第387話

 軍師役の陳宮が諜報の成果を披露して来る。伏せている内容は幾らでもあるだろうけれども、まずは敵の規模を明かにした。幕に連なる部将らも、それを聞いてどうすべきかを思案する。


「あちらは二千、こちらは一万だ取り囲んで押し切れば良かろう」


 そう最初に言ったのは夏侯淵、確かにそれで終わりならばそういう方針でも良い時もあった。意外とそうだそうだと頷く数が多かったので、曹操は無表情で言葉を発しない。


「志才殿はいかがお考えか」


 曹操の息子、曹昂が問いかける。この曹昂、実力はそこまででもないせいで、比較的周りに考えを求める姿勢が目立つ。一方で三番目の息子である曹沖はまだ子供なのに聡明で、能力に満ち溢れていると曹操は感じていた。とはいえ今のところ嫡男ということで、周りの反応もまた違った。


「軍都、昌平より二日の薊県に公孫賛の主力が御座います。いくら押そうと致しましても二日や三日では陥落致しませんでしょう。そうなれば内と外から挟まれることに」


 城門を閉じて守りに専念すれば城は簡単に落ちることはない。また昌平から早馬が出ることも考えられるので、封鎖して情報を切ることも不可能、狼煙だってあがるだろう。


「ではどのようにしたらよいとお考えで」


「子脩殿は平攻では納得いかずに私にお尋ねをしているのでしょう。では問いますが、どの部分にご不満がおありでしたでしょうか」


 思うところがあって話をしたのだから、その根拠を知りたいと聞かれたら答えないわけにはいかない。仮に何と無くだと言われたとしても、それはそれで一つの回答になる。今後曹昂がどういった思考をしていくかの一端として。


「思うところは三つ。一つは軍が固く備えている場所を攻めるべきなのかどうか。二つは軍都と昌平二カ所とも得ずばどこまで意味があるのか。そして三つは、我等が欲しいのは軍都なのか、それとも拠点となる城なのか、です」


 曹操は目を細めて言葉を吟味した。凡庸な子だと半ば残念で仕方がなかったが、部将らが押せと盛り上がっているところで、このように考えていたのに興味を持つ。ちらりと陳宮を見ると、口元が笑っていた。軍都の兵力を口にした理由がどのあたりにあったのやら。


「左様で御座いましたか。では一つずつ参りましょう。その備え固きを攻めずと申します、さあくるぞと構えている敵を相手にするのは被害が大きくなってしまいますので下策でしょう」


 不意を打つことこそ神髄、気づいたら終わっていたというのが好ましい。もしどうしてもというならば、相手のやる気がしぼんだ後に仕掛けることが出来るようにすべきだ。


「二つ、対になる城ですので、どちらか一方を残してしまっては目を潰すことは出来ずに、使いづらい事態に陥るだけでありましょう」


 何せ見える場所の城だ、動きがあれば直ぐに報告されてしまう。それは公孫賛にとっては良いことでも、曹操にとっては不便極まりない。


「三つ、求めていますのは前進基地。なれば軍都である必要はありますまい」


 近くにあるのは確かに軍都であるが、代わりになる城は幾つもあった。目の前の餌に食いつかなければならない理由はない。戯英はにこやかに、わずかではあるが年少の曹昂へ説いてやる。


「それならば軍都から見えるところに旗印を並べ、別の城を攻めとるならば虚をつけるのでは?」


 曹操は髭をしごいて曹昂がどこへ向かうのかを見極めようとした。陳宮へ視線を流し、何かを促すと目で解ったと応じる。


「曹昂殿ならばどこを攻めますかな。数日ならば旗印だけで虚兵を保てるでしょう」


 その問いかけに頭を捻ったのは曹昂だけではない、この場の武官らが皆で思案する。選択肢は幾つもあるがその中で虚兵を保てるのが数日、という部分に制限がある。基本的に遊撃戦力は守備兵よりもかなり多い、なので目標とする防御側の兵士のほうが多いことはまずない。例外は相手の遊撃軍と接触してしまった時のみ。


「薊城に公孫賛の主力が駐屯しているので、気づいても救援が間に合わない場所。それでいて前進基地としての機能を備え、防御にも有利。こちらが奪えることが前提ではありますが……」


 地図を広げてじっと睨む、ぽつりぽつりと対異民族用の囲郭された郷があり、一定距離ごとに県城がある。己ならばここを獲る、曹操がじっと答えを待った。


「さて曹昂様、お答えは?」


 戦場では時間制限もある、じっと悩んで明日にするとはいかないことは幾らでもあった。せっつかれて次善を回答するならば、それはそれで一つの性格は空くとして役に立つ。


「私ならばここ、啄城を遠慮なく頂く。ここならば交通の要衝でもあり郡都でもある。奇襲が最初しかできないのであるならば、一番の大物を狙う」


 指を置いた先は現在地から南に七日の啄城。代城とも等距離であり、連絡能力としてはここと同等だった。


「お見事です」


 陳宮が拝礼すると曹操が進み出た。表情を作りはしているが、今日は内心の部分でも満足感を得ている。


「よくぞ言った、子脩は日々励んでいるようでなによりだ」


「父上、ありがたく!」


 まだ二十歳そこそこで、子供の延長から大人になる時期だ、親から褒められると素直に嬉しそうにする。ここで感情を露にしてしまうところにまだ甘さがあるとは思ったが、それは後に二人きりで諭せばよいと軽く流してしまう。


「んっ、啄郡は人口も多く、ここを押さえることが出来ればかなりの前進を見込める。また冀州との連絡も容易にとれるようになり、収穫も極めて多い。戦力を行使するならば実入りが大きくなければならん。ああっ、啄県の主将はどいつだ」


 これは左右の幕、即ち陳宮と戯英に向けた言葉だ。不明でなければより上席の人物が言葉を発するのを待つのが礼儀だった。


「太守の公孫越が居しております」


「はっ、凡俗の輩であるならば相手ではない。陳宮、策をあげよ!」


 手のひらを重ねて、数秒考えをまとめる為に沈黙する。ややすると腰を折り、視線を床に落として声を張った。


「軍都周辺の山々に兵千を進出させ、盛んに軍旗を打ち立てます。租陽の住民を狩りだし、日中は多数が存在すると見せつけることも同時に。代県に向け啄鹿まで山道を戻りそこから南下、正多山より啄県を臨み待機。これに先行し、啄県の城門を一つ押さえる為に潜入工作員を送り込みます」


「正多山の道につきましては、幽州殿のところで調査済にございます」


 陳宮の発言に戯英が補足をする、出て来る前にこうなるだろうと下調べをしていた抜け目のない奴、という印象を持った。先が見える配下が居るのは良いことだと頷くだけで終わる。


「事の成否は二つ、山岳行軍を速やかに行えるかと、城門を奪取できるかに御座います。部将の方々に問います、我こそはというお方は?」


 一人を残し全員がいずれかに志願をした、統率力を売りたい者は行軍を、武勇を誇りたいものは城門を。


「子孝はなぜ声を上げんかった」


 曹仁だけが黙って腕組をしていたので誰何する。どちらに志願しても充分に任務を全うできるだけの能力があるのは間違いない。


「全員が行ってしまえば、ここを指揮する者が居なくなるではないか。それに啄郡を支配するならば孟徳が行かぬわけにもな、俺が残る」


「ああっ、然り! 子孝よ、我の旗をそなたに預ける。万が一の際は租陽に籠城し援軍を待て、必ず助けに来る」


「囮の役目を終えたら無理はしないと誓おう」


 割り振りを終わらせると曹操が場を解散させた、陳宮だけが後ろをついて行く。己の幕にやってくると大きくため息をついてしまった。


「孟徳殿、何かございましたか」


 椅子に腰かけて視線を陳宮へ向けると「わかっているクセにワシに言わせようとは性格が良いとは言えぬぞ」二人きりなので砕けた感じで受け答えをした。


「はてなんのことでしょうか。言葉になされなければ伝わらぬこともございますので」


「はっ、全く。今はまだよいが、言われたことだけをこなすだけでは大成はせん。何とも情けない奴らだ」


 やれやれと目を閉じて先ほどのやり取りを思い出す。幾度か分岐点があり、そこであえて足を止めても真っすぐに突き進んでしまう。これでは戦いの場では翻弄されてしまうだろう。


「皆まだお若い、なれば経験でどうにでもなるでしょう」


「それこそ痛い目を見ればな。失敗は許容する、だがそれで命を落とす可能性は常にあるのだぞ」


 成功ばかりしていては糧にならない、不思議なもので成功させるためにしているのに、失敗をすら求めてしまう。決してしくじれいないなにか、それ以外は失敗した方が身になる。


「護衛兵を密かに寄り添わせてはいかがでしょうか。余計なお世話と反発されるでしょうが」


「陳宮はワシを侮辱するつもりか?」


「これは失礼致しました。啄郡の公孫越でありますが、自慢の騎兵訓練の為に度々城を空けるとか」


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