第397話

 一大事だと荀彧らを含めた諸将を直ぐに招集させると軍議を開いた。一報だけは皆に行き渡っているようで、表情は皆が真剣。初平四年最後の最後で大きくことが動いた。


「荀彧、状況を」


「はっ。右車騎将軍である朱儁殿は、かねてより皇帝陛下の声があればお傍にと仰っておられました。此度はそれを行動に移したとの見立てで御座います。ひとまずは空席であった太僕の位を与え、直ぐに官位の入れ替えがなされるものだと見られておりました」


 左右に分かれているとはいえ、右車騎将軍ということは公に亜ぐ存在、格式の上でなんの不足も無い。今までは在外の大司馬である劉虞が居たのだが、命を落としたことで空席が産まれたのをきっかけに、大司馬ではなく太尉に戻し刺し込んだ。


「光禄勲は不在のままだったな。ということは、これで近衛への影響を確保できるわけか」


 ことはそうそう単純ではないが、それでもたとえ名目だとしてもそのラインに組み込まれた事実があった。何せ政治的な争いは、まずは権限を奪い取ることからだ。李鶴は正式には仮節車騎将軍領司隷校尉儀同三司池陽侯であり、郭汜は仮節後将軍領京兆尹儀同三司美陽侯だ。二人に近衛軍への指揮権限は無い、長安周辺への政治、軍事、刑事、徴税、様々な命令権を抱えているのは確かで、そこから外れる部分を探したら宮廷内のそういった箇所のみ。


「僅かなりと言えども。同時に太常の趙温殿が司空に異動しているとも。前司空の楊彪殿はご病気とのこと」



 この病気とは心の病であり、いわゆる退職理由の健康不安の言い訳でしかない。自分が居ては邪魔になると席次を空けた、そこに入った趙温、李鶴に対し厳しい批判をする人物であり、殺されかけたことすらあった急先鋒。他人に命令されるのが嫌いだという反面、何かに抗するのが好きなのかもしれない。


「いよいよ対抗する為の体制を組んでいこうって腹か」


「宮の衛士をまとめる衛尉には張喜殿がついておられ、鎮東将軍である張済殿とご兄弟、張耳の末裔として陛下をお守りされるでしょう」


 いわゆる清流派の任官が上に固まって来た瞬間、そう言えるかもしれない。決定的にたりないのは実効的な武力面、そればかりはどうにもならない。


「何とかして支援したいが、どうしたものか」


「……恐れながら申し上げます。易によりますれば来年は災害の年。災害あらば糧食は不足し、飢饉が蔓延するでしょう。食糧の輸送を行い、朝廷の大人らをお支えされてはいかがでありましょうか」


 荀彧が無理矢理に提案してくれたことが島介にははっきりと感じられた。占いなどにと思う反面で、易者は国家の官職でもあるので蔑ろにはされない。


「そうだな。食べることが出来なければどうにもならん。こちらから何とか補給を行ってやろう。実行手順の要件は」


「遠路を運ぶことになるので、輸送隊と護衛が必要になります。千人を超えては物資を食いつぶしてしまい、少なければ賊徒の襲撃に耐えられないでしょう。また、政治的な背景が弱ければ関所で取り上げにあい、通過を阻害されます。また朝廷にあって弁舌を振える人物が主である必要性がございます」


 輸送品と規模は正比例する、なにせ珍品や黄金を運ぶのではなく糧食をだから。だとすれば護衛は精強で数は少なくと負担が大きい。一定数以下ならば道々現地で補充しながら動けるので、数百ならば目減りは無くなる見込みだ。


「政治的背景とは?」


「関所などで握りつぶしてしまっても、闇に葬られないなにかが必要です。不正を行い処罰がより重いなどの結果が」


 なんでもそうだが、罰が軽ければその時払えば良いと考える輩は一定数存在している。ではその処罰が重いのは何かといえば、当然国家や皇帝に刃向かうことがあげられた。


「荀彧答えろ。異民族から皇帝への献上品、これを収奪しようとした者、或いは阻害した者の罪はなんだ」


「下問にお答えいたします。帝への献上品とは即ち皇帝の財貨と同然、これを棄損せし者は良くて死罪、或いは族滅が妥当な罰でございましょう」


 最高権力、少なくとも名目ではそういうことになっている。皇帝が傀儡だとしても、悪人が朝廷を取り仕切っていたとしても、そこに清流派が存在していても、誰一人これを擁護することはない。頂点まで貫通する案件だ。


「於夫羅に要請し、この役目について貰いたいと考える。成否の程はどうか」


「南匈奴の単于、治安維持の功績、その族の規模、品格、充分任に耐えうると確信いたしております」


 人も品も揃えることは出来る、後は道筋を立てるだけ。それが難しい、どうやってこれを伝えて認めさせるか。


「長安に居る、陳葦と郭嘉に繋ぎをとらせるとして、誰がどうやって起草すべきだ?」


 荀彧が、荀氏が行えば通りはするだろうが反発も強くなってしまう恐れがあった。何せ島介の属官だ、直球すぎる。さりとて高名な人物でなければそもそもが、だ。


「陳紀殿が最適な人物と考えます。子である陳葦殿を通じ、朝廷に上奏を起こしたとなれば、九卿らはその多くが是とするでしょう」


 凄い人物と聞いてはいたが、そこまでなのかとは思っていなかった。島介はかつてのことを浮かべ、無礼を随分と働いたものだと苦笑する。


「そうか。では陳紀殿に頼むとしよう。断られたらその時に別の誰かを考えるさ」


 後日談にはなるが勤皇の働きを陳紀が断ることは無かった、それに荀氏の要請を断ることもまたない。そして皇帝の為、国家の為を想っての行為を島介が望んでいるのを知っていたので、笑顔で引き受けることになる。断れらえるかもと思われたことについては「身の不徳であるな」などと頷いていたそうな。


「時に、青州でありますが、曹操殿が青州入りをし刺史の田偕殿を追放する動きをしているとのこと」


「なんだあいつ、幽州ではなく青州でか?」


 劉虞が死亡して目が無いと判断したのは理解出来る、こちらに戻って来るのではなく青州へ行き速やかに次の行動というあたりが曹操らしいとも言えた。


「牽制しあっていた袁紹殿と劉備殿も緊張を解いて、袁紹殿は啄郡へ、劉備殿は楽安国あたりに軍を進めているようで」


 名前を聞いてもピンと来ない、直ぐに地図を用意させる。平原は任城、済北ときて平原の等距離で北方だ、楽安はその平原から真東に同じ距離を行ったところにある。丁度済北から北海の郡都に行き、孔融と会ったことを思い浮かべた。距離の大まかな感覚が思い当たる。


「劉備のは治安維持と言ったところだろうが、袁紹は何をしに行くのやら」


 袁紹の拠点、渤海郡の南皮から啄郡は、陳留から任城まで行くのとほとんど変わらない、つまりは三週間コースだ。とてもではないがちょっと行って来るで済む距離ではない。


「公孫賛殿の道行きは三つ御座います」


 三つ。そう言われて直ぐに浮かんだのは北方を制圧して南下する手。次に北方を同盟で固め、それを背景に朝廷に登る手だ。それらのどちらでもない何かがある、島介は目を細めて思案した。


「聞こう」


「一つはこのまま幽州、青州を支配し中原に打って出ること。ですがこれには各地の勢力の激しい抗戦が見込まれ、十年を要するでしょう」


「同感だ、そもそも勝てるかどうかも闇の中だな。しかしこれなくして大きくもなれん」


 むしろこのために武将らは日々争いを起こしている。勝てば全てが正しくなり、歴史にその名を刻まれる。


「二つは幽州の勢力圏を保持し、朝廷で高位に登り政治権力で闘争を行うこと。これでは恐らく公孫賛殿に不利、劉虞殿を殺めた結果、多くの反感を買ってしまっておりますので」


「そうだな、中立や無関心だったやつらも好い気はせんだろう」


 ではこのまま戦っているのが最善ではなくても次善というものに見えてしまう。そこで第三の選択肢。荀彧はにこりともせずに想定外の一手を口にした。


「三つで御座いますが、幽州の勢力圏を保持しつつ、袁紹殿や曹操殿らの武将と共に外敵にあたる道筋。即ち、反漢の異民族への外征を上奏することに御座います」


「なんだって!」

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