第404話


 黄蓋らが先頭に立ち、百人ごとに伯を作っている集団へ命令を繰り返し行う。慣れることこそが最大の経験になるからだった。


「公覆殿、中々の練度に仕上がってきているとは思わんか」


「初めに比べましたら確かに。ですが徳謀殿、これではまだまだ」


 程普は怪訝な表情を見せる、かつての孫堅軍に比べれば確かにこれでは一般兵と呼べないような状態でしかないが、それは実戦を潜り抜ければついて来るぐらいのこと。


「手厳しい話だ。だがこれ以上やろうとすれば脱落者が出てしまう」


「確かにそうなるでしょう。集められた兵士の限界でしょうな」


 黄蓋の目は兵らを見ているようで、何か違う景色を見ているような気がしてならない。孫策の傍に在って長い、何と比べているかを想像した。


「恭荻殿かね」


「……はい。かの部曲には恐ろしい程の手練れが集まっております、かつての孫羽将軍が残した黒騎兵団が」


「異民族らの子弟だな。一族が滅ぶのを援けられたり、孤児を引き取ったりと色々らしいが、その本質はその軍こそ自らの居場所と認識していることか。ちょうど我等のようにだ」


 袁術軍内ではあるが、孫策に名を呼ばれた時のことを思い出す。服喪が明けたとやって来た先代の遺児、どうなるのかと興味深く耳を澄ませていた。地位に興味など無かったが、郎党を養って行く義務がある。程普は袁術とのやりとりを聞いて、やはり才能があると感じさせられた。


 上手く立ち回って、どうにかまた共になれたら良いなと思っていた。言ってしまえばその程度の気持ちでしかなかった。ところがだ、兵を指名して麾下に戻せとの要求を飲ませてしまった。そこで自身の名を真っ先に呼ばれた時に、反射的に返事をしてしまった。感情は後からついてくる有様。


「腹を満たすだけでなく、心を満たしてこそ。義務や契約で従うことを否定はしませんが、おのずから限界は存在するでしょう」


「ではそのような限界を取り払うことに努力を傾けるとしよう。勝利という事柄を共有してな」


 賊の討伐、地元の兵士にしてみれば家族らの被害が少なくなるので願ったりかなったりの任務。暮らしやすくなるうえに尊敬を集め、給金まで貰えるならばより働きも良くなるというものだ。


「徳謀殿にだけは話しておきたいことがあります。先の汝南攻めの時のことを」


 程普は目を細めて様子を窺うと「我等は中座する、伯長に訓練を預ける」場所を替えて続きをしようと誘った。大切な話がありそうだと感じて。


 城内中心部、太守の間に数名が集まっている。賊退治をいかにして進めるべきかを話し合う、軍議を開催していた。護衛や補佐を別にして座しているのは五人。現在の孫策軍を率いる面々。


「兵の調練は順調です、これほど熱がこもった指導も滅多にはありますまい」


 朱治が麾下の部将らを全部突っ込んで突貫訓練を施していると説明した。指導者が多い程に成果も上がりやすいので、願ってもない。主座は孫策で、その右隣には呉景、左隣には張絋、向かいに朱治と徐昆が居る。


「丹楊での徴兵、三千人までは難しそうだ。賊は二千とそこらだとの調べだが」


 丹楊太守呉景、孫策の叔父、孫堅の妻の弟。自分の意見が少なく、姉に懐いていたせいで軋轢も少なく皆と相性がすこぶる良い人材。呉郡銭唐県の豪族で、孫堅が赴任してきた土地で姉を見初めて求婚したのをきっかけに、孫家に肩入れしていた。能力は上々で、武将としても政治家としても良好、教育がなされているといったところ。


「我が家の部曲兵も加わりますので、数は心配ないでしょう」


 呉郡富春県の豪族、孫堅の同郷。孫堅の妹が徐家に嫁いで生まれた子が徐昆なので、孫策とは従兄弟ということになる。偏将軍を朝廷から認められているので、官位としては一番の高位が彼になる。呉景の太守はあくまで袁術が勝手に任じて実効支配しているだけだ。


「子綱先生、いかがでしょうか」


 皆を通して一番名声が高いのが張絋。まさか孫策が広陵から家族だけでなく、張絋まで連れて来るとは誰も思っていなかった。そのくらいの大人物。現在は孫策の傍で助言するだけの立場で、なんの官職も持っていない。そういう意味では朱治は督軍校尉、読んで字のごとく、督する権限を付与されている実務者でもある。


 官職には共通したルールがある、即ち、督、都、監、寇、司の名が冠されている軍職には部隊への指揮権限が与えられている。都督、監軍、総督、寇軍、色々な組み合わせの言葉が現代にも生きている、上司や監督などは指揮者のことだと実感すらあるだろう。


「純粋な軍事に関しては門外漢ですので差し控えましょう。まずお尋ねしたいのは、その賊徒を散らしてどうなさるおつもりか、という部分ですな」


 勝った負けたについては武将らの範疇なので、確かにどうだと問われたらその先である。丹楊の治安を良くして嬉しいのは、丹楊が地元である朱治だけとも言えた。


「なに、簡単な話ですよ。力をつけます。勝てば兵は増えるし、支配地も増えます」


 左右の意見を聞くでなく、孫策が即答した。それに対する諸将の反応も見るが、嫌な顔をするものは誰も居ない。朱治があからさまに嬉しそうな表情を浮かべているくらいだ。親族の呉景と徐昆は孫家が栄えるのを良しとするだろう。


「ここでは構わないが結論が決まっていても、直ぐに口に出さないのも交渉術の一つになることだけは覚えておくとよいでしょうな」


「はい、先生!」


 明るくハキハキとそう返されてしまうと、小言も失せてしまう。自分とは真逆で皆に愛されるだろう性格なのがよく伝わって来る。張絋は一拍おいて髭を撫でると思案する。


「では丹楊統治が進んだ後、どこへ向かうおつもりかな」


 これは場所を問うているかのように見えて、その後の方針を訊ねている。これで意図が通じないようだと、この先の齟齬も激しくなってしまうだろう。


「叔父御ならどうします」


「丹楊より西には袁術殿の軍もあるので、東や南へ勢力を伸ばすことになるだろうな」

 

 単純な話で、袁術から遠い方が影響力は弱くなる。そして丹楊よりも東には呉と会稽しか存在しない。南はというと、交祉という地があり一応漢の支配地になっているが、山を越えての場所で既に別の文化圏ともいえた。


「君理殿ならば?」


「呉郡、会稽郡を併せ、丹楊との三郡で勢力を確立します。江南の地に拠るのがよいでしょう」


 独立に乗り気、何故かは孫策にはわからないが、朱治の興味が強い。真っすぐで道義に沿った行いが好みで、権謀術数のような行いが苦手。なるほどそれならば孫堅、孫策とは非常に相性が宜しい。その論拠で行くならば島介ともだろう。


「従兄殿はどうでしょう」

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