第390話

 徐州の陶謙、朱儁を後援したり孫策を警戒したり、そして今は息を潜めているところ。朝廷の打倒を目指しているとも言えるが、直接会ったことが無いので人となりは闇の中。


「荀攸殿に早馬を出し、充分警戒するように伝えるんだ。詳細を調査するのは後にして、まずはその手配を」


「御意」


 小一時間ほどして、速やかに手配を終えた荀彧が部屋にやって来る。この場で確認できることなど知れているので、あとは時間経過を待つしかない。


「ご苦労だ。それで、どう思う?」


 あまりに大雑把な問いかけに、まずはどこから切り出すべきかを短く思案した。今ならばまだいくらでも手を打つ機会が残されている。


「冤州刺史を任命したのであれば、目標は冤州かと考えられます」


「まあそうだろうな。ここを利用して他をどうにかするにしても、まずは冤州を支配してからになる」


 明白ではあっても一歩ずつ認識を進めるのが大切だとばかりに互いに頷く。ではどうやって支配をするか、手段を考えてみる。


「刺史になるべく手段、三つが想定できました」


「ほうそんなにあったか、是非とも聞かせて貰いたいものだ」


 道筋が一つでは策とは言えない、また複数あっても全てを防げたならば精度の上で策とは言えないだろう。


「一つ、武力や政治力を使い、冤州刺史の座を力で奪う。至極直線的なもので御座います」


「うむ。それが出来るならば、むしろそいつが刺史に相応しいだろうさ。実力で上回っているという証だからな」


 良くも悪くも強いものが勝つ、こればかりは時代が変わろうとも必ず存在し続ける真理。恨みがあったとしても、それは負け犬の遠吠えに等しい。


「二つ目は乞われて受け入れられることです」


「というと」


「我が君が死去した場合、冤州をまとめる為に朝廷の承認を得ている刺史を招くのが安定への道でありましょう」


 なるほど個人を除けばそれで状況は大きく変わってしまう。居ないならば仕方ない、その時には金刺史は迎え入れられて綺麗に収まるだろう。それは島にもよく理解出来た、どうするかについては頑張って生きるしかない。


「確かにな、その時にはそうしてくれ」


 死人には一切の発言権が無い、気持ちを表す術もなければなにも残らない。島に子でもいれば別だろうが、天涯孤独の身ではどうにも。


「三つ目は、こちらから返上してでも刺史を降り、金刺史に座してもらうことかと」


「それはどういう状況だ」


「説明いたします前に、当人と話をして前提を確認する必要が御座いますことを先にご注意申し上げます」


「わかった、それで」


 特殊な条件があって初めて成立する、それを荀彧がわざわざ指摘したということは皆無ではないことの表れだと島は受け止めた。


「金刺史が勤皇派だったならばです。我が君はいずれ官位を進める為に刺史を手放す必要が出て来るでしょう。その時、正統な赴任をしてきている者が居れば横やりを入れることが出来ません。これがその先手を打つ何かであれば」


「ほう……」


 必要になってからでは時間も足らず、人選もままならず、任命には邪魔が入る。だが全くの絵空事の状態で備えるならば、様々な軋轢は飛ばしてしまうことが出来る。このような突飛な行動、余程相手を知らなければ実行できない。


「一度人物を確かめてみる必要があるな」


「こればかりは他人任せにすることは出来ません。某にお命じください」


 全てを知り得ている人物で、そのうえ判断の基準を信じられる人物。荀彧か、荀攸か、或いは荀諶かといったところ。荀攸は徐州を警戒しなければならない、荀諶はというと陳国のすぐ隣が徐州で、荀攸が位置している任城あたりよりも近かった。


「接触するのに危険はないのか」


「ないと言えば嘘になります、不明とすべきところかと」


 ここで荀彧を失えば様々なことに害が出てしまう、派遣しなければ手探りで未来を歩むことになる。行くというならば送り出すべきだ、ではどのようにすれば安全を担保できるのか。


「俺は無防備で荀彧を送り出すつもりはない。いつ襲撃を受けるかも知れん、黒兵五百と指揮官として目端も利く文聘を部将としてつける。それと、無頼や暗殺者への対策に典韋を専属護衛として添わせる、良いな?」


「それでは我が君の身辺が薄く」


「なに、直接的な攻撃には趙厳と呼廚泉が居れば安心だろ。そして毒物などには医者の元化が居る」


 無知でしかない自分たちよりよっぽど色々と知識があると、そんな人物を挙げた。軍の訓練や統制に関しては、規模をわけたりすることで比較的誰でも統率可能だ。


「承知致しました。手筈が整い次第そのように」


「ああ、頼んだぞ。それはそれとしてだ、徐州の陶謙だがどんな奴なんだ。あいつだけは全く想像がつかんのだ」


 あったことが無いので存在を耳にした程度、どういった目的をもつ人物なのか本当におぼろげでしかない。


「陶謙、字を恭祖と申します。還暦を迎えその頭脳は冴えるばかり。最初学問を好み首都の太学で学び、郡県の役人として働き、ついには茂才として中央に入ります。その後、幽州刺史として北方の治安維持に努め、中央に戻った後に、徐州で黄巾賊が跋扈しているのを鎮圧すべく刺史として赴任したものです」


「文官だったのか、それがいつしか経験を積み軍を率いるように。統率者として優秀というわけか」


 猛将の類ではないだろうと情報を読み取る。軍事というのは規模が大きい程に武力を必要としなくなってくる。


「徐州をその支配下に収めると、統治は繁栄を極め、近隣からも流民が多数流入しました。すると治安が乱れ反乱が起こり、ある時孫堅殿に援軍を求めたことが御座います」


「同時多発、決戦をしないような戦だったのかも知れんな。小規模で多数となると、武官の感覚でなければやりづらい」


 状況が霧の中だとしても動く無ければならない、武官ならば思い切りよく前へ進むかもしれないが、文官ならば調べて備えるために退くことがある。どちらが良いかは結果をみなければわからないが、行動が別れるのは比較的そういう感じになるのが多い。理論や常識を優先するかどうかの違いだ。


「先の徐州入りで襲撃を企図したのが徐州殿の意志か否か。知らぬとあらば誰の仕業か、いずれもはっきりと致しません」


「あのようなこともあり、知らないでは能力不足。知っていて未だに謝罪の一つもないのが全てを語っている。少なくともこちらを、いや、俺を良くは思っていないんだろうさ」


 秘密にしていてもいつか何処からか必ず情報は洩れる。ましてや隠してもいないことを、徐州刺史である人物が知らないはずがない。或いは行動出来ない何かしらの制限を得ている可能性はある。


「別駕の王朗殿であれば、何かしら判明するかも知れませんが」


 以前に話をした際には好印象だった、あの人物ならばきっと何か教えてくれるだろうとの感覚が島にもあった。ただただ相手を調査するだけでは聞きづらい面もある。


「知らないからこそ付き合えることもあるかも知れんぞ。軍を動かすのでなければ放っておくとしよう。俺達にはやらねばならないことが山積している、わざわざ余計なことに足を踏み入れることもないさ」


「御意」


 啄城にある太守の間、その席に腰を下ろした曹操が上機嫌で皆を見回す。首尾よく公孫越が不在の機を得て城を攻めとることが出来たからだ。


「不用心な奴でしたな!」


 夏侯淵が主将が居ない城を手に入れて笑っている、敵が強い程に良いとも思っているが、戦果は戦果だと。この場の皆が気を良くしているが、戯英だけは目を細めて何事かを思案していた。


「しかし、直ぐに公孫賛もこのことを知り、軍勢を振り向けて来ることでありましょう」


 陳宮が防備を重ねるようにと幾つか周辺の城を押さえるべく地図を思い浮かべる。一カ所に固まってしまっては身動きが取れなくなってしまうから。


「慌ててやって来ても何も出来はしないでしょう。それよりも孟徳殿、おかしいとは思いませんか、この静けさ」


「ああ、うぅん。仲徳よ、どういうことだと考える」


 程立に言われてみれば様子がおかしい、何だか勝たされたかのような奇妙な感覚すら覚える。一度疑心を持ってしまうと幾つも不安が浮かんできた、ふと戯英を見ると眉を寄せているではないか。


「私よりも知恵者がそこにおりますが」


 他所に聞けという、問題提起をするだけでも役になっているので良い。曹操は頷くと、陳宮の方に視線を流した。突飛なことを陳宮が言えば反発がある、だが戯英ならばそこまで反感を持たれない。雰囲気を作る意味からも質問する相手を選んだ。

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