第377話

「その通りです。昨今体調が優れぬようで、統治も困難に。会稽でも賊が増えてしまい、辟易としているところ。そこで兵を集め、賊の一つも蹴散らせば名分も充分かと」


「なあ荀彧その太守が許可しない可能性もあるんじゃないか。どんな奴かは知らんが」


 うん、そのしたり顔はどういうことだ。また何かの常識ってやつなのか。


「唐瑁殿と言えば、子の唐姫が先帝の側室。皇室を援ける為ならば協力もやぶさかではないでしょう。それに、かの人物もまた潁川出身でありまして」


 荀彧ネットワークの内側ってわけか、そして劉協の義姉妹の父親ってか。皇室だけに兄弟姉妹が味方かどうかは何とも判断出来んが、荀彧がそうだっていうなら敵ではないんだろう。体調不良を認めて郷里に引退させるまでがセットだったりするかも知れんな。


「そうか、ではそうしよう。こちらは地理に疎い、孫静殿から道案内を貸して貰えると助かるが」


「もちろんお任せを。その山陰から二日の富春県が我が地元、一番詳しい私が同道致しましょう」


 俺は立ち上がると拳礼をし「孫静殿に感謝を」言葉にすると。荀彧と典韋もそれにならった。孫静もすぐに立ち上がると拱手して「孫氏の受けた恩を忘れることはありません。上手く行ったらその時に初めて言葉を受け取らせて頂きましょう」


 やはりこいつも好漢というやつだな、間違っても怪我一つさせてはいけないな。ということはだ。旅程においては典韋を専門で護衛につけてやることにした。親分という呼び方が策略ではなく、こいつだけ普段からそうだと知ると、孫静も小さく笑っていた。


 でだ、歩きで十日をたったの二日で抜けて会稽郡は山陰県にやってきたぞ。南はやま東西に僅かな平地で、北は入江とでもいうか海が差し込んできている。いよいよ中華の端っこだな。唐太守は寝込んでいて、謁見は許されたが直ぐに伏せってしまう。諸々の許可は得られたが、本気で死にそうな顔つきだったぞ。


 実務は陸昭という長吏が執行していて、何とか運営は出来ているらしい。とは言っても都市部だけしか把握できていないとかだ。


「このあたりに現れる賊、名を黄龍羅と周勃というようです」


「なんだその黄龍ってのは姓か? それともそう名乗っているだけか?」


 黄ならわかるが黄龍ってのは流石におかしいだろうことは、俺ですらわかるぞ。そういう意味では公孫賛ってのも微妙だな、皇甫嵩もか、馬日碇も居るな、複合姓は実はそこそこいたりするのか?


「恐らくは会稽の部族名を姓にしたものでありましょう。統治に逆らうので賊徒として扱っておりますが、先住民の類かと」


「なるほど、それならしっくりくるな。周勃の方はどうだ」


「漢人の姓のように見えますが、こちらも会稽の部族民でありましょう。或いはその血が入っているやも知れませぬが」


 地元の豪族、それが反乱して賊と言われている可能性があるわけだな。ということは住民丸ごと敵になっているかも知れん、こいつは結構厄介だな。


「その賊だが、規模はどうなんだ」


「陸長吏より聞くところでは、数千人とのこと。家族を含めてといった数字ではありましょうが」


 すると四千くらいだとしたら、戦力は千五百が限界だな。精々千人だと見て置く位で適切かもしれん、ただし直接戦闘という括りでだが。


「今の手勢五十では蹴散らすのに一年かかっちまうな」


「はは、出来ないと言わないあたりが我が君で御座いますな」


「そりゃそうだ、一対五くらいを日々繰り返せばいずれ消滅させられる。そんな暇はないし、そのつもりもないんだよ」


 頭を屈服させればそれでいい、それが簡単に出来ないのが組織という奴だがね。一回、二回手下を叩けば親玉が出てくるだろうから、そこでだな。


「募兵でありますが、山陰で募れば二百は集まるでしょう。三か所ほど回ることになりますが」


「それだが、養うための先立つものを用意しないとならんな」


「唐太守に、食糧の供給は許可を頂いております。ですが装備までは数が無いとのこと」


 ふーむ、取り敢えず集めても維持は出来るわけか。武装させないとどうにもならんが、さて。


「素手で戦えとは言えんな」


「棍棒でも作りやすか!」


「典韋ならそれでも充分戦えるだろうな。だがやはり長さが欲しい」


 素人が接近戦をしても混乱を起こすだけだ、長柄の武器で距離を保つのは必須だぞ。見すぼらしいのは我慢するか。


「背に腹は代えられません。竹や木材を切り出し、先端に礫器を据えて固定。同じく木材で胴を覆うだけでも違うでしょう」


「うーん、無から何かを産み出すわけだから贅沢は言えんな。せめて青銅でも良いので金属が欲しいな」


 石と青銅では安定感が天と地だぞ。かといって生成するような道具も腕もない。刺突だけでも構わないんだが。


「なあ親分、それなら鹿の角とかでどうだ? ありゃ結構頑丈だぞ」


「そうなのか?」


「礫器よりも鋭く耐久性もあります。ですが入手が困難という側面が」


 鹿を大量に仕留めるのは確かにな、だがそこは物々交換だよ。なにせこちらは食べるに困らないという約束があるんだからな。


「俺達で鹿を狩って、肉を渡す代わりに住民が今まで狩った鹿の角を出させれば直ぐに集まらんか」


「それでしたら確かに。猟師一人で十や二十は手に入るでしょう」


 うーん、すると十ちょっとだとして三つ四つは角先があるから平均をしたら五十位か。二十匹も狩れば済むんだな。




36

「二人で一頭狩って来るんだ、それで角は手に入る。半数が獲物を見つけられなかったとしても、それなりに武装できれば構わん」


 まさか海の傍まできて鹿を狩ることになるとはね。弓矢は無理だな、訓練している暇もないしな。投石だけは練習させるか、布が貴重品なのでそれを何で代用するか。分厚い木の葉と蔦になるんだろうが、ほんと原始の戦いだな。文明は素晴らしい武器だよ。


 二日間かけて狩猟を成功させた、イノシシやら兎やら、別の獲物もそこそこ手に入ったので、山陰でそれらを出して酒と交換してしまう。酒があって肉があれば兵士は満足するんだよ。そしていよいよ山陰で募兵を行うと、想定外の事態が起こってしまう。


 丸々一日の募集をかけていたというのに、集まった志願者はたったの十数人だけ。これにはあの荀彧も顔を曇らせてしまっているぞ。


「揚州のそのまた端の会稽郡、人口の密度を見誤っておりました」


「河童の川流れともいう、気にするな」


 こいつですら予測を大きく外したか、過疎の現実はかなりのものだな。人間が居ないんだから仕方ない、待遇や目的の問題もあるのかも知れんが、絶対数が少ないんだよ。


「将軍、これでは他所で募集をかけても結果に大差はないのではと考えますが」


「趙厳の言う通りだろうな。参ったぞ」


 賊は数千人、県一つ丸ごとが敵という感じだ。あれだ、孫権はこんな状態でよくもまあ魏と戦いを続けられたものだ、そりゃ共同であっても進軍など踏み切れるものではない。


「……唐太守に兵を借り、それで賊を討つ流れを作ります」


 居るところから拝借か、だがそれじゃこちらの目的が達成できないんだよな。賊を征服するという考えはあるのかも知れんが。


「陳留へ戻るための計画だが、それでその後どうするんだ」


「賊滅の功績を朝廷に奏上し、太守の離任を求めます。その際、潁川への帰還に護衛をつけて行くために会稽兵を帯同させます」


「ふむ、唐太守の望みと俺達の目的を共にするためにか。どうせ降雪したら動きが取れんくなる、ならばそれまでの間に賊に勝つとするか。荀彧、交渉は任せてもいいな?」


「御意」


 その日のうちに城へ入ると、直ぐに話をまとめて来た。病気で統治を全うできず、帰郷したいと願うにも職務を放り出すわけにもいかず。上手く行けば全てが解決する案件に、唐太守も大きく頭を縦に振ったらしい。


 山陰城に二千の兵士が集まっている、装備は官軍のもので統一され、体格も心なしかよい者達ばかり。顔つきは荒っぽいのが殆どだが、一応太守の命令に従っているやつらだ。そいつらの前に行くと、城壁に取り付けられている石階段を登る。中腹に踊り場があったので、そこで足をとめて下をみる。


「会稽の兵士よ聞け! 唐太守により賊徒、黄龍羅並びに周勃の討伐令が発せられた。俺はそれに応じて軍を率いることになった、恭荻将軍島介だ! 漢という国家に従わぬやつをねじ伏せるためにここに在る。従わぬならば貴様等兵士でも例外はない、文句がある奴は前へ出ろ!」


 ざわざわとしてあちこちで視線を交わしたり、私語を盛大に放っている。素直に従う奴らばかりとは思っていないんでね。こちらを睨み付けて来る奴が結構居るな。


「不満があることはわかった。典韋! 趙厳!」


 二人が城壁の真下にやって来るとこちらを見上げる。


「不服がある兵を統率しろ」

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