第389話
一騎打ちに決着がつかない中、劉備の冷静な軍指揮で呂布軍が劣勢になって行った。魏越ではこれを支えることが出来ずに、次々に押し込まれてゆく。伏兵が増援に現れるも、千人隊が二つそれぞれを押しとどめる。
「くそ、これでは戦いにならん! 魏越、一旦撤退するぞ!」
張飛をあしらい撤退を命令する、陣は捨てるしかない。総崩れにならないように、何とか統率を保ち退路を確保した。機を見て宋憲と成廉も逃げ出すが、関羽も趙雲もそいつらを気にもせずに呂布のところへと向かう。
「待たせた、関雲長これにあり!」
「趙子龍推参!」
呂布へ攻撃をしつつ戦列に加わる。三人から繰り返し攻撃を受けるが、呂布はそれらを全て防ぎ続ける。何たる武力かと感心している場合ではない、様子を見て自らも離脱しなければならい。
「将軍、こちらへ!」
魏越が後ろから趙雲に切り掛かりスキを作る。無理な体勢だと思っていたが、赤兎馬は奇跡的な動きを見せて僅かな隙間を跳躍した。
「なんと!」
これには関羽も張飛も驚きを隠せない、そんなことが出来るとは考えもしなかった。だが呂布は出来ると信じていたようで、機を逃さずに離脱に成功する。
「助かった、退くぞ!」
「おいこら呂布、逃げるのか!」
張飛が罵声をあびせて追いかけていく。戦場は未だあちこちで戦いが続いているので、周りの声が耳に入らない。或いは聞こえていても呂布を追いかけるつもりだったのだろう。
「待て翼徳! ええい、子龍よあいつを連れ帰るのだ。私は軍の統率を取り戻す」
「承知!」
趙雲は馬を走らせて張飛を追って行った。関羽は劉備と離れて、乱戦の最中にある野営地内部で軍指揮を執り始めた。するとみるみるうちに呂布軍の残兵が数を減らしていくではないか。炎に包まれて陣が燃え盛る。ややすると不満で一杯の張飛を連れて趙雲が戻って来た。
「なんでぇ、あと少しだったのによ!」
「我がままを言うでない」
こいつはいくつになっても、と関羽が呆れてしまう。戦闘も大方かたが付き劉備がやって来る。
「兄上、申し訳ありません呂布を取り逃がしてしまいました」
「お前達で無理ならば誰にも出来はしないだろう。戦いには勝利した、楽陵へ速やかに引き返すぞ。勝鬨をあげよ」
「それは兄上が」
三人の視線が注がれると劉備は破顔し「では皆で」矛を突き上げ雄たけびを上げた。兵らも勝利の声を聞くと、同調して声を出す。目標は果たせなかったが、まずはこれで満足するべきだと劉備は小さく頷くのであった。
◇
193年6月
麦の収穫で各地が潤う中で、陳留は小黄で一つの試みがなされていた。長い縄を四人の男が引っ張っている、その縄の先には大きな木に括りつけられた丸い何か。
「それいけ!」
典韋と黒兵で体重を乗せて縄を引っ張ると、反対側の端に巻かれている木の根がじわじわと動き始めて、ついには地面から引きずり出された。見物していた大勢のものが、まさか! と、どよめいた。傍にいた荀彧すらも「おおぉ……なんと」などと言っているのだから異常なのだろう。
「ほう上手く行ったな、良かった良かった。はっはっはっはっは!」
島介は一人ご機嫌で笑っている、彼の発案でどうやったら木の根を楽に抜くことが出来るかという実験をしていた。牛馬を用いて無理矢理に抜くには、多大な苦労があったうえにそれらを持たない農民では開墾が出来ない現実があった。だが。
「やったぞ親分!」
「おう、典韋は休んでいいぞ。どうだ荀彧、これなら誰でもできるんじゃないか」
主人の問いかけに荀?は姿勢を正して拝礼する。これから起こる大改革の先を想像出来てしまったのだ。
「まさかこのような手立てがあったとは、文若の無知を痛感させられました。しかしなにゆえあのような仕掛けで?」
木々の間に張られている縄と、丸い木片、それをしげしげと見詰めている。後世では当たり前でも、この時代では不明の原理なのかもしれない。知っている者は居ても、自分だけが利用している程度のことなのだろう。
「俺には詳しく説明出来んが、あの滑車を一つ挟むことで、半分の力で二倍の距離を引っ張ることになる仕組みだ。だから単純に力が足りないならば滑車を複数挟んで距離を曳けばよいって話らしいぞ。詳しくはどこかの学者にでも研究させてくれ」
動滑車の原理。義務教育で聞き流したことがあったのを思い出した、それを実践してみたら上手く行っただけ。島介にしてみればそんな話でしかないが、荀彧らには恐ろしい程の所業に映っている。
「文若が研究をさせて頂きます。今は何故を解き明かすよりも、利用方法を確立することを優先致します」
「ああそうしてくれ。縄は農民らに作らせるとしても、滑車はこちらの工房で生産してやらんとダメだろうな」
木工技術が必要なので誰にでもとはいかない、道具が手に入らなければ絵に描いた餅、それを供給してやるのは公の仕事だろう。
「水車工房であれば、さほど苦労せずに製造可能でありましょう。利用の方法を周知させるための専門家も用意致します」
「ああ、それだが、黒兵らで心身を害した者達を中心に見繕えないだろうか? 己の存在意義を減じてしまい、意気消沈している奴らに役目を与えてやりたいんだ」
傷痍軍人は過去の栄光にすがるしか残りの人生を過ごす道が無い、そんなのは辛すぎるだろうと考えていた。これは世界の東西関係なく、時代の新旧もまた関係ない。それでも人は生きていくという部分だ。
「知識の泉と信頼の裏打ちで御座いますね。お任せ下さい、必ずや意に添うように致します」
「頼んだぞ。さてここらで飯にでもするか」
目的はなされた、ならば後は引継ぎをして別のことに取り掛かろうというところで、赤い旗を指した伝令が林に駆け込んできた。島介の姿を見つけると目の前で片膝をつく。
「報告致します! 金尚という者が朝廷により冤州刺史を任命されたとのことです!」
誰だそれは、という視線を荀?に向けると目を細めて記憶を遡る。
「それは京兆尹の金元休殿でありましょう、第五殿、韋殿とで三休と呼ばれる長安の名士。李鶴殿、郭汜殿の差配でありましょう」
第五は文休、韋は休甫、地元豪族で郎官については帰郷するくらいの形でしか世に出ていない者達。だからこそ柵が少ないとばかりに、朝廷を牛耳る李鶴らの目にとまった。人事権を持っているのは皇帝ではあっても、諾とするしかない。
「さてどうしたものだ、俺は刺史をやめるつもりはないんだがね」
「入境を拒否すべく命令を出すべきでしょう。朝廷より解任の使者がきてもおりませんので、さりとて僭称でもないとなれば混乱は必至。それが狙いなのでしょう」
複数の刺史がいれば争いになる、それは揚州でも起こったので単純に納得できた。問題はそこではない、これだけ統治が確立している冤州に、名ばかりで刺史だとやってきても受け入れられるはずがない。ではどうするか。
「その金尚とやら、どこを頼るつもりだ」
「……冀州は万全、決して我等の敵にはなりますまい。青州は混乱の最中、他に手出しをしている余裕はありません。河南尹方面には朱儁将軍が居て防壁になっております、豫州の潁川、陳ともに我等の本拠であります。さすれば徐州が残りますが」
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