第382話

 ふむ、まあそれなら何とか出来そうだ。名目は充分以上だし、皇帝寄りだろうからな。問題はその能力と現実をどう打破するか、か。


「それは納得できるが、今のままでは赴任は難しいだろ。それをどうするつもりだ」


「知恵を使いその座に収まるべく策を弄します。朝廷にはそれだけの権限が御座いますので」


 こいつがそういうと何だか怖いな、そんな手があったか! って思うような何かをして、気づいた頃にはもうどうにもならんってやつだろ。


「まあいい、では個人の考えでは?」


「我が君がお許しになられるならば、袁術殿より孫閥の武将らを引き離し、揚州に根を張らせ現在の刺史を追い出します。刺史には呉景殿が宜しいかと」


「ほう、あいつか。孫堅の義弟で丹楊太守か。太守の座を近親者に譲るなりして上奏を認められれば、即戦力になる。だが俺の許しとはなんだ」


 俺には何の権限も無いんだぞ。こちらから兵士を送ってやる位はするかもしれんが。


「孫閥の棟梁には孫策殿が就くことになりましょうゆえに」


「うむ!」


 あいつか、そりゃあいつなんだよな。呉景も孫策の部下として自分のことを思っているようだし、孫賁はどうなんだ?


「豫州刺史の印綬をもっていた孫賁ってのがいるだろ、あいつはどうなるんだ」


「戦乱の世でありますので。孫策殿の実力を見込みます」


「はっはっはっはっは! そいつはいいな! なるほど、実力で上に立つならば文句は言えん。確かに俺好みではあるが、孫策の意志がどこを向いているかもわからんだけでなく、こちらから持ちかけるようなことでもないからな。もし助力して欲しいとあいつが言って来たら、何も聞かずに頷いてやるがね」


 そんなことは言わないんだろうさ、自分で何とかしようとするさ。ということは朝廷の案が実際に起こりうるわけか。


「仲豫殿、有望な皇族の動向を見極める必要があるかと」


「確かに。我の見立てでは劉虞殿の子息の劉和殿、劉岱殿の弟君の劉揺殿、安樂王劉寵の子息の劉興殿あたりを」


「ちょっといいか、そいつらを文字にしてくれないか」


 はて、という顔をされてしまう。知らない名前だが耳で聞くより目で見た方が理解が進むだろう。若干の間を置いて用意された筆と墨で竹に記す。イケメンは文字も上手くかくんだな。って。


「それだ、そいつだよ」


「と言われますと?」


「その劉揺ってのが動くと思う。例によって何の根拠もないが、文字には力があるというあたりで受け止めておけばいい。もちろん他を蔑ろにして良いわけではないが、きっとそうなる」


 荀悦殿と荀彧は互いに視線を合わせて、どうしたものかと目で語り合う。答えは決まっている、この場でだけかは知らんが「畏まりました」って唱和したよ。劉ようって読むんだなアレ。どうにも馴染みが無い使い方をされるとわからん。実際にはもっとゴチャゴチャした字面だが、簡易表記ならこういう字も使える荀彧が割って入ってくれた。


「そうであるならば、仲豫殿ならばどういたしますでしょうか」


「何もないところから始めなければならないならば、より良い力よりも当座の力と言えるのでは」


 ふむ、理想よりも現実を是とするわけか。それはそうするしかないだろうな。ではその現実とは何だろうか、そう考えた時二つの選択肢があるか。


「袁紹殿の指名した刺史は逃げ去り、当人も冀州の北に居る。袁術殿の指名した刺史が揚州へ入っているならば、それに沿うという線でいかがでありましょうか」


 荀彧の考えに俺も賛成だな。その上で何かしらの実力をつけていく、それしかないだろう。かなり難しいが、優秀者だっていうなら数年で帳尻を合わせていくことはできるはずだ。荀悦殿はしばし考えをまとめた後に正面を向く。


「騒乱の最中であれば、不意に刺史がまた欠けることもある。その時、朝廷より揚州刺史の任命を聞き、袁術殿がどう扱うか。それ次第では揚州刺史として赴任を成功させる道もあるのでは?」


「うむ! それは考え得る限り最高の道筋だな!」


 つい声を出してしまうと、荀悦殿は小さく会釈をした。情勢が蠢く最中に着任して間もない不正な刺史が脱落することは大いに考えられるし、それを促進すべく動くくらいは知恵が回ればできる。しかし朝廷を動かせる確信が無ければ成功率は極めて低いということは、こいつはスペシャルとして利用できる案件だな。


「陳兎殿を謀略で廃し、朝廷よりの使者が訪れる、袁術殿は皇族であり正式な刺史を取り込み揚州を影響下に収めようとするでしょう。その時に誰を監視につけるかというと、孫賁殿とその配下の呉景殿が丹楊郡にて劉揺殿を受け入れるのではないでしょうか」


 道筋を考えることで荀彧がまずはという感じで物語を考えてみる。謀略については俺では全くだが、恐らくはそれなりの確度で陥れることはできるんだろうさ。それで命まで奪うのは難しくても、一時的に免職位ならば噂が先行すればあっさりいきそうだ。何せ朝廷の大臣でも、なんくせつけて投獄まであっという間だからな。


「九江郡は茜太守であり、自身で政治的な動きはしないであろう。では豫章と呉の判断次第で揚州は大きく方針を変えることができる。豫章には袁術殿の指名で諸葛玄殿が入り統治を進めようとしているとか」

 

 おお、ここであの時に繋がるのか! たしか朱儁の息子が攻めてきて、それで諸葛玄が負けるんだったな。俺は梅城を守り切ったが戦争には負けて始まったんだよな、かれこれ二十年前とかの記憶になるのか? 寝て覚めたら一晩の可能性はあるんだな。


「呉郡は現在盛憲殿が太守。かの人物は朝廷が任じた正式な太守、袁術殿は必ず排除しようと動くであろう」


「然り。会稽郡は現在太守が不在、となれば劉揺殿がこれを利用しないはずがないかと」


 座っていてこうまで色々未来が見えるとは、恐ろしい限りだ。戦いなんて始まった時には勝負がついているのがよーくわかるよ。でも最後は孫権が立つわけだから、劉揺は孫策の基盤を作るために働いてくれるというスタンスで居て貰うとしよう。


「俺には感覚が無いのだが、その場合は孫賁はどうすることになるんだ?」


「といいますと?」


「荀悦殿の言うように、劉揺が揚州刺史になったとして、孫賁は袁術の為に働いて刺史を厳しく監視下におくのかどうかというあたりだが」


 あいつがどういうやつかが今一つ不明なんだよ。棟梁ってことはそいつの意志で集団が動くわけで、いくら下に居る奴らを知っていても従うのが筋だろ。


「でしたら、袁術殿の命に従い刺史を御するべく動くでしょう。言わば双方の知恵の戦いが行われるかと」


 ふーむ、武力ではなく策略で主導権を奪い合うか。互いに攻撃は出来ないんだ、政治的な戦いが行われるわけだな。最後だけは武力かも知れないが、劉揺がいけると思った時に行動を起こすわけだから、そうなれば恐らく孫賁は撤退せざるを得ない。読めて来たぞ。


「となると知恵者は必要だが、その素地を作るために優秀な政務者も必要だな」


 知恵者と政務が優れているとは別の性質だ、似ている部分があるので比例して両方というものも居るが、性格が真っすぐなほどに政務者は優れていても知恵者にはなりづらい。自身を制限してしまうから。また制限できないと恐ろしいことが起こってしまうので、そういう人物が頂点にならない方が良い。稀に孔明先生のような偉人は現れるが、例外中の例外だよ。


「いま策定可能なのは、それらに密偵を放ち情報を集め、連絡をつけられるような下準備をしておくこと、といったあたりでありましょう」


「そうだな、仮定の上に仮定を重ね続けるのは良くない。この話はここまでにしておくとしよう」


 部屋に招かれ随分と濃い時間を過ごしたものだな。庵に集まっては日々こういった話をして、知識を深めるというのも面白いんだろう頭が切れる奴らにとっては特に。


「ところで、そんな考えに至ったかも知れない人物、いわゆる賢人というのに心当たりはいないか。持っている情報は違っても、同じ結論に至るであろう誰か、という意味だ」


 こいつらが一目置いている奴が誰かを知りたいよ。五荀をのうち一人を従えれば云々ってのがあっただろ、けども荀氏ばかりが全てというはずもない。二人は視線を合わせた後に言葉を交わさずに頷きあった。


「我が君もご存知であります、賈翅殿で御座いましょう」


「あいつか!」

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