第391話


「ああ、はっ、さて志才よ、何を考えておるのだ」


 姿勢を正し少し視線を落とした後に顔をあげる、懸念があるとのポーズなのは明白だ。


「某が考えますに、幾つかの線が御座います」


「ううん、ふっ、では最悪を」


 この手のことで線を引く時には状況が良い物から聞く必要など無い、一番悪いものが起きた場合だけを考えておけば良い。曹操自身が策略家であるので、そのあたりのやり取りは非常に効率が良い。頭から説明しなくても理解出来てしまうから。


「でしたら、公孫賛殿はその軍勢を密かに進ませ代城を攻めている可能性があり、陥落し幽州殿が落命されている恐れが御座います」


 これには皆が声を出せなかった。敵の主力を見ておらず、また騎兵団も不在。いままでずっと根拠地の代を離れていたので、もしそうだとしても気付けない可能性がある。


「公台殿、どうか」


 陳宮が指名を受けた、数秒思案してから一歩前に出る。ここで発言を被せるか、それとも反対を述べるべきか。曹操が選択できるようにするならば、別の想定をすべきではあるが、公孫賛ならばやりかねないので時間をかけたのだ。


「こちらの行動を読まれ、なおかつ本営の状況が知られているならば、公孫賛は奇襲を仕掛ける可能性が大いに御座いますでしょう」


「ではなぜそれを指摘せんかったのだ!」


 曹操が激怒する、その危険性を予見して居ながら黙っている、それはあたかも自身を裏切ったかのような言葉に聞こえるだろう。だが陳宮は怯むことが無い。


「さて曹操殿は、幽州殿が健在の方が都合が宜しかったのでしょうか」


「……それはどういう意味だ」


 表情は崩さずに、目を大きく開いて陳宮に真意を問う。その瞬間、そういう物語で行くべきだと背を押されたかのような確信を得た。


「人々に敬われていた幽州殿が、反乱を起こした公孫賛により命を落とした。その仇を曹操殿が取れば、人々はどう思うでしょうか。そして幽州を統治するのはどなたになるでしょう」


 そう見通しを述べた後に、戯英が進み出る。


「別駕殿、民は劉虞殿を敬っております、それは異民族も同様。今まさに窮地に陥っているやも知れないならば、速やかに救援を差し向けるべきでありましょう」


 失ってはならない、道義を全うすべきだと説く。何が事実かは今はわからないが、最悪を想定させたのならばそれを回避すべく動くのは当然の事。実のところ曹操はこの時点で、劉虞を見捨てるべきだとわかっていた。けれどもあからさまにそうしては民衆の支持を失ってしまう、大急ぎで駆けつけたが間に合わなかったという格好で行きたい。


「妙才! 兵に武装を施し、七日分の兵糧を持ち代城へ援軍に出よ!」


「承知!」


 速やかに出撃させるべく命令を下した、という既成事実を作り上げる。だがこの後、陳宮のそれとわからぬ妨害により武装も兵糧も中々そろわず、翌日の出撃となってしまう。更には山道の一部が崩落していて、度々道を引き返すことになり、夏侯淵が辿り着いた時には代城は既に陥落し『公孫』の旗が翻っていたのだった。


「夏侯淵様、代城が燃えております!」


 兵が指摘している通り、山の中腹から見える代城は明らかに侵略を受けて敗北を晒していた。折角やって来たというのに手遅れ、ではどうするべきか。


「兄貴、あれじゃもう無理だ」


 族兄の夏侯淵を兄貴と呼ぶのは夏侯廉、夏侯惇の実の弟だ。二人で部隊を指揮して駆け付けたは良いが半日遅かった。戯英の想定の最悪が目の前で繰り広げられている。眉を寄せて馬上から城を睨み付けている、目的が達せられないと解れば本営に引き返すのが筋だ。


「廉、城は落ちていても幽州殿はまだ健在かも知れん。進むぞ」


「助けなければ陳宮が言ってたように孟徳殿の益になるんじゃないのか?」


 上司が消えれば次席が力を継承する、まさに言葉の通りだ。そんなことは夏侯淵だって理解している。


「そうだろうな。だが我等は幽州別駕の指揮下にある官軍だ。ここで何もせずに引き返して誰に何を誇るつもりだ!」


「むっ……わかった。おい前進だ!」


 幽州で集められた兵らだ、その決定を良しとして速足で進む。もし見捨てて引き返せと言われたら不満を持っていたのは間違いない。謀略家と武将の差、役割の違いとでも言えるかもしれない行動。二時間も曲がりくねった道を進むと、代城の傍までやって来た。


「一万は居るな」


 先発隊、入城さえしてしまえば防衛に充分な数を率いてきていた。野戦であればさして効果を発揮できない、何せ大半が歩兵だから。城の前に野営場を設け、城内外を出入りしている姿も見えた。


「うん、あれは何だ。おい誰か、見える者は居ないか!」


 特に視力が良い兵士を呼び出して様子を観察させる。数秒黙って睨んでいると「あれは……首です! 何者かがさらし首にされております!」野蛮な行為、夏侯淵は顔をしかめた。


「遊びでやっているわけでもあるまい。装いを偽り、誰の首かを訊ねて来い」


 山林に潜んで軍を待機させると、兵士の一人を放ち民草の風体にして向かわせた。小一時間もして戻って来ると顔を蒼くして「夏侯淵様、あれは劉虞様の首とのことです。この後、都に賊の首級として送るなどと申しておりました」両膝をついて報告した。目にはうっすらと涙が溜まっている。


「公孫賛のやつ、正気じゃないな。兄貴、戻ってこのことを孟徳殿に報せよう!」


 ぱっと見ると、歯を食いしばって鬼の形相をしているではないか。肩を怒らせると兵に向かい告げる。


「非道を目の前にしてどうしておめおめと戻ることが出来ようか。幽州殿の亡骸を奪い返すぞ! 者ども俺に続け!」


 兵らが「応!」と力強く返答した、夏侯廉も仕方なく決心する。こうなったらやるだけやってみるしかないと。二千の兵士が山林から飛び出すと、城外の公孫賛軍へ突入した。急に攻撃を受けたせいで統率が乱れる。


「首を奪いました!」


「よし、廉は一足先に戻り、孟徳に報せよ!」


「でも兄貴は!」


「俺は追っ手を食い止めてから追いかける。いけ!」


 矛を振り回すと敵兵をなぎ倒し、大いに武を奮った。夏侯廉が二百人程の兵と共に戦場を離脱する。劉虞の首は布に包んで木箱にしまってだ。


「夏侯廉様、後ろで戦鼓が響いております!」


「わかっている! だがまずは孟徳殿に報せてからだ、兄貴、無事でいてくれよ。急げ!」


 山道を小走りに東へと進み続ける、夜になっても休まずに動くと、夜明け前に野営する軍が見えた。急停止して兵に探らせる、公孫賛の別動隊ならば戻って迂回しなければならない。固唾を飲んで偵察を待っていると、大慌てで戻って来た。


「あれは御大将の軍です!」


「おお孟徳殿か! 直ぐに接触するぞ」


 軍旗を掲げて松明で照らしながら陣営に近づくと、向こうからも兵がやって来て迎え入れてくれる。寝ていたが直ぐに曹操を起こして報告を上げる。


「代城は陥落し、幽州殿が晒し首にあっておりましたので、首を奪い戻りました!」


「あぁ、ふむ。して妙才はどうした」


「不意を打ち、首を届けさせるために足止めの為、戦場に残っております。直ぐに救援に戻る許可を!」


 不眠不休で行軍してきたのは一目見ればわかった、陳宮に耳打ちされると兵らも皆がくたびれているが、黙って待機していると聞かされる。大きく頷くと「良かろう、本営にも総員起こしをかけよ。直ぐに出発する。仲権、先導せよ」全力でことにあたるべきと判断を下す。


「承知した!」


「別駕殿、ここは山間の地形、追撃してくる敵もおりましょう。山頂に部隊を上げ、計略を用意して追っ手に痛烈な反撃を与えるべきかと」


 ただ向かって一緒に逃げるだけでは共に滅びてしまう可能性がある、当然備えてしかるべきだ。一軍を分割し、陳宮に預けてしまう。この瞬間に裏切るかどうかといえば、今後に変化が大きいので今はないとの判断だ。


「別駕殿、軍勢整いまして」


「よし、直ぐに出るぞ!」


 曹操も騎馬すると日の出を背にして山道を進む、曲がりくねる道の左右を見上げると、ここで攻撃されてはたまらないという箇所がいくつか見られた。それを回避する為の道も同時に頭に入れておく。いついかなる時にでも離脱できるように努力を。


 戦いの音が風に乗って聞こえて来る、周辺を一瞥して道が狭く守りやすい場所を指定し「そこに陣を張れ」部将らに命じ「仲権! 兵五百を与えるゆえ、妙才の撤退を援護し戻れ」事情を知っている夏侯廉を指名した。


「承知! 行くぞ、続け!」


 幽州兵、それも劉虞の首を持ち帰ったと聞いて志願してきた奴らばかりなので異様に士気が高い。速足で戦場に向かって行くと、すぐに必死に奮戦している味方を見つけた。多数に包囲を受けて円陣を組んでいるが、押されているのは明白だ。


「間に合った! 痴れ者どもに一撃くれてやるぞ、突入!」

 

 包囲の背中から突如現れた一軍、不意をつかれた公孫賛兵は驚いて乱れてしまう。するとそれを見た夏侯淵が「包囲が崩れた、血路を切り開き脱出するぞ!」先頭に立って敵を切り捨てる。


「味方の道を確保しろ!」

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