第393話
「となるとこれは偽書の類であると、兄上はお考えで?」
「真正のものだとは言い難いが、内容については幽州殿の想いと合致しているであろうな。だが作成したのは曹操殿であろう。私が否とは言えないとわかっていて認めたのが良くわかる」
「策略……というわけでありますか」
知っていて回避できないもの、確かに策略とはこれだ。何より劉備も内容については同じ思いなので、ことを荒立ててどうこうしようなどというつもりは一切無い。
「青州の治安維持を行う上で、青州で公孫賛殿と競り合うことになっても、それは逸脱してない行為だと言いたいのだろう。青州刺史の田偕殿は、公孫賛殿の指名を受けて刺史を名乗っている。これは朝廷の意志ではない」
自称であっても他に刺史はおらず、事実統治をしているのでは文句をつけることもない。そこにつけこんで、青州から追い出そうとの目論見だと劉備が読み解く。
「いいじゃねぇか、俺達であいつを追い出しちまおうぜ! それで兄貴が青州刺史を名乗ればいいじゃねぇか」
関羽はその台詞を吟味してみた。平原は誰か別の者に任せてしまい、刺史になるのいうのは悪くない。より影響力を得られるという部分で満足できる内容だった。ではその公孫賛の手下はどうかというと、戦ってみないと解らないがそこまで鋭い人物だと聞こえてきてはいない。
「我等が独自に動くことではないぞ。雲長、各所の偵察を行い情報を探っておくのだ」
「はっ」
否定しない。その一点だけをみて関羽はもしかしたら劉備はやる気なのではと受け止めた。ならば可能な限り下準備をするのが己の役目だと、多少苦手な諜報を夢想していた。
◇
193年秋口
馬日碇は盧江郡の都である舒県城で南の西の空を見上げていた。大きくため息をついて、屋敷にある庭園の中ほどにたっている。与えられた屋敷とはいっても、実際のところは軟禁場所とすら言えた。
陳留で情報を得て、大幅に自由時間を得た後に南方の視察にやって来たのだ。少しでも足しになるようにと袁術に探りを入れる為に、盧江郡に軍を入れたところで尋ねたのだった。するともろ手を挙げて迎え入れてくれたは良いが、仮節を奪われてそのまま留め置かれている。
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「はぁ、私は何をしているのだこんなところで……」
己の不甲斐なさにやれやれと頭を左右に振る。複数の屋敷が一つの区画に建っているので、完全に閉じ込められているわけではないが、外に出ることは許されていない。たまに来客があるが、それも他所の屋敷へと行くので誰とも言葉を交わさずに一日を過ごしてしまうことすらあった。
単身でどうするわけにもゆかず、時間を垂れ流していると、二人連れの若者が敷地へと入って来た。誰かの使いかとも思ったが、随分と見た目が良く堂々としているではないか。ふと目が合うと一礼してきた。せっかくなので少し話をしてみようと歩み寄る。
「どなたかをご訪問ですかな」
「はい。舒仲応殿を訊ねてまいりました」
この舒昭とは、袁術麾下の武将でどちらかというと政務官肌の人物。屋敷に住んでいる中では高官の部類である。やって来ておいそれと会えるかはともかく、はきはきと喋る若者に嬉しくなる。
「そうでしたか、かの御仁ならば屋敷に居られるはず。差し支えなければどのような用事かを訊ねても?」
無関係の人物が屋敷の前でうろついているとも思えなかったのか、若者は頷くとチラッと周辺を確かめてから応えた。
「袁術様に目通りを願う為に、話を通して貰おうかと思いまして」
「ふむ。仕官でもするつもりかね」
明瞭な若者なので、それもまた良いだろうとにこやかに語る。馬日碇はそうやって、皆が前へ進むのが好きだった。自分のことは後回しにしてきたが、それが良かったのか、或いはそのせいでかは解らないが、今になり三公やら九卿やらを歴任することになっていた。
「形としては復帰、と言ったところでしょうか。ですが仕官とさほど変わりないかも知れません」
どういうことかはわからないが、出来れば上手く行ってほしいと感じてしまった。少し話しただけだというのに、好印象を多大に受けたのだ。気がめいっていたところで、随分と心が晴れやかになる。
「君は見どころがあるな。そうだ、どこまで役に立つかわからないがこれを授けようではないか」
懐にしまっていた比二百石の印を取り出し差し出す。ところが若者はそれを見詰めてから拳礼をして視線を伏せてしまった。
「お心だけ頂きます。申し訳ありませんが、それを受け取ることは出来ません。自分を見てくれている方がいますので」
「ふむ、袁術殿かね?」
だがそれだと矛盾してしまうような気がした。若者は頭を左右に振った。
「当人の迷惑になるかも知れませんので名は明かせませんが、自分が尊敬する人物です。感謝致しますが、おしまい下さい」
「そうか、いや構わんよ。君のような人物を見込んだ者に興味もあるが、無理に聞き出すつもりはない。おっと名乗り遅れたな、私は馬日翁叔だ」
「すると太傅殿! 失礼いたしました」
その場で膝を折って頭を垂れた。それはそうだ、朝廷の奥深くに居るだろう太傅が揚州の屋敷になど現れると想像する方がおかしい。
「ほう、私を知っていたか。して君の名は」
「申し遅れました。自分は孫堅が長子、孫伯符と申します!」
後ろの孫河も膝をついて頭を垂れて、視線を伏せた。その位、互いの間には格差が存在しているのだ。
「むむむ、君が孫策か。すると先ほどの人物、もしや陳留のアレではないのかね」
「自分が尊敬しておりますのは島伯龍殿で御座います!」
「はっはっはっはっは! これは愉快だ、そうか。そうかそうか! 良い、とても良いぞ!」
ここ暫くで一番気持ちよく笑ってしまった。嬉しかったのだ、意中の人物の名前が出て。また自分の目がまだ曇っていなかったことが相まって。
「あの、太傅殿?」
「いやすまんすまん。アレの息掛かりであるならば話は別だ、君はこれ懐義校尉の印を与えよう。私は島殿を最初に軍候に見いだした、それが今やあのような立派な将になった。君もまたそうであろうと確信しておる、任官していると名乗らずとも良いので受け取って欲しい」
「島将軍を最初に! ……謹んで拝命致します!」
名ばかりで効力など自分で持ち出すしかない、それでも特別なものだと恭しく手にした。
「して、袁術殿に会ってどうするつもりだね?」
「ええ、とある品と交換で父の部下を返してもらおうかと思いまして」
「ふむ。どうなるかはわからないが、もし君が対面するというならば、私もその場に居合わせることが出来るようにしよう。あまり長話をするわけにもいかない身でな」
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