第385話

 内政業務、今の今までやったことなど無かったが、少しでも案をだせればと食い下がっていく。


「作物だが、稀に異常種が発生する。これは確率でしかないが、そういった変異種を研究しよりよいものを増やす作業が必要だ。品種改良といってな、別種や特異種をかけ合わせていくんだ。これこそ十年二十年では効かない根気がいる仕事になる」


「品種改良でありますか。確かに年によっては収量が多かったり、寒さに強い時も御座いますが、偶然そうなっただけと割り切り、全て収獲してしまっております」


 それは食糧が少なく飢饉にもなるので仕方がないことでもあった、食べずに死んでしまう位なら明日ではなく今日を大切にするのは間違いではない。


「収穫量、品種や地域、育て方に土の状態。冤州だけでよいので具に記録をし、それらを専門に研究する機関を設置するんだ。それこそ研究者は学者が好いが、情報収集は農民の方が気が付く部分があるかも知れん」


「我が君は農学研究のご経験がおありで?」


「そんなものはないさ、ある種の勘でしかないぞ。戦争だろうと農業だろうと、一定の知識や感覚があって初めてわかる部分もあれば、知識として浅い部分なら推測出来たりするだけのことだ」


 未来の学校授業、それは基礎を学ぶところであり、なんの役にも立たない知識を詰め込んでいるだけ。ところがそういった知識に触れたことがあるだけで、必要になった際に自然と深く掘り下げるだけの何かが産まれて来る。それが人生経験というもの。


「謙虚であることは美徳で御座います。文若、いままで我が君がこうも農工に深く及ぶとは考えておりませんでした、敬服致します」


「こちらは何度も聞いて、見て、考えてやっとだ。だがお前なら一度見聞きすればより良い結果を想像出来るだろ、だから俺を踏み台にして更なる結果を導け」


「お言葉の通りに」


 調子がくるってやってられない、そう思った頃には外も暗くなってきていた。


 193年5月 平原楽陵県


 開けた平城の楽陵は、平原国の北東部に存在する。その平原はどこかというと、泰山のある済北国の北に十日といったところ。いま平原軍を集めて劉備はそこに駐屯していた。


 精強な騎馬兵は二百か三百か、その程度で全て。殆どが一般の歩兵、それも武装は軽い。つまりはさしたる軍勢ではないが、五千を集めているので無視も出来ない。ではなぜそんなところに居るのかというと、幽州の公孫賛に願われてやって来ていた。


「のう雲長、人はどうして争うのであろうな」


「兄上……某では解りかねます」


 劉備にとって公孫賛は同門の兄弟子、その縁ある人物が助力を求めて来た。相手は冀州の隣国である渤海の袁紹。もし蛮族や盗賊が相手ならば喜んで協力をしていたが、同じ官につく者なので複雑だった。袁紹が州境を越えて侵略をしさえしなければ公孫賛を諫めていたかも知れないが、明らかに袁紹に理がない行動だったので劉備は動いた。


 最初は袁紹に乞われて援軍を差し向けていたが、後に公孫賛に袁紹は今上陛下を蔑ろにしたと事実を突きつけられると考えを改めた。平原に戻り黙っていたが、領地の端にまで軍を進めることにしたのだ。


 渤海郡の都で、袁紹の拠点の南皮県まで北西に五日の距離、間に垂合県があるだけで目と鼻の先とすら言える。そんな場所にいるからこそ、袁紹も全力で公孫賛を攻撃できずにいた。牽制になっている。


「なあ兄者、袁紹っていったら、董卓と戦ってた時にすげぇ態度が悪かったあいつだろ。丁度いいからぶちのめしてやりゃいいんだよ!」


「これ翼徳」


 関羽もたしなめはしたが、袁紹には全く好感情を持っていない。治安維持を行っている公孫賛の方をこそ、より身近に感じてすら居た。何よりも自身の感情などどうでもよく、劉備がどうしたいかだけが頭をよぎっている。


「しかし玄徳殿、黙ってこのまま動かずとも行かぬのでは御座りませんか?」


 若武者の趙雲が、三人の後ろから声をかける。義兄弟の契りを結んだので、張飛の弟分として身を置いている。更に下に牽招というのが居るのも聞かされていた。


「ふむ。幽州殿は別駕に曹操殿を据えて、代郡より薊を窺っているところ。周辺の異民族もそれに呼応する見込みとのことだな」


「幽州殿の威徳は烏桓や匈奴にも響いておりますからな。かくいう自分も、かの人物を尊敬しております」


 関羽の言葉に趙雲が爽やかな笑みを向ける。劉一族の高兄として、劉備も敬意を持っているが、この度は反対陣営という形になっていた。間接的であって劉備と劉虞が争っているわけではなく、劉虞の援助勢力である袁紹と、公孫賛の援助勢力である劉備が対峙しているだけだが。


「俺ににゃそういうのはわかんねぇんだよ。とにかく、袁紹ぶっとばしてやれば渤海も手に入るんだし万々歳だろ!」


「そう単純な話ではないのだぞ翼徳」


 やれやれとため息をつく関羽だが、劉備がどう考えているのかが読めなかった。動かないならばそれはそれで構わない、警戒だけして平原に滞在している分には悪くない。ところがその時、地平線の彼方に何か黒い粒のようなものが見えたような気がした。


「あれは……」


 動いているのを認めて、城壁のへりに手をかけて目を細める。遠すぎて良くわからないが、徐々に近づいているような気がした。


「物見に行ってまいりましょうか?」


「おう、俺も行くぞ! ここに居ても身体がなまるからな。いいだろ兄者」


「……翼徳、子龍、様子を見てまいれ」


 二人は大きく承知をすると、早速城壁を下って騎馬に飛び乗る。二十騎だけ引き連れて城門を出て行くと、黒い粒に向かって馬を走らせた。ややもすると何やら軍旗が見えて来た。そこには『奮威』『呂』という文字が書かれている。


「なんだあいつは?」


「翼徳殿、あれは奮威将軍呂布殿ではないでしょうか」


 この頃、奮威将軍を称している人物は呂布しか居ない。長安を落ちて後に行方をくらましていたが、戦場に現れても何の不思議もなかった。


「あいつか! くそっ、何しに来やがったってんだ! おい、行くぞ」


 怖じもせずに馬を走らせて軍勢に近づくと、騎兵二百、歩兵三千程の一団が見えて来た。小勢であっても警戒を緩めずに、歩騎百が進み出て来る。


「我は奮威将軍が配下、成廉なり。名乗られよ!」


「はん、俺は平原相劉備の義弟、張飛様だ! 何しに来やがった!」


 ここは既に平原国の領域、兵馬を踏み込ませたならば侵略を問われてもおかしくはない。呂布が仮節を持ち軍を統率可能な立場である例外を除いてしまえばだが。成廉が後ろに引き下がって行くと、本隊から百の騎兵がやって来る。その先頭には赤い馬にのった呂布の姿があった。


「ほう、どこの偵察かと思えば、虎牢関で競り合った者ではないか。まだ生きていたとは重畳」


「るせぇ! テメェ、何しにやって来たってんだ。ことと次第によっちゃただじゃ置かねぇぞ!」


 これが地である張飛だが、傍にたしなめるものも居ないのでどうしようもない。呂布はにやにやとして応えた。


「俺は今、袁紹殿に厄介になっていてな。渤海にたかろうとしているハエがいるから追い払えとのことだ。その位はやらねば義理も立たんのでな、大人しく消え去れば追い立てるようなことはしないでおいてやるぞ」


「何がハエだこの野郎、ぶちのめしてやるから出て来い!」


 張飛が馬を進ませて蛇矛を天に向かって掲げて鼻息を荒くする。趙雲がそれを追い駆けて引き留めた。


「翼徳殿、主君は偵察を命じられたのです。これでは命令違反になりますぞ!」


「なに? それはだな……」

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