第406話

「冀州からも軍兵を提供してもらう手筈だが、それはどうか」


「武装兵二万を用意致しております。大将は冀州別部司馬沮授殿、副将に軍従事審配殿、安国校尉張合殿、参軍に従事中郎田豊殿が連なります。以後、衛将軍府の指揮下へ組み込みます」


「承知した。というわけで衛将軍司馬の島将軍に指揮を預けるぞ」


 なるほどこれがあるから三万で良いという発言に繋がったわけだと知る。更には指揮官までついて来るというではないか、島介は小さく息を吐くと「お預かりします」仕事場の環境は上司次第だなと痛感する。治安のよい冀州から二万の兵を抜いたところで、さして変りもなさそうだ。その上で武装状態は冤州軍より良いだろう。


「恭荻殿のことをとても信頼している者達です、どうかよろしくお願いします」


「こちらこそ。呆れられないように鋭意努力します」


 その返しに馬日碇と韓馥が苦笑した。冀州の状態と、幽州方面の情報を幾つも交換して状況の把握に努める。山岳地帯からの賊は相変わらず出没してはいるが、警備が固いのでそこまで輸送に心配もない。それでも山寄よりは平地を進む方が良いとの結論に落ち着いた。


「とはいっても、中央東の泉州県を通るのは公孫賛のやつに近すぎますね」


 本営を置く予定の薊城に繋がる道は三つ、西が啄郡都の啄県、そこから二日東にいった方城、更に四日東へ行った内陸の泉州、東に五日も行けば海が見えて来る。泉州県は右北平郡との隣接地、つまりは公孫賛の拠点に接している。素知らぬ顔で襲撃して物資を奪われても追及することも出来ない。


「ふーむ、間の方城県から安次県へ行き薊という道もあるが、どうにも道路状態が悪いらしいぞ」


「幽州からの情報によりますれば、雨でぬかるむと馬車が車輪をとられてしまうことも少なくないとか。あまり推奨は出来かねます」


 李閔がそんな情報を刺し込んで来る。啄郡だと山賊に襲われやすく、泉州では論外。なんでも上手く行くはずがないのは解るが、満足いかない計画を実行するのは良くない。


「方城、安次、薊の距離はどのくらいだ?」


「歩きで七日の旅程になります」


 島介が李閔に問いかける、概ね七日。すると距離に直すと百キロメートルくらいになるだろうか。


「不満があるまま軍を運用するのを司令官段階で認めるわけにはいきません。その道路を補修してはどうでしょうか」


「ふむ、それだけの距離ではあるが既に道はあるわけだ、切り拓くまでの労力は不要だな」


「区画を百に別けます。それぞれの区画に三百の兵を割り当て、地域住民を雇用。事前に砂利や敷板を集めさせて補修工事を行えば、十日も掛からないでしょう」


 一キロメートルあたりに幅十メートルとしても、一人頭畳二枚分の地面を掘り返して砂利を籠めて叩き固める。道具の問題や準備を考えても、確かに十日と掛からない。人数を集めてそこへ送るという最大の部分は、遠征軍がそこに存在することで解決しているのが大きい。


「うーむ、別駕殿の見立てではどうだ」


「資材さえ揃えば、実務は難しい話ではないかと存じます。冀州殿、恐らくは締固め機器が不足するので、州より徴発してお貸しされてはいかがでしょうか」


「そうであるな、工具を集め衛軍へお渡しいたしましょう」


 スコップのようなものも全く足りないだろうから、それらを出来るだけ集めて臨む。労働を三交替にでもすれば道具は三倍の働き、という計算も出来た。


「ではその工事を行い、軍道としよう。しかし、やはり君らしい発想だな」


「そうですかね、誰でも思いつくでしょうこのくらい」


 馬日碇がにやにやして韓馥を見ると、そちらは嬉しそうに微笑んでいた。島介が首を傾げる。


「さてそれはどうだろうな。儂が言っているのは、住民を徴用するのではなく、わざわざ雇用すると言ったあたりのことだ。実に君らしいよ」


「仕事が与えられて、民もきっと喜ぶことでしょう。なにより道路が立派になり大勢が助かりますからな」


 気持ちよく笑われてしまい、島介は目を閉じてしまう。なるほど雇用するというのが当たり前だと信じていた部分はある、そしてそれはこの時代の非常識だった。いつまでたってもそのあたりの感覚が変わることはない、そうやって育ってきたのだから。


「はぁ。無事に糧食を運べるようになったとしましょう、薊に全て積むつもりですか」


「まさか、一カ所に全てを集めるほど儂は眠たくはない。三か所に別けるつもりだ、一つは漁陽だな」


 ひとつところにあると、不意に全てを失ってしまう恐れがある。それを避けるために分散すれば、場所の有利とそれらを保護する為の不利が産まれた。兵数が多いのでその不利は小さい。


「するともう一つは?」


「それだが啄県にしようかと思っておる。側面を守る意味で山側の警戒拠点としてな。我等には行動が難しい山岳でも匈奴の奴らであるならば行軍も可能かも知れんぞ」


 洛陽の北、啄郡の西、そこは大山脈が連なっていて人が済むには厳しく、山道は狭い。そんなところを個人ではなく万の集団で往来するのは出来ない、というのが漢の側の感覚。それが匈奴でも同じなのかと言われるとわからない。


「そういえば太原から長安への道を通ったことがある、五百の騎馬隊でも行けたんだから、歩兵だって行けないこともないか」


 顎に指をやって日数がかかり過ぎて食糧が不足するから難しいけれども、荷物運びが途中から引き返せば事足りるような組み合わせも出来るので可能だと判断した。


「おいおい、君はそんなことまでしていたのか。まったくそれでは関所が何のためにあるのかわかったものではないな」


 馬日碇が肩をすくめる。往来を禁止する為に、情報の拡散ややり取りも制限をかけるために、道路というのは国家の大切な存在。島介はそれをあっさりと破って見せたとここで告白している。


「そこまで難しいことでもないでしょう?」


「そう言えるのはごく僅かだという常識を持っていてくれると、儂もありがたいな。咎めているわけではないぞ、呆れているだけだ」


「想像の翼を広げて、もっと幅広い想定を出来るような衛将軍であってほしいと願っていますよ。愚痴ではなく希望ですがね」


 軽口を交わし合うと、韓馥を含めて大笑いした。最高の職場というのはメリハリがついているもののことをいう。時に笑い合って、時に命のやり取りをして。


「お二方はこうも波長が合っておられる。なんとも羨ましい限りですな」


「儂に娘や孫が居れば、嫁がせたいと考えた時もあったよ」


「おっとそれは初耳、ですが遠慮しましょう。義父上などと呼びたくはないんでね」


 そこでまた笑い声が響く、対等な関係で居たいという気持ちは馬日碇にも少なからずあったから。何かが挟まり余計な関係で拗らせたくはないとう本心。けれども何かを与えたいという気持ちもまた本心だった。


「ふむ、では尋ねたい。君はこの戦が終わってから、何か望みは無いか。儂が尽力して叶えてやりたいと思う」


 すっと表情を引き締め真剣だという雰囲気を醸し出す。出来ることと出来ない事はあるが、それでも力を尽くしたいと。


「……李鶴、郭?の統治も乱れる日が遠からずやってきます。いえ、やって来させます。その時、劉協を何としてでも長安より脱出させて頂きたい。私は遠く冤州で友の一大事に直接関われません。朝廷に身を置き、その場に在れる馬日殿に島介が願います」


 都合の良い願い事などするつもりはなかった。けれども馬日碇ならばやってくれそうだと信頼を預ける。


「この身の最期になろうとも、その願いを受け取る。時が来れば必ずそうする、その後の陛下を君に託すぞ」


「承知しました」


 じっと瞳の奥を見つめ合い、一つの約束事を交わした。韓馥は目を閉じて固い絆が存在していることを認め、漢という国家が未だ支えられていると強く感じられた。


「北伐は――必ずや成功させねばなりませんな。補給はこの韓文節が必ずや全うさせて頂きます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る