第374話

「子厳殿は勘違いをしておられますね。この方は我が主君。その主君の考えでなければ、何故この文若が画策をいしましょう」


 にっこりと微笑むと大きな誤解の理由に今さら気づかされる。まあ相手が体がでかいだけのアホじゃ、荀彧の方が偉いだろうって思えるよな、理解したぞ。


「ご主君であられる……すると」


「ああ、島介という。そういうわけだから心配するな、徐州へは同道するだけだ。その後は好きにしたらいいさ、それでいいだろ荀彧」


「御意に」


 うーん、それにしても荀彧の奴はずっと黙っていたが、気づいていて笑っていたな。しゃしゃり出るような内容でもないのは解るが、面白がるのもまた違うだろうに。とはいえそんなこと言っても仕方ので、やっぱり俺も黙るしかないんだよな。これがわかっていても受け入れるしかない策略か。違うが。


「うーむ……どうやら私の勘違いだった様子。荀文若殿、島介殿に謝罪申し上げます」


「気にせんでもいいぞ。それで、一緒に行くか?」


「お二人の許しが得られるならば」


「それでしたらご一緒にどうぞ。荷は兵に引かせますので、馬車へ」


 空馬もあれば馬車もある、なにせ今回は荀彧が一緒で公式訪問の先触れをだしているからな。それにしてもこの学者、そこまでの有名人なのかね。陳紀殿と同格というにはまだ年季が浅いか。


 街道を整列して進み彭城国の呂県を過ぎた。下丕まではあと一日ってところか、さて。そこそこの往来ではあるが、何者かが潜んでいるぞ。馬車の小窓を開けると荀彧が話しかけてくる。


「我が君、お気づきでしょうか」


「ああ、何かが居るな。直ぐに襲ってこないところを見ると様子を窺っているのかもな、他に部隊が居ないか」


 趙厳が騎兵に命令を出すと四方に兵が走っていく、こちらに寄って来ると「相手を確かめさせます」既定の仕事をこなす。良いな、こいつは真面目だよ。足を止めることはなく東への道を行く。山岳の間道、郡国の境目というのは地形的なことが殆ど、山を越えたら下丕の領域だ。


 一時間と少しの移動をしたところで、後方に偵察に出ていた騎兵も戻って来て情報を統合する。気になった点は『徐』の軍旗があったことか。


「遠目で姿を確認したところ、揃いの軍装をしていたとのこと。そのうえで『徐』の旗。おそらくは徐州兵ではないかと」


「荀彧はどう思う」


「軍を偽るのは罪でありますれば、恐らくは徐州兵。ではなぜ姿を現さないのかと考えが及びます」


 こちらを見て解らないはずがない、それで接触しないなど理由は少ないぞ。本物であるならばなおさらだ。


「俺達にやって来られてはまずいということか」


「訪問の最中に賊の襲撃を受けて全滅、という筋書きが考えられます。どうしてそのようなことを企てているかまでは、申し訳ありませんが知恵が及びません」


「なぁに、俺が消えれば冤州を奪いやすくなる程度の浅い理由だろう。違ったとしてもそれは後で調べればいい」


 後方――西側にざわっとするような気配を感じる。趙厳が近寄り「離脱を進言します」争いになるだろうと申し出て来る。


「東西の街道挟み撃ちか。北には山地がある、追い立てられるようで面白くはないが、南東へ向かうとするか」


 周辺の地理は予習済みだ、荀彧の諜報のおかげだぞ。実際の地を踏むまで感覚は掴めんが、そこは丘でも経由しながらだな。数少ない人員だ、手足のように動かして姿をくらませる。


 間道に入るとすぐさま全速力で南へ向けて進んでいく、ここで消えたら追撃してくるだろうが、見失ったのが街道脇だということしかわからねば分散させられるからな。多少の危険は飲み込んで、どこか一本の道をひた走る。騎馬で一時間走ると、城壁が見えて来た。


「あれは取慮県で御座いますね」


 地図を確かめると下丕南一日の距離にある県だった。歩けば一日だが、騎馬が駆ければ一時間、凡そ十五から二十キロといったところか。南中は越えている、もう一つ先まで行っておくとするか。


「夏丘県まで突っ切るぞ」


 馬足を緩めて、夕暮れまでにあと一日の距離を行こうと決める。馬は発汗しているが、多少の疲労というだけでまだまだ走れる。小川で水を飲ませて五分だけ下馬して休ませると、直ぐにまた出発した。


「将軍、夏丘県城が見えました!」


「趙厳、様子を見て来い」


 こんなところまで連絡が行っているとは思えんが、一応な。情報漏れを気にするなら、こんなところは放置しているだろうさ。馬を休ませているとすぐに趙厳が戻って来る。


「平常通りという感じでした。今宵ここで休むことは出来るでしょうがいかがいたしましょう」


「追手が必死に探して捜索範囲を広げたとしてだ、深夜に到着しても県令まで連絡が行くかは怪しいな。かといって侮るつもりはない、今夜は城で休むが、出発は日の出とともにするとしよう」


 食事をさせて早めに眠らせる。馬を奪われてはかなわないので、交代で見張りを残すことも忘れない。というか趙厳がそう命じていた。おっとそう言えば。


「すまない、下丕へ向かうつもりが不明な集団を避ける為にとこんなところに来てしまった」


「おかまいなく、私は馬車に乗っていただけですので。足手まといになりますので、ここで荷物と共に置いていってもらって構いません。避難するという目的は達せられましたので」


 軽く頷きながら徐州にはついたと言ってくれたか。うーん、ただ放り出すのはなんだかな。


「私も約束を守れないのは好きではないが、いまから向かうわけにもいかん。申し訳ないがここでお別れということにしてもらいたい。免罪符代わりといってはなんだが、これで下丕に行くまでの路銀の足しにでもしてくれ」


 懐から銀銭を四枚取り出し差し出す。これだけあれば充分以上だろ、宿泊に銀一枚だせば大歓迎されるんだからな。


「それは受け取れません。こちらとて何かを差し出したわけではありませんので」


「うーん、ではこうしてくれ。この銭でひもじい奴らを助けてやって欲しい。そいつらだって漢の民だ、施しをしてやれば感謝するだろう。それで何かが変わるわけもないが、そのままというのは私が納得いかん」


「……わかりました、そういうことでしたらお預かり致しましょう。もし、また会うことがありましたら、今度はゆくりとお話を致しましょう」


「ああ、楽しみにしているよ。それまで元気で居てくれよな」


 城外に農場を持っていた奴に場所を借りて、近くの食堂を借り切って提供させることにした。全て先払いだ、そうすることでこちらに好意を持たせることにもなるからな。農家を古い家に追いやり、自分たちが新しい家に今晩だけ泊まる。もちろん全て銭のなせる業で、干し肉も威力を発揮した。


 部屋で落ち着いていると荀彧と、趙厳がやって来た。典韋は隅っこで転がっているぞ。


「我が君、よろしいでしょうか」


「ああもちろん構わんよ。明日どうするか、だな」


 当然のことで、方針を決めなければならない。絶賛徐州ど真ん中というポジションだからな。


「それも御座いますが、徐州殿が何を考えているかの推察も含めまして」


「だな。まずは荀彧の話を聞くことにするよ」


 車座になって四人で座って話をする、酒は無しだ、茶と欲し梅だけ。梅茶というのがあったな、この組み合わせはこれでいけるものだな。


「徐州殿が朝廷に相対していたのはご存知でありましょう。今も政権に対して打倒すべきと考えているはずです」


「董卓相手でも、李鶴相手でもな。朱儁を支援していたけど、結局それを蹴って長安に行ってしまったということだったな」

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