第401話
◇
194年初頭
小黄城に勅使がやって来た。上奏が認められ、北伐軍が興ることになると同時に、冤州からも出兵するようにとの命令だ。それに先んじて小黄侯に封じるというオマケもついてきた。使者はご存知、黄門侍郎鐘揺だ。
「元常殿、補任の件でありますが少々尋ねたいことが」
「文若殿、何なりとお聞きくだされ」
山東へ向かう時にやってきた勅使も鐘揺だった、あの時も色々と話をしてものだと記憶が蘇る。補任表というのがもたらされた、どこの誰がなんの官職についているかの一覧表のようなもの。随時書き換えないと、今この瞬間も人物が入れ替わっているかも知れない代物。
「袁紹殿が平難将軍ということは、此度の北伐でも従軍せよとの勅令が下るのでしょうか」
「そのような手筈に。平難将軍袁紹殿、奮武将軍公孫賛殿、安国将軍曹操殿、討慮将軍劉備殿、そして恭荻将軍島介殿らが主たる将として軍を率いよとの仰せです」
袁紹、曹操、劉備に新たに将軍号が与えられた。ほぼ横並びの雑号将軍でしかないが、奮武将軍は比較的格式が高い。恭荻が一番新しく格下ということになっている。
「持節衛将軍太傅馬日碇殿が総大将であられると」
「それでありますが、昨年中は袁術殿に軟禁されていたようでして」
声を小さくして、二人の間で事情をやり取りする。名士を半ば無理矢理に手元に置いて幕に並べる、そうすることで己の名声を高く見せる。それもこれも逆らえば命を奪われかねないから従わざるを得ないのだ。
「視察に回られたいと要請したのは我等ゆえ、その失策はこちらの責任」
「なに、太傅殿もご承知でのことでありましょう。それにこれを報せ、窮地を脱出させる目論見を用意されたのは、何と孫策殿ですぞ。起草は張絋殿でありましたが」
「なんと! そうでありましたか。文若、我が君の人物を見る目が空恐ろしい。こうまで評価出来るとは」
孫策を可愛がっていたのは才能が有り、志があるから。手放したのは自分の意志でより良く動けるだろうと判断したから。そういうものだろうと納得して居たら、まさかもうそこまで行動に移した上に、朝廷への出仕を拒否していた張絋の協力まで得ていたとは驚きだった。
「そうですかな、私からしてみれば文若殿の助力を得ている恭荻殿、それは既に前々から人物を評価出来るお人だったのではと見ておりますが」
自身を褒められてしまってはもう余計なことは言えない。袁術の事に目を戻す。
「ただ太傅殿を差し出せと言うわけではなく、袁術殿に仮節・左将軍を認めているあたり、折り合いをつけようとの意志が見られますが」
「それは太尉殿の言でございますな。不満を持たせるだけではなく、調和をとるようにとのお考えとのこと。ですが今頃また不機嫌になっておるでしょうな」
「徐州殿への勅令でありましょうか」
行動を追認して袁術の地位を回復させた。それだけならば取り敢えずヨシとするだろうけれども、陶謙に江東の治安回復を命じたと知れば、低気圧が袁術の幕にやってくる。それもこれも荀彧の策略なのだから、鐘揺は感心していた。
「それもありましょう。ですが豫州刺史の郭貢殿、これは朝廷が任じた人物。出来れば自分の息がかかった者を送り込みたかったでしょうな」
孫賁から取り上げた豫州刺史の印綬、新造して新たに朝廷が人物を派遣した。今頃は汝南で武装兵を護衛につけて、州都に入っている頃だろうと明かしてくれた。荀彧が思っていたよりも朝廷は今頑張っている。李鶴、郭汜らの横暴はあるにしても、出来ることをやろうとしているのが伝わって来た。
「もう一つ、涼州勢の動きですが。馬騰殿らは」
「今のところは特に問題も御座いませんが、何かございましたか?」
「いえ、確認です。太傅殿のその後の動きはいかがでありましょうか」
荀彧が何を懸念したのかはともかく、可能な限り情報を提供したいと考えているので先に進める。文書を持ち歩くわけにはいかない、鐘揺の頭の中身をここで記録していく。
「近衛を割くわけにもゆかなかったので、朱旗をお借りして荊州で兵を借り、朗中令が護衛に。速やかに袁術殿の勢力圏を離れておられるでしょう」
実際この頃既に豫州入りをして危険を回避していたが、その報はまだここに届いていない。
「ならば安心。北伐軍を興すにあたり、冀州から物資支援を受けられるとのことですが、争いが長期になれば不足するでしょう」
「収穫を挟むのでそこまで心配はないと考えますが」
「易によれば今年は災害の年。飢饉が起こるやもしれませぬ。ゆえに糧食を献上としたのです。外れてくれればよいのですが」
災害は常日頃起きている、インフラがきっちりと出来上がっているような地域は少ない。また農耕もムラがあり、異常に弱いまま。何か一つ乱れれば飢饉は直ぐに起こり、多くが失われる。いつでもほぼ全てを食い尽くして、養えるだけの人口を得ているので、いくらあっても足りないのだ。
「こればかりは自然のなせることですので」
「それにしても幽州刺史、空席のままとは」
「公孫賛殿の所業をそのまま許すわけにも参りませんので。ですが北伐の結果次第では、それを認めても良い。という可能性を残した、というところでありしょうか」
判断をしない、先延ばしにする。全てが玉虫色のまま外敵に向かうのだから、不安定を絵にかいたような戦いになるだろう。苦労するのは連合して戦うことになる全員、上奏するように促しておいてアレだが荀彧も悩んでいる。
「我が君が功績を上げ、無事に帰還出来るよう粉骨砕身お支えするのみです」
「あの馬日殿のことです、政争や賄賂、ましてや己の偏見で結果を曲げて報告されることはありませんでしょう。どちらかといえば、恭荻殿に対しては好意的かと存じます」
荀彧は微笑むだけでそれには何も言わなかった。一期一会の世で、ああも気脈を通じさせている二人だ、好意的というのは控えめすぎるだろう。
「元常殿、道中くれぐれもお気をつけて。帰着するまで何があるかわかりません。いえ、都に入ったとしても」
「私のように非才であっても、邪魔に思っている者はいるでしょう。ご心配痛み入ります」
雑談と称した情報交換を終えると、鐘揺は速やかに城を出て行った。そうすることで余計な詮索をされないように。城主の間に戻って、島介を前にする。
「どうだった」
「計画通りに進んでございます。近いうちに太傅殿の消息について報告がもたらされるかと」
「あの読めない親父の下で軍を動かすことになるとはね。とんだ無茶ぶりをされそうだ」
軍事行動をしていたような話は聞いたことが無かった、学者やら政治家のような立ち位置だと信じている。とはいえ大規模な軍事司令官は政治家適性で運用するので、それはそれで良いかとも思う。
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