第402話

「幽州を基盤に行動するので、公孫賛殿の様子を伺いながら、といったところで」


「けれども幽州刺史ではない。むしろ別駕は曹操のやつだ。袁紹が最大の啄郡を握っていて、冀州の支援は馬日のおっさんが受け取る。俺は俺で軍隊の数を握っていなければやりづらいかも知れんな」


 そうなれば物資が必要になり、冤州の治安が悪化する。他所に手を伸ばそうとすれば、どこかに歪が出てしまうのは当然ことだ。


「歩騎五万、これを動員し加われば発言権も高くなり、不意の襲撃からも守り切れる見通しです」


「五万を発することは出来ても、全く養ってやれん。度々で頭が上がらんが韓馥殿に無心するしかないものかね」


 軍隊の力は三つの柱がある。一つは素直に軍事力、これは数と装備だ。二つは糧食を始めとした軍需物資。三つ目は指揮を執る集団。これらが有機的に噛み合って初めて戦力が発揮される。どれ一つ欠けても結果は残せない。


「全軍に対して供給の責務を負っているので、我が君が心苦しく思うことは御座いません。ですが行軍時に冀州の都

を経由するなどしてはいかがでしょうか」


「そうだな、どうせ近くを通るんだから寄って行くとしよう。自前でもそれなりに用意しなければならんがな」


 そのあたりは指示を出してはあったが、備蓄が無いので全く足りていなかった。冤州軍だけで遠征を半年するならば、兵力は精々一万から二万しか養えない。五万を一年遠征となると備蓄に丸々一年充てて何とか、というところだ。


「冀州殿ならば笑って頷いてくれるでしょう。帯同する将ですが、いかがいたしましょう。主要な者らを全てとなると、防備に不安が」


 いつどうなるかわからない、広い冤州なので東西に遊撃手を置いて、残りは守りだけでも出来る奴を残していかなければならない。


「張遼か甘寧、どちらかは残す必要があるな。こちら方面の守りは文聘が良いだろう。匈奴のあたりの地形はどうだ」


「山がちで平野部が少なく、河も少ないため飲料水の確保がカギになって来るでしょう」


「そうか、では甘寧は居残り組だな。荀攸に留府を任せてだな。そうだ、任城から徐盛は呼び寄せるとしよう、一応水兵を指揮出来る奴が一人くらい手元にいないとな」


 大勢を指揮するには将が足りないが、居ないのだから仕方がない。全員が並んで会戦するわけでもないので、交代要員が多いとでも受けてめることにする。


「どうあっても将が不足しそうですが、こればかりは。急戦をしない体制を構築して対応するしか」


 陣地戦、或いは前哨戦のような戦いを幾つかに別けて行う。徐々に勢力圏を切り取るような戦略。そうはいってもどういう手法を取るか決めるのは総大将という話だ。


「うーむ、まあ話がわからん上官でもないんだ、そこはどうにか出来るだろ」


 顔を浮かべて笑う。少し早いけれども、若いのに軍団を預けたって良いとすら考えている。


「御意に。軍兵でありますが、潁川や陳からも供出を要請し、連合をすべきでしょう。特に陳国の元賊兵らは、後方地に残すよりは連れて行った方が安心かと」


「ああ、あれか。そうだな、下手に団結されるよりもこちらで面倒を見た方が荀彧もやりやすかろう。職も無い食い詰めも兵力だと集めれば、治安は良くなるな」


 五体満足なら取り敢えず雑兵としてかき集めてしまえ。この思想は犯罪者を戦争で消費するような思考に似ているかも知れない、一挙両得だ。無論現場で裏切りに会えば、行って来いで倍の損失になる。けれども遠い僻地、裏切ってもどこに行くことも出来ない、ならば従って何とか生き残った方が目がある。


「ではそのように。元常殿が仰っておられたのですが、吉報が御座います。袁術殿の元で、孫策殿が大将を認められ軍閥を再興しているとのこと」


「そうか! 意外と早かったな、あいつも今が機会だと見たわけだ。良かった、元気にやっているんだな」


 大きく何度も頷く、まるで己の子弟の事かのように。言ってしまえば非友好的な袁術の勢力が活気づいているというのに、手放しで喜んだ。荀彧は裏表がない感情に、何か熱いものがこみ上げてくるようだった。


「それだけではございません。袁術殿に軟禁されていた太傅殿を脱出させる手筈を組んだのも孫策殿です。広陵の名士、張絋殿の助力を得ることに成功したそうで。かの御仁、陳紀殿と同じく三公府への招きを拒否せし賢人であります」


「なんだ、あのおっさん軟禁されていたのか。節があってもダメなものはダメか。漢室の権威が落ちているということだな、解ってはいたが半分は俺の責任でもある」


 袁術の様子見に向かわせたのは自分だと右手を額にあてた。こいつは絶対に借りになっているなと。


「北伐で功績を上げて返せばよろしいかと。不幸中の幸い、これといった害はないとのことですので」


「昔話で済んだわけか。やはり護衛は必要だ、お前も皆も決して単身で動くような真似はするなよ。必ず複数の護衛をつけて歩くんだ」


「お言葉の通りに。我が君も、決して少数で動かぬよう伏して願わせて頂きます」


 藪蛇だったかもしれないが、ここは「わかった」と返事をするしかなかった。絶対にどこかで身軽になりたくてうろつくだろうとは思っていたが、不注意は決して許されない立場になってしまっている。

 194年2月

 陳留小黄城に、『潁川』の旗が立っていた。何のことはない、張遼が軍を率いてやって来たのだ。一年だけという約束で荀悦に長吏をお願いしていたが、なし崩し的に留任して貰っている。全体の推移を見て立場を理解してくれていたのと同時に、潁川で民に教育を施す試みが行われているので、その経過にも興味があっての事。


 やってきたのは潁川軍だけではない、数は僅かでしかないけれども、『衛』の軍旗を掲げる百人ほども一緒だった。郎官が十数人含まれていて、隊を率いているのは騎都尉。太傅である馬日碇の親衛隊のようなものだろう。主だった部将らを城に集めて合流を果たす。


「なんとも忙しいことで、まあ歓迎しておきますよ」


「はっ、良く言うわ。誰が興した仕事だったやら。だが不満はないよ、公務というのはそういうものだろう」


 城主の間の中央まで迎えにでて言葉を交わす。馬日碇の供回りが随分と慣れなれしいやつだなと島介を半眼で見ていたりした。ごくごく一部の傍仕えは見知った人物と知っていたが。


「あまりに殊勝な心掛けに、無骨な自分では理解がおぼつきません。役目に不満が無いのは良いことですがね」


「そんなことを漏らすような未熟者に用はないよ。まずはすべき話を終わらせるとしよう」


 ひとしきり顔合わせを終わらせるとき、ふと島介が気づく。騎都尉に見覚えがあることに。そしてそいつが袁術の武将で韓浩と名乗っていたことを思い出した、目付け役だったのか単に志願したのか。取り敢えずは心に留めるだけで終わりにしておく。場所を小部屋に移し二人きりになると、真っ先に島介が頭を下げた。


「袁術への探りを入れて頂くために危険を被らせてしまったことにお詫びを」


「構わんよ、下手をうったのは自分自身だ、貴殿が謝罪するようなことではない」


「だとしても、護衛の一団も付けずに送り出したのは手落ちでした。反省すべきはあります」


 荀?には護衛をつけたのに、馬日碇にはつけなかった。どこか心に緩みがあったのは間違いない、相手が権力者であっても出来ることをしなかったのはいただけない。


「では謝罪を受け入れるとしよう、それで貴殿の気が休まるならな。北伐での功績でこれを返してもらえたらそれで良い」


 事実上の不問。難癖付けて色々と迫ることだって出来るというのに、それは些細なことだと頭を左右に振ってしまう。


「冤州周辺から兵力五万を動員します。物資は全く足らないので、冀州で帯同するしか手がありません」


「全体の都合をつけるのは私の役目だよ。品で良ければ冀州殿が用意してくれる。それより五万も発してこちらは大丈夫かね」


 実はギリギリの線で数字をかき集めていた、大丈夫かと問われたら多分としか言えない。そもそもが冤州の事情にそこまで深くないのだ刺史だというのに。


「苦しいのはどこも同じですので。兵力よりも将が足らない方が致命的かと」


「それに関しては新進気鋭の若者らに期待するとしよう。やらせてみてダメなら、年寄りが責任を引き受ければよい」

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