第380話

 後方で戦いを眺めていると、数が少ないこちらが徐々に押されて下がって来る。時折百人位の賊が迂回して攻めかかって来るが、全く相手にならないで追い返して終わりになる。重傷者が増える前に引いておくとするか。


「撤退だ、陣地まで下がるぞ」


 夕方になったかというあたりで前線を放棄して引き下がらせる。調子にのって追撃して来る奴らも居たが、飛び道具が殆ど無いので陣地へ向けて背を見せて走らせると、これといった問題も無く収容することが出来た。


「怪我人はこちらへ、投石と弩による迎撃を行います」


 荀彧が留守番に命じて、僅かな弩で追って来る賊を狙い撃つ。先行していた奴らは数人射抜かれたところで少し離れて、本隊がやって来るのを待つことにしたようだ。その間に陣地の中で治療を行い、まだの者は飯を食う。


「日没までは三時間もなさそうだな」


「左様で。あちらも強気に攻め寄せることは無いでしょう」


 荀彧の見立ては正しく、日が沈むまで軽い攻撃をしてくるだけで終わり賊が引き返していった。どこまで行ったかは知らんが、今夜は警備を厳しくするつもりだからな。夜警に立つ者を真っ先に眠らせる、中番から起きっぱなしになる奴らをだ。


 早番は見張りを終えてから朝までぐっすり寝て貰うことになるが、恐らくは外れくじの一種だぞ。寝不足は諦めて貰うしかない、若者を早番に多く割り振ってしまう。来ると解って備えている夜襲など、ただの攻撃でしかない。それも足元が覚束ない攻め手のな!


 ピー! 警笛が鳴らされて襲撃があるのを知る。早番が目を閉じて一時間か二時間、深夜の二時あたりだぞ。四方から攻めて来るが、篝火から松明を外に投げつけると、ぼやっと姿が浮かんで見える。大体で弩を放つと、たまに悲鳴が聞こえて来た。


「どうやら引き下がって行った様子です」


「のようだな。警備は通常通り残して、日の出まで寝られるやつは寝てていいぞ」


 超がつくほどの早寝で、ちょうど襲撃の頃に起きた奴らを中心に警備につく。寝られない奴が何と無く外を見張る形に座ってぼーっとしているくらいか。うん? なにやら兵士が陣に駆け込んで来る。荀彧のところに寄って行くと何かを話す。


「我が君、周勃が接近しているようです。日の出から少ししたら西側に姿を現すでしょう」


「どれそれじゃあ引っかけるとするか」


 朝食をとらせると、昨日とは違い日の出から直ぐに黄龍羅のところへと攻めていく。あちらも応戦して来ると、少し切り合って逃げるように陣地へと引き上げていくぞ。


「官軍は少数で連日の戦いで疲れている、追撃して全滅させるぞ!」


 賊が大喜びで追いかけて来ると、それぞれがバラバラになり走る。移動力が高い、それは認めるよ。多少追いつかれて足を止められてしまうが、陣地へと逃げ込むと意地悪く構える。それを囲んで攻めようとした時、賊徒の後方から会稽軍が現れる。


「賊は統率を失っている、者どもかかれ!」


 趙厳の命令でスタミナ抜群の兵が、左右に広がり薄くなろうとしていた賊の中央に踏み込んでいく。手下が次々と討ち取られてゆき黄龍羅が剣をふるっていると、一気に襲い掛かられてついにはその場に倒れてしまった。


「賊徒黄龍羅、島介が配下、趙厳が討ち取った!」


 首級を挙げたと喧伝されると、賊が散り散りになって逃げて行こうとする。それを追い駆けようとする兵を「まだ作戦中だ! 行軍するぞ!」部隊を二つにして陣地の南北に位置させる。


「典韋、お前は北の部隊を指揮しろ。西から来る周勃を三方向から囲んで倒すぞ」


「わかった! 行くぞ!」


 ふーむ、こうやって典韋をばら売りするのは久しぶりだな、春穀あたり以来じゃないか? あいつだって成長してる、このくらいは出来るだろう。相変わらず旗指物だけは多く掲げさせているので、陣地に結構な数が居るように見えているはずだ。


 意外とまとまって動いて来る周勃の軍勢が、千人弱でやってきた。逃げて行った奴らから少しは話を聞いているだろうが、ここにやってきた時点で戦場の設定権をこちらが握った証拠だからな。


「黄龍羅は残念だったが、これで俺がこの地の頭だ。お前達、官軍を倒して俺達の国を作るぞ!」


 おー、大きく出たな! だがその位の勢いがないとな。防御陣地に籠もって、丸く縄張りを防衛する体制。僅かでも高さがある場所だ、見通しは悪くない。周勃軍が攻め寄せて来る、連戦続きではあるがその場で守るだけなのでなんとかなっている。


 一時間も防戦してたら、南西から趙厳の部隊が回り込んで背中を攻め始めた。やはり上手いなこいつは!


「賊徒周勃よ、大人しくその首を置いて行け!」


 挟み撃ちされてしまい、賊徒が浮足立つ。優勢だと信じていた賊らが武装した部隊が現れたことで、どうやって逃げ出そうかと考え始めたようだ。小一時間も戦っていると、今度は北側から典韋の部隊が攻め寄せて来た。


「己吾の典韋だ、大人しくやられろ!」


 間違いではないが、お前も官職を名乗る位は覚えろ。急に賊が乱れてしまい、もう戦うという意識が殆ど無くなっているように見えた。よし、首領を逃がしはせんぞ。


「我が君、ここは私にお任せ下さいませ」


 おっと、言わずとも荀彧が名乗り出たか。まあな、どうせいつものように出て行くんだろうって予想をするよな。


「ではそうする。黒兵二十、会稽兵百は俺に続け。周勃の首を専属で狙うぞ!」


 騎乗すると矛を手にして西の真正面の柵を開けさせた。賊が固まっているが黒兵を先行させて体当たりで道を開けさせた。そこへ飛び込むと、矛を大きく振り回して賊を跳ね飛ばす。


「雑魚はすっこんでいろ! 周勃、どこだ!」


 ぱっと戦場を見渡す、歩兵が切り結んでいる場所が多いが、これといって乱れていない箇所が僅かに残っているところが見えた。目を細めてそこに居る奴らを睨むと、体格が良いのが数人固まっていた。あれだな。


 馬をそこへ走らせる、下から矛で突いて来る奴らを全て返り討ちにしてやると、こちらに気づいた。行くか引くか、周勃らしき奴が一瞬躊躇した。


「賊将周勃、勇気があるならば俺と戦え!」


 逃げれば卑怯者と呼ばれて、折角黄龍羅が居なくなったこのあたりを治めづらくなる。相手が良くわからないが、今まで常に戦えば勝ってきた頭目がおめおめと引き下がりはしなかった。


「うるせぇぞ犬が! やってやるぜ!」


 大刀と呼ばれる分厚い反り返った剣、半月刀とも呼べそうだ。斬撃に特化したもので、腕位なら斬り飛ばせるように見えた。両手で構えて駆けて来る、その姿をじっと睨む。足の動き、目の動き、呼吸までもが感じられる。自分以外の全てがスローモーションのように思えた。


 周勃が大刀を振り上げて、こちらの左足を狙ってくる。矛を両手で握り、大刀の切っ先がどこを通るかを感じ、又が割れている矛の刃を真横から大刀の腹に鋭く当て、そこから前へ突き出してやった。すると、大刀は脚甲の僅か数センチ先を空振り、矛の先は周勃の喉に十センチほどだけ突き刺さった。


「え?」


 紙一重。必要最低限、目的を果たすだけの結果を求めた。狙ってもこうまで綺麗に出来るとは誰も思っていない。だが俺にはこうだという感じがあり、身体が動いてくれた。信じられないとの表情をして周勃が血を吐いてその場に倒れる。




37

 賊だけでなく、兵らもポカンとして戦場に僅かな静けさが漂った。けれどもその直後「うおおおお!」兵士らが歓喜の叫び声をあげた。


「他愛もない、これで頭目とはな。残敵を掃討しろ!」


 兵は喜び勇んで賊を攻撃し、賊は恐れおののいて逃げ出していった。十分ほどしてから集合の合図を送らせると、二人の頭目の首を矛にさして掲げさせた。


「賊徒は全滅し、会稽は治まった。これより帰投する、隊列を整え行軍しろ。趙厳」


「はっ! 会稽軍は統率を明らかにし速やかに進め!」


 多少は苦戦することもあるかと思ったが、やはり賊でしかなかったか。普段の戦もそうだが、やはり蜀の頃はハードモードだったらしいな。まあいいさ。移動を趙厳に任せてしまい、城に入るまでは黙って騎馬しているだけだった。


 冬の間に朝廷へ太守が自ら上奏を起こした、無論この手の事に却下はない。使者がやって来て快諾を伝えて来た、労いの言葉と褒美を携えてだ。雪解けが進むと五百の会稽兵を引き連れて、徐州西をかすめるように移動を始めた。


 盧江郡から河を北へ渡り、九江の寿春東辺りを進むと汝南の東端が見えて来たのでそこから沛国との間をかすめて陳国に入った。九江や盧江あたりが九城だとすると汝南は三十六城の規模だ、陳国は七城だし沛国は五城しかない。そういう意味では西部の武都は三城、北部の遼東など二城しかないから汝南のバケモノぶりがよくわかる。


 潁川にまで来ると唐瑁と別れる、肩の荷が下りたようでなにより、これから養生してもらいたいものだな。すぐさま陳留へ向けて出発するのも忍びないので、潁陰に入り滞在することにした。何せ荀彧だって帰宅しなれば妻に悪いからな。


 部屋でゆっくりとしていようと思っていたが、まあそんなことになるはずもない。呼び出されると、部屋には美男が待っていたわけだ。荀悦殿に、荀彧、この二人だな。


「お待ちしておりました島将軍」


 優雅に一礼されてしまう。それに将軍呼称になったか、確かにもう潁川太守ではないからな。


「海沿いの風は一味違いましたよ」


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