第405話

「まずは呉郡から。そこならば我が家も存分に支援が出来るので」


「子綱先生、我等は呉郡へ勢力を伸ばし、江南江東と呼ばれる地を掌握するのが最適でしょう。ゆえに、どこへ向かうと言われたならば、国家の威光を示すべく不服住民が在る地へ向かいます!」


 三名の配下の言葉をしっかりと聞き届け、それでいて張絋の問いかけへも納得のゆく道筋を返答。張絋は小さく何度も頷いた。孫策の向かう先には、国家の繁栄があるのだと。


「時に強い相手が立ちはだかることもあるだろうが、それでも?」


「官職を履く不服住民とているでしょう、それが相国と称しようともです!」


「ふむ。この張子綱、いつまでも母の服喪に伏しているわけにもゆきませんな――。揚州には現在、朝廷より刺史として劉揺殿が赴任しようとしております。ですが着任を邪魔する袁紹殿、袁術殿らの指名する刺史らと争いをおこしております。支配地を得るまでは袁術殿の配下として振る舞い、劉揺殿が刺史として赴任出来るように取り計らえば正統な統治者として収まることが出来ましょう」


 揚州がどうなるか、力の奪い合いが起きている。その為に孫賁を最初派遣してきたのだが、丹楊の北側だけしか支配できていない、それも無理矢理に政治的に奪ったので住民は不満を抱えたまま。丹楊の都の宛陵は北に大きな湖、南に山脈がある隘路に建てられた街。ここさえ押さえて居れば、東との連絡は長江を下るしかない一方通行だ。


「となると、こちらが三郡を支配して迎え入れれば主導権を握れる。けれども劉揺殿が早ければ我等が不利になる、と」


「劉揺殿があえなく敗退し、近隣より退く可能性にも留意すべきでしょうな」


 その場合は戦略が根本的に覆ってしまう。不安定さが露呈する内容だが孫策の表情には一切の曇りもない。


「ならばこうしましょう。劉揺殿を我等が迎え入れ、丹楊郡で保護する。流石に宛陵ではまずいので、湖北の丹陽県あたりでという線で」


 これには張絋も唖然としてしまった。そういった考えは持ってないかったのだ、状況が整ってからの交渉の順番だと。ところが孫策はどうせその後に接触するならば、今から連絡を繋いでしまえと言うではないか。だがこうなると大きな懸念が出来てしまう。


「それでは袁術殿への背信行為ととられてしまうのでは」


「確かにその通り。露見するのは出来るだけ遅い方が良いでしょう。大切なのはいかに勢力を得るか、楽を求めてはいません」


 サラっと最重要点を優先すると言い放つ。張絋は大きく息を吸うと、拱手した。覚悟が決まっているならば、これ以上言うべきことはない。朱治は目を輝かせて、若き主君に満足感を得た。


「賊の租郎ですが、山間の郷を幾つかその影響下に置き、信者を増やしているとのこと。住民であっても油断は出来ませんぞ」


「督軍殿の仰るように、江南の地では土着宗教が多く、民の心を奪っております。ここ丹楊より広陵に流れて来た乍融なる者が、仏教という新興宗教を布教しておりました。その勢いは凄く、巨大な寺院を建立したほど」


 張絋の言うように宗教は心を奪う。行政が財貨を奪うのとはまた別の方向性がある。米道なる宗教もあったりで、民が何かにすがろうとしているのは政治が乱れているからに他ならない。


「皇帝陛下が居られるというのに、邪教にうつつを抜かすなど許されることではない」


 信じる、崇めるべきは天子である。それゆえに全ての宗教は邪教扱い。祖先を祀り敬うことは許されるし推奨されてはいる。


「丹楊殿、租郎を討伐した後に住民はどうするのでしょうか?」


「教導するだけのこと。住民には機会を与え、恩徳を与える。悪いようにはせんよ、徐将軍」


 これから呉郡にも進出する予定、もし不服な住民を全て罰するというならば、などと先に不安を持っていたのは事実。それをあっさりと見抜かれてしまい徐昆は少し顔を赤くした。まだ若い二十代前半、良家の子息が打たれ強いほうがおかしい。


「しかし伯符殿、劉揺殿を迎え入れるとしても、丹陽で活動をすることで必ず情報が洩れます。どのように弁明するおつもりで?」


「嘘も方便ということで。数か月は素知らぬ顔で過ごしても、発覚したら太傅殿がそう手配をしたとでも言い逃れることにしますよ。事後承諾でも認めて貰えるでしょう」


 笑ってそんなことを言う。確かに太傅の馬日碇ならば適切な行為だろうし、北伐を行う為に立ち去ったのだから中途半端である事情も納得できる。大将である孫策が積極的に政治的な何かに関わろうとしない、我関せずな態度も理解出来る。唯一、馬日碇と劉揺が話を合わせるかどうかだ。


「劉揺殿は己の目的に合致するので心配はありませんが、太傅殿はいかがでありましょうな」


「これが国家の為と信じて行えば、太傅殿は必ず認めてくれます!」


 孫策が包み隠さず信頼を露にする。どうして。その疑問はあったが、自分から信じずに相手から信じて貰おうと考えるほど変な話もない。ここに集まっているのは孫策を信じて支えようとしている者達だ。


「畏まりました。それでは手筈は子綱にお任せを。宜しいでしょうか?」


「先生、宜しくお願いします!」


 拳礼をして瞳を覗き込む。多くの集団の命運をかけた一手を預けられた張絋、何かを与えられるわけでもないのに何故か心が満たされるような感覚があった。今までにない心境、これが何なのかはわからないが、とても心地よい。


「さて、話は決まった。ではどのように賊を退治するか、戦の話を進めるとしようか。犠牲も苦労も少ない方が良い、それはこの先幾らでも増えるのだからな」


 呉景が気持ちを引き締めてことにあたるべきだと苦言を呈する。初戦でしくじっていられるほど、時代は甘くはない。勝ちは当然、どれだけ被害を少なく速やかに終わらせることが出来るか、そこを求めていた。


 冀州、安平国信都城。『衛』『漢』の軍旗を翻し、軍勢が冀州の都である信都県へとやって来た。しばらく前には公孫賛がここを奪って駐屯していたこともあるなと、島介は思い起こしていた。それほど昔の事ではない。


「無理に動員するなとのことでしたが、本当に三万で良かったんですか。冤州としては助かりますがね」


 当初五万を発するつもりでいたけれども、また黄巾賊らが跋扈しては苦労が絶えないので、警備に残してきてしまった。兵力不足を起こしかねない、不安はあるが総大将の馬日碇がそう指示するのだから仕方なかった。逆に七万無理して用意しろと言われても受け入れるしかない。


「国を不安定にしてやるような仕事ではないからな。それに都合はつくよ」


 騎馬している馬日碇はご機嫌で駒を進める。供回りには韓浩の指揮する騎馬隊が僅か、他は冤州軍だ。軍を移動させているのは部将らなので、二人は会話をしながら馬に乗っているだけ。


「しかし、見掛ける農地はどこも見事に栄えているものです。韓馥殿の統治が行き届いている証拠、自分の力不足を痛感させられます」


「君はまだ刺史になり一年、改革は順調だと聞いているぞ。そんなに直ぐに結果を求めるほど、国は気が短くはない。十年後に民が満足に暮らしていけていればそれで良い」


 逆に時間をかけて変えていかなければ民がついてこられない。そのあたりは馴染むだけの時が必要だとさとされてしまった。


「そんなものですかね。お、出迎えが。あれは閔純殿だったな」


 冀州別駕の閔純、三十代半ばでまさにこれから伸びていくだろう人物。島介も印象としては良く、治世を取り仕切るならば最適と見ていた。城門の前で馬日碇を待っている。案内を受けて一部の者達だけ城内に入ると、残りは外で駐屯させる。その責任者はというと、潁川太守なのに冤州軍についてきている張遼だった。


「太傅殿、恭荻殿、ようこそおいでくださいました」


「冀州殿、壮健そうで何より」


 馬日碇が中央を進むと、韓馥が段から降りてきて向かい合う。歓迎されているのが肌で感じられた、それは島介が先の戦の助力をしたことなのと、思想が近い馬日碇がやってきているから。要は味方、あるいは仲間が訊ねてきてくれたという感覚。


「冤州軍を多数踏み込ませてすまないです。騒ぎを起こさないように厳命してありますが、素行が悪いのが幾分混ざっているのでご迷惑をお掛けするかも知れません」


「なんの、恭荻殿がご心配されることではございませんぞ。ささ、お二人ともこちらへ」


 居並ぶ文武百官らが礼をする中歩き、隣室へと向かう。勅令軍の総大将、迎えている相手の立場がそれだ。別駕閔純だけを付き添わせて、四人で席につく。


「此度、長城の先の異民族を征服するため軍を興されたと」


「うむ。勅令により、国家と敵対する匈奴を討伐するため軍を向ける。冀州には遠征軍への補給を一手に満たすべく働きを命じている」


「謹んで拝命して御座います。州の倉庫より充足するだけの物資をお約束致します」


 細かい数字はどうでも良い、方向性としての取り決めが行われた。勅令に否はない、形式的にも現実的にも。嫌々行うのではなく、韓馥も納得して役目を負っているというのが伝わって来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る