第396話
朱治が開始早々爆弾発言を行った。独立離反するつもりだと公言したのだ、そんなことが袁術の耳に入れば叱責を受けるだけでは済まされない。ここに居る者達が漏らすはずがないとの信頼関係あってのことだ。孫策は微笑するだけで何も言わない、皆はそれを肯定だと受け止めた。
三つ目、解ってはいても口に出すことが出来なかった。解決策が見当たらないから、暫しの沈黙の後に、孫策自らが口を開いた。
「三つ目の不足は頭脳だ。我等の遠く行く末を見通せる者を招聘したい」
「それはそうですが、若君はどなたか心当たりがおありで?」
智者とは先が見えすぎるせいで、その身の振り方を軽々しく決めることが少ない。なのでこれからどうなるとも知れない集団に手を貸してくれる者は皆無なのだ。
「実は広陵で母と弟らが世話になっている張絋殿を迎えようと思っている」
「ほう! あの張子綱殿ですか。ですが是と言っていただけるかどうか」
「どちらにせよ自ら礼をしに行く、その場で直接話をするさ。そしてなにより盧江の舒といえばあいつが居る」
にやっとして言うアイツとは。傍仕えしていた黄蓋が「おお、もしや義兄弟のあの方でしょうか」孫策が家族ぐるみの付き合いをしている人物の自宅がここにある、会わずにいるはずもない。
「そういうわけだ。明日はあいつのところに、明後日にはここを出立し広陵へ向かう、供は黄蓋、孫河、そして呂範だ。その後、丹楊で合流しよう。そちらは叔父殿、お願いします」
「おう、任された。それでは我等は一足先に丹楊で兵を集めるとしよう。朱治殿、程普殿、それに皆、頼んだぞ」
◇
小黄城で珍しく大人しく過ごしていた島介のところに、ようやく荀彧が戻って来た。徐州に潜り込み、帰って来ただけで充分だと歓迎する。
「おお荀彧、無事で何よりだ!」
「長らくお待たせいたしました」
涼やかな微笑み、その存在感はあまりにも巨大だった。椅子に腰を掛けると、あたりを軽く見渡す。傍仕えの下女らが全て部屋から消えて、残るのは二人だけ。
「徐州殿と直接言葉を交わしてまいりました」
一度は襲撃を受けた身、わざわざ掴まりに行くかのような所業ではあるが、どうにかして回避したらしい。種明かしをすると、冤州別駕として面会すると、各所の豪族らを経由して連絡を入れたのだ。これを蔑ろにすると荀氏への敵対行為になりかねず、陶謙も素知らぬ顔で認めた。
「ご苦労。こちらは大人しく内務をこなしていたよ、普段の皆の大変さがよくわかった」
苦笑して冗談を飛ばす。実際のところは難しい決裁もなく、ただ無難な処理をしていただけ。それもそうだろう、出立前に込み入った案件は荀攸のところへまわすように、こっそりと言伝ていったのだから。
「全ては我が君あってこそでございます。さて、徐州殿でありますが、結論から申し上げますと、腹の底を見せぬ態度でありました」
「まあな、それはそうなるだろうさ。あからさまに敵対するわけでもなく、かといって協力を約束するわけでもない。建前が解っただけでも一歩前進というものだ」
いや、半歩か? などと右手で顎をさする島介。この荀彧相手に探り合いをしなければなかった陶謙の苦労もまたわかるかも、などと心で呟く。
「金刺史について話を振ったところ、そのような人物は知らないとのことでした。徐州殿は無関係である、少なくとも今はそれが公的な立ち位置からの回答でした」
「ふむ。すると、徐州から公言して冤州を押すようなつもりで策略を巡らせている線は薄いか。任官出来たのならば、後は政治的な争いを起こすだけだからな」
「時期につきましては多少の前後がありましても、公にしなければ効力がありませんので確かにその可能性は薄そうです」
では裏口からの行動の備えである、或いは設定が遅れていて実行できていない。もし後者であるならばそもそも政治戦略で後れを取るだけなので、警戒するような相手ではないとの証左にもなった。
「徐州の狙いは別か。それで、金刺史には会えたのか?」
どこに居るのか所在不明、けれどもきっと話をしたのだろうと半ば確信していた。わかりませんでした、で戻って来るような荀彧ではないと知っているから。
「徐州の都にて」
「はっ、それで陶謙は知らんというのだから道筋が見えてくるわけか」
公式には知らない方が良い、けれども恐らくは間接的ではあっても連絡は取っているだろう状況。つまりは徐州にとって不安定などっちつかずの存在が、金冤州刺史。
「金元休殿は、政情定まっている徐州で待機し、変事あらば冤州を統治する為に座しているとのことです」
「ということは」
「彼の御仁、国家が乱れることを憂い、己の不名誉を受け入れてでも僅かな間の救いを得るために動いておられる国士で御座いました」
もし島介が不慮の事故で没したり、或いは官位を進めた場合に速やかに穴を埋められるように。名ばかりの刺史として赴任を待っている人柱になった。
「……この国には、まだ良心が残っているのだな」
「御意。ですがご注意を、これはあくまで金元休殿の話。徐州殿がどう考えているかは未だにはっきりといたしませぬゆえ」
食わせ者であるのは陶謙であり、そちらの気分次第でどうとでも転ぶ。かといって冤州内で場所を与えるわけにも行かないし、潁川や陳に居を構えさせては正統性の部分でおかしくなってしまう。島介が知らず、かつ安全で無関係な場所で待っていてもらうしかない。
「話を絞ろう。陶謙は、今後どうしていくつもりだと思う?」
他人の考えなど解るはずがない、だがそれを無視して進むことはできない。違うという道筋を切り捨てて行けば残された何かが朧げに浮かんでくる。
「徐州の地は稀に見る平穏を持っております。これは外に敵を作らず、内に乱を起こさずの状態。能動的、直接的な方針を取り上げる可能性は薄いかと」
「そうだな。わざわざ自分から外に攻め込むようなことはなさそうだ。警戒情報にもそのような準備をしているという連絡は無かった」
どうしても軍隊を動かそうとすると準備に時間が掛かる。人間が千人単位で移動すること自体が、既に隠せない動きだから。水の調達でも、道具の用意でも、何なら人間そのものに連絡をするのも含めて、漏れないはずがない。
「ではどのようにして己を保つか。道は幾つか御座います」
「ほう、早速聞かせて貰おうか、俺の知恵袋の見立てを」
にやりとして期待しているぞと付け加えた。島介が考えられたのは二つ、どちらも直線的なものだけ。ではそれ以外を捻りだすのが策士であり、群雄というものだろうか。
「一つは近隣と交友を結び、関係を良好に保つものであります。これには互いに干渉せずも含まれるでしょうか」
「こちらが手出しをしない、だからそっちもするな。不戦条約やら不可侵条約の類の考えだな。協力するわけではない」
「境界を厳に。二つめは治安を向上し、相手どるを難きとしておくこと」
「自衛力を高め、賊を蔓延らせないことで、それらが近隣に流れてゆく。裏組織が治安が低い部分へ行くのと同じか。得るものが少ないのに、強固なところを攻めない。武装中立の考えだな」
スイスだのスェーデンやノルウェーあたりのやり方。ただし不法移民が増えすぎると成立しなくなってくる、やはり職を持たない人間を国内に多数抱えるのは治安が悪化してしまう。
「武装中立……ですか、なるほど。して三つめは、人材を以てして地を制するです」
人材。この国の特別な制度であり、巨大な権限を手にすることが出来る官職。それを持った人間を利用する方法。確かに金刺史がそれにあたる。
「徐州が他州の官職に介入する?」
「左様に御座います。一つ、徐州治中殿が勤皇の教えを強く説いたことを奏上し、朝廷をはこの忠誠を認め王朗殿を会稽郡の太守に任命したとのことです」
心当たりがあった。島介は目を細めてその経緯を何度も咀嚼した。それが王朗にとって良いことだったのかどうかを。
「ある時、俺は王朗殿に皇帝を支えるようにと願ったことがある。その官位の移動は原因がここにあるんだろうな。なあ荀彧、これは王朗殿にとってどうだろうか?」
荀彧は沈黙し言葉を選んだ。嘘偽りを言うわけにではなく、どうすれば正しく伝わるかを吟味して。
「文若が申し上げます。王景興殿は、真に国家を繁栄し、民を慈しむ人物。朝廷にてその志を認められたことは、彼の人物の誉れ。行く先の会稽郡といえば、始皇帝の出身地であり、辺境の地。献帝の威光も届きづらく、未だ蛮事が執り行われているとのこと。このような地を治め、民を教化し、安寧を導ける人物は少ないでしょう。多くの者が、王景興殿ならば出来ると信じ預けた官職であれば、これ以上の評価は御座いませんでしょう」
拱手して、これは良いことだと具に説明してくれた。島介はほっとして姿勢を崩す、自分のせいで僻地に左遷されてしまったのではないかと思っていたので。
「そうか。あそこは過疎地で物資も不足しているだろう、着任祝いに何か送ってやりたい。あまりに遠方なので輸送は難しいだろうから、広陵あたりで仕立てて渡してやりたい。どうだろうか?」
「お任せ下さいませ。我が君のお心を、文若は尊敬して御座います」
「頼んだ」
外を見るともう木々が枯れてきて秋も終わりになろうとしていた。あちらでもこちらでも争いが続き、民は疲弊してやまない。それでも政治は諦めることが許されない。次なる冬の間に来年の動きを決める必要がある、島介は目を細めて小さく息を吐いた。
◇
雪がちらついてきた頃、小黄に早馬が駆け込んできた。どうやら黒兵の類ではないらしい。それでも直ぐに島介のところへ招かれて報告を受けることになる。
「申し上げます! 朱儁将軍が朝廷で太尉に任官した模様です!」
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