第375話

「御意。誰かに頼るではなく、己こそが力を集め献帝を盛り立てることこそが忠義である、そう考えておいでなのでしょう」


 他人に責任を持たせるので度々失敗していたら、いよいよ自分でと考えてもおかしくはない。ましてや徐州を自由に統治できるだけの権限も能力ももっているんだからな。


「かといって徐州だけでは足りない、か。豫州と冤州、どちらか隣接する地域に影響力を及ばせたい、そう考えていたところにノコノコと刺史がやって来ると聞いたわけだ。捕まえて印綬を奪えば楽に目的達成できるか」


「我が君が徐州より政務を執られると、代わりに書簡を認めればそれも可能で御座いましょう。いかに怪訝に思いましても、印があれば官吏は従わざるをえません」


「その刺史が少数でやって来たものだから兵を伏せて待っていたら、突然林に消えて行った。探しても近くには居ない、かといって道を戻ったわけでもない。趙厳、お前ならどうする」


 黙って聞いている若者に話を振ってみる、別にどんな見立てでも構いはしないんだがね。


「呂方面へ戻ることが出来ないように、街道は封鎖、間道の関も全て検問を行います。また徐州から出させないよう北部南西部の地域に伝令を走らせ、往来を禁じます。その上で、捜索を広範囲で実施致します」


 素晴らしい回答だ、模範的な物言いに満足しかない。ゆえに、こうやって無理をして駆け抜けたんだがね、徐州の奥深くへ向けて。


「明日にはここに居たということが伝わるでしょう。その伝令が本営に戻るのが半日、そこから命令を携えて戻るのが明日の夜中。その後は休まずに遠方まで命令を伝えに走るはずです」


「すると、こちらが先行出来るのは明日一杯と、明後日の昼までくらいか。となると?」


 例の地図の南端あたりを見る、九江郡というのがギリギリのところに見えた。


「陰陵県、即ち九江郡都までは先着出来ます」


 揚州まで出てからぐるっと回って帰るってことか。手勢も少ないし、盧江までいけば土地勘も若干あるから悪くはない。そして鍵になるのがその九江太守ってか。


「その九江で邪魔建てをされる可能性はどうなんだ。どんなやつがいるのか全く意識の外だが」


「茜祉殿が太守についておられます。きっと我が君を快くお迎えになるでしょう」


「誰だそいつは、俺はそんなやつ知らんぞ」


 というか茜姓は初めてだ、蜀に居た頃も聞いたことが無いな。地元のあれか、豪族ってやつ。まあ出身地の太守にはなれないらしいから、隣のどこか。というか俺はどこ出身扱いなんだろうな、本人が知らんのだが。


「茜祉殿は元は孫堅殿の部将でありました。その人柄を買われ太守に推薦されたものでございます。ゆえに、我が君にも好意的に接していただけるものと確信して御座います」


「孫堅のか! うーむ、そうか」


 あの男の信任厚い奴だったなら、確かに無下にはしないだろう。最悪、今回だけ見逃す位は期待してもよさそうだな。大体悪いことをして追われているんじゃないんだからな。


「九江郡に入れば河で道は分断れています。万が一敵対されれば、離脱するのは至難の業ですが」


 趙厳が警告をしてくれている、確かに陸と河では勝手が違う。ましてや幅がキロ単位の河だからな。


「典韋はどう思う」


「警戒するにこしたことはないかなって。でも、親分を害してその茜祉ってやつに何の利益もないだろ。ならわざわざそんなことするか?」


「難しく考えすぎるなってことか。確かにそうだな」


 こっちだって慮外の行動をしているんだ、まさかそんなところで何かを画策している奴なんていないだろ。そこまで気が回るなら、そもそもこうやって取り逃がしたりしない。皆の視線が集まる、決めろってことだよな。


「明日は九江へ向かうぞ、だが茜祉を頼りはしない。こちらは少数だ、こっそり通過するだけなら何も言われんだろうさ」


「御意。でありましたら、今宵のうちに数人先行させて渡し舟を確保させるべきかと。ご許可を」


「趙厳に任せる。軍資金は荀彧に請求しておけ。他はあるか」


 やりたいというやつに任せるのが一番だ、それに関しては時代もなにも変わらない真理だろう。


「もし不慮の別れが起こってしまったらでありますが、どれだけ時間がかかろうと、陳留へたどり着くのを優先する。それでいかがでありましょうか」


「指揮官は常に最悪を想定しておくものだからな。はぐれたら陳留で合流しよう、無理に互いを探す必要はない。どうしても急ぎで連絡をつけたい場合は、各地郡都の西門警備兵にでも伝言を頼んでおくんだ」


 こうしておけば一人になってもやることを見失わずに済む。出来れば統率を乱したくはないが、何が起こるか分かった者ではないからな。解散して直ぐに休むことにした、あっという間に起床時間になった気がする。外はまだ空が青い、人の顔が見えないほどでもない位に明るくはなって来ていた。


「将軍、移動準備は出来ております」


「うむ。趙厳、出るぞ」


 部隊の移動を一任させる、目的地の江までは二時間くらいだろうとの見通し。そこからは船上の人になりそうだが、この騎馬を全て載せられるだけのモノが見つかっていればいいが。そのうち水場が多く見えるようになり、ついに大きな河が出て来た。


「我が君、大申河で御座います」


 名前を聞いてもまた見た時に思い出せる自信はない。騎兵が一騎やって来て、趙厳に報告をしている。指さしている方向に、小舟や平船が集まっているのでどうやら何とかなったようだ。


「将軍、あちらへ」


 おもちゃのような船に分散して乗り込む、それでも浮いているんだから充分事足りるだろう。河を越えてもまたすぐに河、そこでも同じことを繰り返し、たまに二度往復で船の不足を補ったりもした。ここで戦うなら船と矢が必要不可欠なことがよーくわかったよ。


 時間ばかりかかり横断は全く上手く行かない、これが千人とかだと目を覆わんばかりの状況なんだろうな。五つ目の河を越えたところでついに県城が見えてくる。そんな時、遠くから水上を滑るように小舟が近づいてきた。乗っているのは武官一人と船頭だけ。


「そこな方々待たれよ! もしや冤州殿ではござらんか!」


「親分、後ろに。お前はだれだ!」


 典韋が盾を翳して大声を出した、それぞれが武器をいつでも取り出せるように緊張する。


「某、九江殿が配下、従事の高栄と申す者。言伝があるゆえお耳を拝借!」


「典韋、並走させるんだ。こちらから手出しするなよ」


「へい。わかった、こっちへ来い!」


 周りの船が少しだけ道を開けると、上手い事その隙間に滑り込んで来る。好い腕をした船頭だな。漕ぎ手を止めると目が見える位の距離にやって来る。


「袁術殿の手勢が揚州へ影響を与えんがためせり出してきております。上流の盧江からここ九江にも、更には揚州刺史を派遣して来るなどかなりの勢い。滞在は良い未来が見えませぬゆえ、下流へ避けた方が良いとのお言葉であります!」

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