第381話

 どうせもう知っているだろうと、会稽での風景をちらりと思い出して触れる。微笑を浮かべると三人で向かい合い腰を下ろした。


「戻って数時間だ、ちゃんと妻とは顔を合わせたのか荀彧」


「はい、今日は泊っていくのかと尋ねられました」


「そうか、しっかりと愛でてやるんだな」


 笑うと荀彧は目を閉じて口を閉ざしてしまう。こいつには子供が三人居たっけな、息子が二人と娘が一人。仲が良くてなによりだ。


「入れておきたい情報が御座います」


「是非とも聞かせて頂きたい」


 好意で教えてくれようとしているんだ、そのような有り難いことはないぞ。常にこういう心持ちで居ろと、父さんに厳しく言われたものだな。


「幽州殿で御座いますが、公孫賛殿への公費支給を大幅に減らしたとのことで御座います」


 はてどういう意味だろうと、荀彧を見る。いつものようにわかりやすくかみ砕いてくれた。


「公孫賛殿への扶持米でありましょう、これを支払わないことで軍事行動を起こしづらくさせる目的かと。恐らくは志才の入れ知恵でしょう」


 志才というと戯なんだったか、曹操の参謀だったか。決めるのは劉虞だろうが、作戦は曹操のところからという話だな。こういう仕事をしてもらう為にあいつを推薦したんだから良いことだ。


「いかにも志才の策であるとのこと。これに対して公孫賛殿は、幽州殿が帰順させた異民族らから略奪を行っております」


「帰順したってことは漢に連なる民ということでもある。それを世では無法と呼ぶと思うが、どうなんだ?」


「我が君の仰ります通り、これは公孫賛殿の悪行。ですが将を御し得なかったのは幽州殿の力不足とも言えましょうか」


 監督不行き届きってやつか、まあそうかも知れんな。だからこそ制御する為に公孫賛を締め上げようとしたが、黙って従うようなやつではなかった。それどころか力で真っ向反発をしてるわけだ。


「両名が朝廷へ上奏を行いました、公費を滞らせていると。方や蛮族の如き略奪の罪を問うべきと」


「それで朝廷の判断は?」


「双方に改めるべき点があるとして紛糾したようすですが、結果を沙汰するに能わずというところ」


 どちらを立ててもどちらかが立たなくなる、そういう困った状態ということか。妙案を出せるような状態ではないんだろうな朝廷も。となれば武力でねじ伏せた側の言を聞き入れる、か。


「うーむ、そういえば袁紹の奴だっているはずだが、あいつは何をしているんだ?」


 よこからちょっかいをかけるようにって謀略だろ、正直どこかにまとまってしまうとまた別の問題が出てきそうだが。


「渤海郡より啄郡へ軍を向けようとしたところ、平原国の劉備殿が公孫賛殿への援軍としてそれを阻止し、競り合っているとのこと」


「劉備のやつか、いつも気安く利用されるものだな。あいつは断るということを知らんのか――」


「我が君の覚えがめでたい方と聞きますが。どのように見られますか?」


 荀彧が気になるようで掘り下げてこようとする。どうと言われてもな、そもそも平原がどのあたりだったかとかからのスタートだぞ。


「袁紹の方が勢力は大きいだろうが、劉備の配下は強力だ。今は武力面だけだろうがね」


 何せ孔明先生が現れるまでは脳筋プレイヤーオンリーだからな!


「将軍は袁紹殿では勝てないとお考えですか?」


「いや、どうだろうな。何せ策略、謀略は遠くからでも結果を左右するらしい。ならば強力な配下が居ても、そいつらが活躍できないような場を作ってしまえば戦いを始めることすら出来ん」


 そうだな、公孫賛に頼られているから戦っているんだろうが、公孫賛が劉備を疑うようになれば理由が消え去る。袁紹の側近でも知恵が働く奴が居るだろうし、何より曹操がついているんだ、劉虞の陣営が黙ってはいない。


「魏攸殿が直接戦闘をすることを諫めている様子」


 誰だよそいつはって顔をしていると「幽州殿の東曹掾で御座います。恩徳を示し、公孫賛殿に交戦の名分を与えないということかと」ちゃんと説明してくれた、助かるな。


「いずれ戦争にはなるぞ、これはもう戦わずには終わらん。その時、勝つのは曹操と袁紹だ。間違いない」


 じゃないとこの二人の決戦にはならないからな! 途中の話はほぼ知らん、でもまあいいだろ? 二人のイケメンが眉を寄せたりピクピクとさせたりしてこちらの言葉をじっくりと吟味しているぞ。


「文若よ、どうかな」


「我が君の仰ること、外れたことは御座いません。言葉の通りになるかと」


「ふむ……将軍に確認したいことが御座います」


「なんだ?」


 何をそんな難しい顔になってるんだよ、未来のことは誰にも分らないのは道理だが、俺にとっては過去の事でもあるんだ。歴史が変わってしまっている事実もあるんだがね。


「先ほど勝つのは曹操殿と袁紹殿と耳にしましたが、幽州殿はいかがでしょうか?」


「ああ、なるほど。それはだな……どうなるのか良くわからん。だが力を持つようになるのはこの二人だと俺は思っている。そしてだ」ここで言葉を区切ると二人が目を細めて真剣に耳を傾け「その後は二人で大決戦を繰り広げて、曹操が勝ち残るだろうよ」大胆な未来予測を聞いて、ゆっくりと何度も頷いた。


 きっと俺がどれだけ邪魔をしようとしても、曹操は台頭する。それが歴史ってやつなんだよ、道筋を変えても必ず修正しようとするってな。でもそうなると異物である俺など真っ先に抹殺されそうでもあるが。


「我が君はそこまで曹操殿の事を高く見ておられるのですね」


「そうだな、あいつは乱世の奸雄というやつだ。漢という国を衰退させても滅ぼそうとはしない、だがそれは生地獄のような有様でも死ぬことが許されない責めも同義。乱れに乱れ国家の威信など吹き飛んでいる世だ、取って代わろうとする者とどちらを選ぶかと言われれば難しいな」


 そういう過去があった。劉協が絶望の人生を送って来たのが証拠だよ。だが曹操が勝たなければ、恐らく漢という国はもっと早くになくなっていただろう。領土を分断されるなどして蛮族に食われていたかも知れん。どっちもどっちな未来でしかないが、命運を使い果たしたならそれも仕方ない。


「我ら荀氏は、乱れた世に現れた貴君をこそ支持致します。どうかご指導の程を」


 二人そろって拱手すると頭を垂れた。そんな期待に応えられるかはわからんよ、俺はただの一般人だからな。


「常に全力でことにあたると約束する」


 真剣な態度には真剣に応じるぞ。望みの結果が出るかどうかはわからんが、出来ることはするさ。


「他にもお耳に入れておきたき儀がございます。揚州の件であります」


「うん、揚州だって? なにかあったか」


 つい先日までそこに居たんだが、これといってニュースを耳にはしなかったぞ。自然と聞こえてこないような内容なんだろう。


「先だって揚州刺史の陳温殿が病没されましたが、それを知り袁術殿が鄭泰殿を刺史として指名し派遣致しました。ですが州府に辿り着く前に病死したのですが、それに遅れて袁紹殿が袁遺殿を刺史とするために送り込みました」


「そいつはあの袁遺か?」と荀彧に視線を投げると「左様で御座います」と短い肯定がもたらされた。


「その袁遺殿ですが、揚州に入るや否や袁術殿に兵を向けられ徐州へと追い出されてしまいました。そして陳兎殿を改めて揚州刺史として派遣したのです」


 目まぐるしい攻防戦だな、俺が揚州へ向かわせたわけだが、そんなことが起きていたのか。陳兎ってのは陳温の係累なのかね。


「いつからあいつらが勝手に刺史を任命できるようになったのか、俺は知らんな」


 自分のことは棚に上げて、他者のことを批判するかのような言を吐く、俺も大概だな。とはいえ上奏を起こしているならともかく、思い思いに指名して派遣では理屈に合わんぞ。


「御意に。されど刺史として陳兎殿が寿春の治府へと入り、布告を行うとのこと。丁度年が改まり二月ほど経ってからの報であります」


 俺らが移動をしている最中の話か、それなら知らないのも頷ける。袁遺が追い払われたのも呉あたりでのことなのかね、徐州に逃げたってんだから。袁紹の居るところへ向かうってならわかりやすいだろ。


「戦いながら別の事にも目を配る、それ自体は賞賛しても良いがな」


 一つにだけ視野を狭くして行動するのは褒められてものじゃない、こういう政略を同時にこなしてこそだ。行為の内容はどうにだが。


「いずれ袁術殿が勢力を伸ばすでしょう。仲豫殿、江南が落ち付けば恐らく袁術殿はまた汝南へ目を向けるでしょう」


「二年以内、というあたりだろうか。それまでに策を講じる必要があるな」


「朝廷が放置するとは思えませんが、さりとて有効な手立ても少ないでしょう」


 荀彧が手が少ないというならそうなんだろうな。だが少ないってのは無いのとは別だ、ではこいつは何を考えているかを知るべきだな。


「で、荀彧ならどうするんだ」


「それは朝廷の卿としてでありましょうか。それとも文若個人として」


「まずは朝廷での発言権があったとしたらを聞いてみたい」


 それこそが今後起こりうる何かにほど近いだろうからな。じっと荀?を見詰める、言葉を練っているんだろうか。


「袁紹殿にも、袁術殿にも寄らない人物を据えます。ですが実力や地勢を得られなければ画餅、そこを鑑みます」


「現実は知るべきだな。袁紹は距離的な面もあって直ぐにはどうにも出来んだろうが、袁術は傍にいる」


 本人が江南に渡るかはわからんが、中央を狙うならそれは部下に任せるって感じだろうさ。だから九江や汝南を手にしたがる。


「揚州は広大で希薄、外から軍を入れても維持は困難でありましょう。朝廷は袁家にゆかりが無い人物で、揚州の支持が得られる優秀者を指名するでしょう」


「それは誰だ?」


「即ち皇族方。劉家の優駿を任官させ、揚州を治めさせるよう落ち着くかと」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る