今回軍団長を任せることが出来る大駒だ。騎兵督には北瑠、部将に趙厳、牽招、徐盛らが並んでいる。左列には於夫羅、呼廚泉が居る。


「張遼、羌平県に前進基地を置く。お前は一万を率い先発しろ、まずは周囲の偵察を行うぞ。趙厳、牽招をつける」


「おう、任された。清水河の密云湖を東回りで向かうことにする」


 漁陽のすぐ北には密云湖が存在している、そのサイズは十キロメートル四方であって湖と言われているが清水河が南北に通っているので、厳密には湖ではない。羌平県は湖の北東縁、漁陽は湖から南南西に少し離れた平地にある。


「そこより先は南匈奴の領土、偵察を行うならばこちらからも兵を出そう。呼廚泉、お前が行け」


「はっ。島将軍、ご許可を」


 きっちりと命令系統を守ろうとして来る、これを断る理由は一つもない。チラッと荀彧を見てから「許可する。張遼の指揮に従え」上下の別をはっきりとさせた。呼廚泉に異存はない、もし於夫羅が自身で行くというならば少し考える必要はあったが。


「徐盛、お前は密云湖で船を統括するんだ。民を一時的に徴用可能な状態を整備し、必要な時に稼働させる。普段は半数待機で半数は自由にさせておけ。待機時には日当を手当てするし、稼働時には別途報酬を出す」


「役務ではなく、任用する形でしょうか」


「そうだ。僅かな金銭を惜しんで不満を持たせたところで益はない。徐盛の考えはどうだ」


 こうして会話をする機会が出来たので、少しでも人となりを知っておこうと質問をしてみる。珍しいと感じた部将らは多かっただろう。


「であるならば、半数を兵として召し上げて訓練を施してはいかがでしょうか。いたずらに数を用いても無駄でしょう」


 最大瞬間風速の値は減る、だがその時が来たら臨時で徴用すれば良いだけの事。安定した兵力を固定し、その質を高める。士気の面でも向上するのは間違いないだろう。だが張遼あたりがものの言い方にいらだちを覚えたのが感じられた。


「ならばそうしろ、お前に預ける」


「承知しました」


 あまり周りとの関係を円滑に進めようという精神を持っていない人物のようで、これといった気遣いもなく話を終えてしまう。武官だというならばそれでもかまわない、島介も別に叱責を加えることもない。


「よし、解散しろ」


 それぞれが場を去っていき、残ったのは荀彧と典韋のみ。典韋は考えがあって残ったのではなく、ただ島介がそこにいるから立っているだけ。


「我が君、左軍も右軍も戦陣につくまでには半月はかかるでしょう」


「急ぐ必要も無いからな。その間がこちらの自由時間なわけだが、どうするつもりだ」


「公孫賛殿が動かずという事態を想定しております。その際に牽制になるよう動きを用意致します」


 同道するのは劉備だが、それではない。右北平郡の郡民らも公孫賛の統治下にあるので、それらを扇動するわけでもない。


「その手段は」


「ここ漁陽で雛丹太守を攻め殺した者を覚えておいででしょうか」


「鮮于輔とやらか?」


 もう一人も同じ姓だったのを思い出した、兄弟かは解らないが親族の類であるのは恐らく間違いないだろう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る