第384話


 拳礼をして一人一人にありがとうと伝えると、二人は落ち着かなそうに返礼してきた。まあ、そうかも知れんが困った時にこうやって助けてくれた奴らに感謝せずにどうするって話だぞ。


「島将軍にはお世話になっていますので、この程度でそのようなことは」


「辛批殿、それは違う。義務を負っているわけでもないのに、自発的に協力をしてくれた事実は、この程度などではない。繰り返し礼を言わせて貰う、ありがとう」


 それぞれが視線を交わすと深く礼をして終わりにした。州府としての機能は一時的に移してはいたが、何も無いはずがないんだよな。


「文聘、不在の間の報告を」


「はっ。将軍が徐州へ向かわれて半月、陳国から潁川へ一行が行方不明との速報が入りました。予定になっても戻られないので潁川の張遼殿に相談すると、何かしらの問題が発生しているはずだと聞かされ、急きょ二名に来ていただき府を支えて頂きました。降雪があり情報も途絶え途絶えになってしまうも、陳留は太守殿が滞りなく維持をし、州は荀治中が政務を執り仕切り危なげなく推移。雪解けが来て本格的に捜索を開始しようとしていたところ、都より急使がやって来て所在が判明したものです」


 陳国というと荀甚か、行商人が情報を持って流れでもしたのかも知れんな。真冬になると連絡が取れないのは常だ、行き先不明では街道を強引に進むことも出来ないか。これはこの先も注意しなければならんな。


「不意打ちを受けてな、無事に戻れるまでには色々あったさ。時に、急使とは?」


「そちらは馬日殿が現況報告だと走らせてくれたものです。もっともまた何処かに出かけるとのことでしたが」


 あのおっさんは随分と旅が好きなんだな、現地踏査にかけては他の奴らと勝負にならんくらいうろついてる気がする。随分と前からだぞ、都にいるほうが短いんじゃないか? となると重宝もするわけだ。


「まったく、俺をこの道に走らせた責任位は求めるが、働き過ぎは良くない」


 軽口を言い放って目を閉じる、感謝しているんだぞ。


「任城方面では小麦の収穫が増加し、食糧が増えたことで賊徒が下山し住民として戻っているとの報告がありました」


「少しはあいつらの溜飲も下がったというわけか。ある程度までは政策の方針で増産できるが、その先は技術革新が必要になって来るぞ」


 栽培面積要は開墾度あいだな、その増加は政策でまだまだ増やせる。脱穀や保存方法も適切な道具や設備があれば改善可能だ。根本的な部分、品種改良は専門家の知恵と年月が必要になる。


「荀治中により農地開発と農具貸出、農耕牛馬の増加策、流民の取りまとめによる集団営農などの施策が打ち出されております」


「俺がやりたいことを既にやってくれているのはありがたいことだ。一年経てば収穫は二倍になるな」


 適切に畑を利用する知識を行き渡らせるために教化する、輪作の徹底させることで土地がやせるのを防ぐ。それをするためにも租税をギリギリまで押し付けない、そうでないと税の為に無理矢理に耕作をしてしまうからな。働いて食っていけるなら、農民は大人しいものだぞ。


「収量が増えたと知れ渡れば流民が集まり食糧が不足するのではないでしょうか?」


「その人口が労働力となって、更に収穫が増える。暫くはこれが繰り返されるだろうな、見ての通り未開発の土地ならいくらでもある。その半年を喰って行けるかどうか、そこが問題だったんだよ」


 何せ人は数日食わないだけで死に直結するほどのダメージが身体に入る、それを回避さえできれば人口は生産力とほぼほぼイコールだ。ザクッとした肌感覚だが、耕作地は領土の一割程度しか使えていない、その位開発度合いは低いまま。


「品種はどうにもならんが、そうだな……文聘、それに三人にも問いたい。農地を切り開く時に一番大変なことは何だと考える?」


 皆が顔を合わせて、恐らくは同じことを思い浮かべただろう表情をした。陳葦は農作業ってガラじゃないよな。


「木の根を抜くのが最大の難点と断言して良いかと。いかがでしょうか」


「いかにも」


 三人が文聘の言葉を認める。伐根作業か、確かに人の手でやるには難しかろう。


「作業について詳しいものを呼び、後日集中的に検討する。鋤、鍬、鎌などの道具についてはどうだ」


「昨今、中央以外でも製造することが出来る時代になっていますが、絶対量は少ないと言えます」


 長安に居た頃には技術屋がいたが、何処にでもいるわけでもないし、そもそもが注文をいれないと作らんか。こちらで大量注文を入れて配布するとしてだ、塩鉄は国家の専売特許じゃなかったのか?


「製造拠点はどのくらいあるんだ?」


 という問いかけに文聘は答えられずに陳葦が進み出ると「二百年ほど前は四十六箇所のみでしたが、現在は二百を数えるまでに増加しております」どこのを疑問に持ったのを気づいたようで「国家全土で、でありますが」と付け加えて来た。


 軽い暗算をしてみようか、十州があり均等でも二十カ所、州に郡が七つあれば概ね三か所が郡に存在しているわけだ。長安の工房では数十人が働いていた、あの長安でだ。地方の工房なら十人そこそこだとすると、生産能力は全く足りていないことになるな。


「青銅は鍛造でも、鋳鉄製品だよな?」


「いかにも。一部の鍛鉄工房以外は全て銑鉄であります」


 名品の武具を求めているわけではないから銑鉄で構わんのだろうが、数が足らんか。設備はこちらで用意するとしても知識と技術者は直ぐにとはいかんな。いくらいても足らんだろう、直ぐに育成を始めさせるとするか。


「わかった。小黄に工房教室を作るぞ、年老いて身体が満足に動かずとも知識を伝えることはできる。そういった引退者を含めて、技術者を集めて教育を施す。予算は全てこちら持ちで、教育を受ける者は無料で良い。ただしその後十年は冤州で仕事について貰う条件でだ」


「宜しいのですか、それでは利益を産み出しませんが」


 冤州から出すものは多く、得るものは無いとすら言える。今やらずともどこかで誰かが徐々に普及させていくだろう。


「人間を育てることが国家の利益でなく何だというんだ。十年二十年経って結果的に漢という存在の利益になっていればそれで構わん」


 その時俺が刺史であるかは関係ない、国というのはそういうものだ。陳葦らは目を見開き一礼した。


「その工房立ち上げの役目、是非某らにご命令を」


 辛批と杜襲が進み出て膝をついた。誰が適切かは全く解らんし、若いのに任せてよいかも不明だ、だが。


「鉄の扱いを理解しているのか」


「農具の扱いでしたらば。農民を教育する、それが国家の利益だと仰ることに大変興味を抱きました。わからずば諸先輩らに尋ねながらでも成し遂げてみせます」


 なるほどな、真っすぐなわけか。あの陳紀殿の薫陶を受けているんだ、下手な真似をすることもないだろう。ならば志願を認めるべきだな。


「良かろう、両名を採る。以後、冤州工部従事として、工房関連の担当とする。予算や仕組みについては荀彧と相談しろ」


「必ずや!」


 若い奴らがやる気を出してくれるのは嬉しいことだな。あとで鉄に関係するあれこれを思い出しておくことにしよう、原料は心配ないんだったな使用量が少なすぎて余っているってな。青銅具の需要のせいで、銅がバカ高いのは採掘量の差と、その加工のしやすさの差だな。


 皆が退出すると荀彧がやって来た、どうしたのかうっすらと笑みを浮かべて。


「どうしたんだ、何か良いことでもあったか」


 何があろうと不機嫌な顔を晒すようなものではないと知りつつも、軽口をたたいた。それを受けて荀?も応じて来る。


「志を得た者を見るのが嬉しゅうございます」


「俺が羽長官から継いだのがその志だ。こいつがなんとも厄介なものでな」


 だからどうしたと言わんばかりにそっけない態度、だが荀彧は目を閉じると何度も頷いた。


「左様で御座いますか、難しい程やりがいもあるというもの。何なりと文若にお申し付けください」


「ふん、まあいいさ。鉄の扱いだが、責任者は杜襲と辛批で良いのだが実務的な問題がある。鉄鉱石を集めることと、炉を構築すること、そして炭を作ることだな。つまりは全部だが」


 鉄は二段階で生成される、一つは流れ出る鉄を固めるだけのもの。これをするために炉を作るが、その炉を作るためには高熱に耐えられる煉瓦が必要になる。その煉瓦は炉で生成するのだが、交互に強度を上げて行き、ようやく鉄に取り掛かれる。すなわち前段階は炉の形成、後段階で鉄の精製だ。


「鉄鉱石を買い集めることは難しく御座いませんが、耐火煉瓦の製造には今しばらくの実践が必要でしょう。ですが心配御座いません、文若が必ずや成功させてご覧にいれます」


「そうか。開墾についてだが、伐根が一番の苦であると聞いた。荀彧はどう思う」


 開墾作業などしたことが無い、しているところを見たこともまたない。多大な苦労があるからこそ、未開の地がたくさん残っている。


「同意見に御座います。こればかりは労力を投入し、一歩一歩進めるしか御座いません」


「それを何とかするのが知恵だ。まずは実際の作業を見るところから始めたい、その手配を」


「御意」


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