第379話

 移動を任せてしまい、城を振り返る。城門の上には『会稽』『唐』の軍旗が翻っていて、孫静がこちらを見ていた。急にやってきて面倒かけてすまんね、後で必ずお礼はするよ。そういえば孫策らが台頭しても孫静ってのはあまり聞かないんだよな、後方の文官タイプとも思えんが控えめなのかも知れん。となると孫堅の直系だけが性格が違うのか。


 丸々二日山地を移動すると、尾根の先に山賊の根城のようなものが見え隠れした。目測六キロ、移動には歩いて三時間ってところか、途中移動不能の地形があればもっとかかるかもな。


「さて、開始位置に到達したようだな」


「目前の敵が黄龍羅で御座います。周勃のそれはここより西部に二日の距離、互いの縄張りを犯さぬ取り決めがあるとか」


 ふむ、完全な仲間ではなくお隣同業者な感じか。決まりごとがあるならばそれを破れば軋轢も生まれる。両者を争わせるのが目的ではないが。


「偽旗で手出しをしてもどうにもならんが」


「我が君、黄龍羅の手勢は千を超える兵が居るでしょう。これを会稽の軍旗を誇示して攻めます」


 うーん、正面攻撃か。普通に攻めても応じるだろうか、だが戦いになれば周勃に援軍を求める伝令を出すだろう、それで合流させるって目的は達成できるな。二日の距離がある、急いで伝令を飛ばしても周勃がこちらに来るのは三日目の夜中が最短、いや狼煙でも使えるなら三日目の朝には姿を現すかもしれん。


「もし、援軍要請があれば周勃が動かないわけがないよな」


 戦いを手下任せにするのは功績を持っていかれるのも同然、統率を疑われるようなことをするはずがない。必ず自分で戦力をまとめてやって来るぞ。


「そうなるでしょう、そこでこのように……」


 耳の傍に寄って来ると概要を説明する。なるほどな、確かにそれならば上手く行くだろう。二日目の夜中が一番危険だな、警戒はそこだ。


「いいさ、やってやろうじゃないか。こういう役目は趙厳が適任だ、典韋は俺の傍にな」


 糧食の準備をすると、輸送してきたものを一カ所に固めて木柵で囲った防御陣地を設置する。ここに百人固定配備して補給拠点にしてだな。陽が暮れないうちにまずは攻めるとしようか。


「荀彧には黒兵二十を護衛につける、後ろで見ているんだ。典韋、行くぞ!」


「おう、親分!」


 趙厳にも典韋にも専属護衛として黒兵二十ずつをつけてやるつけてやる、残りは傍においてか。会稽兵を前衛にして、後ろには多数の軍旗。どれ始めるとするか、今は午後三時ころだな。山賊の根城を目の前にして展開すると当然あちらも気付く。


「会稽の賊徒、黄龍羅よ。素直に縛につけば命だけは助けてやるぞ、降伏しろ!」


 大人しく降るなどとは誰も思っていないよ、逃げられると困るんでな、ここで挑発でもしてやらんとな。ざわめく賊の後ろから報告を受けただろう、やや大柄で装備が良い男が現れる。


「ふん、会稽軍がご苦労なことだ、返り討ちにしてやる!」


 まあそうなるな、こちらの兵士も別に驚きもしなければ侮りもしない。手に手に武器を持った奴らが山を下って攻撃しに来る。典韋に視線をやると、大きく頷いた。


「ようし、正面からぶつかりぶちのめせ!」


 言うが早いか自身が突撃して行く、それを見た会稽兵が後に続いた。本陣は僅か百と二十だけの小勢、だからなんだというわけではないが不意打ちだけは警戒しておく。あちらは全力だろうか、千人くらいが見えているが、体力と装備、そして連携のお陰で同等の戦いが出来ているな。


 空模様を見ていると、数時間たったあたりで暗くなってきた。六時前くらいだろうが、もうこんな感じか。同士討ちはお互い避けたいところ、この位にしておくとするか。


「撤退の鐘を鳴らせ」


 ジャーンジャーンジャーン。

 山地に金属音が響くと、兵士たちが引き揚げて来る。それを追い駆けるでもなく、山賊も山へと引き下がって行った。本陣を少しだけ後退させて、小高い山の上に防御を敷かせる。まだ明かりがあるうちに地形を少しでも把握させるためにだ。


 警備とは別に食事の用意をさせる、この時代は食うことだけが楽しみと言っても過言ではないからな。食べさせておけばまず不満は大きくならないんだよ。天幕に荀彧がやって来る。


「我が君、大変お疲れ様でございます」


「俺は何もしちゃいないよ、戦ったのは会稽兵たちだ」


 奮戦してくれた、倍の山賊を相手に。正規兵なんだからそのくらいはしてもらわねば困るが、それでも戦った事実は賞賛してやるべきだろ。


「負傷兵は補給処の者と交代させますゆえ。明日は一段と厳しい戦いになるでしょう」


「楽な戦いなんてないさ。それにそういうのを俺は求めてはいないんだ」


 別に辛いのが好きじゃないぞ、相応の役目というのがあるだろうって話だ。それにしても陽が落ちると本当に寒くなって来たな、凍りはしないが毛布が無いともうきつい。


「こちらの疲労を誘って来るでしょう。周勃も今頃伝令の話を聞いているのではないでしょうか」


「夜中に走り回る程ではない、朝一番で出発だろうな」


 二日の距離の山道をどれだけで踏破できるか、そこが俺にはピンと来ない。軍隊ではないんだ、全員が一丸となり行動するのを求めていない、先着順で参戦だってありえるぞ。となれば個人の動き次第なんだよな。


「夜襲を仕掛けて来るものがいるやも知れません」


「だろうな。早めに眠らせて夜警に立たせる奴の疲労を減らすようにさせる、それと陣地構築の時間を明日朝に少し取ってから動くとしよう」


 始まりは前後できるが終わりは待ったなしでそのままということも考えられる。やっておかないといけないことは先にだぞ。飯も例によって朝のうちに大目に焚かせて、昼の分だけでなく、夜の分も握り飯を作らせておく。これだけ寒くなってきているんだ、痛む心配は少ない。もっとも悪食で胃腸の強さは尋常ではないがね。


「西部に斥候を出しておりますので、到達の数時間前には一報を得られるかと」


「充分だ。お前も早めに休んでおけよ」


「畏まりました」


 幕を出て行きはしたが、素直に寝るとは思えんよ。まあ好きにしたらいいさ。俺は直ぐにでも寝てその後は早起きするとしよう、これから出番があるとも思えんからな、さっさと目を閉じるに限る。案の定特に声をかけられることも無く日の出を迎えることになる。


「目が覚めたんだから充分睡眠をとったってことだろ」


 勝手にそう考えて幕を出る。まだ日が登ったばかりのようで寒いというのがはっきりと感じられた。もう朝晩は暖房なしじゃ厳しいぞ。そこらで焚き火をして湯を沸かしているので傍に行く。


「しょ、将軍!」


「別に畏まらんでもいい。もう随分と冷え込むようになってきたな、もう一月もしたら黙って立ってるのが辛くなりそうだ」


 輪になって暖を取っている兵士らが互いの顔を見て、何とか冷静さを取り戻す。さぼっていると怒鳴られることが多かったのかね。


「自分ら下っ端の兵士は、外に出る時には体に獣脂を塗ったりするんです」


「ああ、防寒になるな。後処理で困ることもあるだろうが、体温を維持するのが優先だからな」


 そういえばそんなライフハックがあったな、あとは唐辛子をつま先に、とか。一旦体温が失われたら死活問題だからな、風呂に入るなどそうそう出来ることではないぞ。


「臭いしベトつきやすが、あれを使うと助かるんで」


 類似の何かが未来にあっただろうか? 少しだけ思い出そうと頑張ったが、全然記憶にない。防寒具なりが沢山あったから、わざわざ使わなくても良かったってことか。


「何とか寒さを凌ぐものを用意してやりたいが、生憎俺の分も無いんでな。陳留まで行けば風呂に入らせてやることも出来るんだが」


 設備を作るのは何処でも出来る、手間暇がかかるんだよ。今までそんなのを作ってる暇が無かった、腰も落ち着かんかったしな。長安の民にはすこぶる評判が良かったんだぞ。


「自分らはいつものことなんで」


 ふむ。紡績の技術が無いんだから困る、どうやって布を大量に生み出していたか、全然知らないんだよ。金属加工はそれなりに理屈でもわかるが、衣料品はな。編み物でもないのにどうやって服を作っていたのやら。


「四日後には城に戻っているはずだ、凱旋してな」


「だといいんですがね」


 空約束ほど虚しいものはない、兵士もどうせ口だけだろうと思ってるようだった。粥を作っているところに行くと、葉っぱを丸めて作った皿に入れて貰い、木べらですくって食べる。元々美食家ではなかったが、これは味気ないものだな。無いなら無いなりに気を使ってくれてたんだな今までは。


 皆が起床して陣地の構築をするまで待ってから、いよいよ賊の居るところへ向けて動き出すことにする。おやあちらさんは元気いっぱいだな。


「今日も正面から相手をして来い」


「おう親分! 行くぞ野郎ども!」



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