第373話

 自身の封地が安全になるならば、それに越したことはない。賊がやってきたら荒されてしまうので、有り難い申し出であるのも確か。二つ返事で許可を出すと、馬騰は連れてきていた兵士を全て率いてまんまと長安を出で行った。


 それと前後して朱儁が入朝して来る、その官職は太僕。皇帝の馬車の御者、要は九卿と呼ばれる大臣の一つだ。朱儁には名声があり、その資格は充分、そんな人物が名を連ねているならば李鶴らもまた凄い。意味合いとしてはそういう宣伝であり、官職としての権限はあまりにも少ない。名誉なことではあるのでこれを断るのもまた良くないので、一年は付き合おうとの心づもりでもあるようだった。


 朱儁の方向性としては、どうせいつか李鶴らはしくじるのでそれを待つ。そういうものであった。徐州牧である陶謙らの誘いで、何とか献帝を奪還しようとの話を蹴り、入朝。でも結局行動を起こさずに待つだけの日々。政治は民を虐げる令ばかりが出されるのに、それに反抗しようともしない。何せ朱儁の目には失敗を重ねているだけにしか見えていないのだから。


 かつて中郎将として共に黄巾賊と戦った皇甫嵩、彼も今や光禄大夫。この官職は高官になった後に、定まった役目が無い名誉職として利用されているものの一つ。二人とも名声があっても行動を起こさずにただ時間を過ごしている。後世の論評では、両名とも名は高いが小さなことにこだわり大義を見なかったと言われるゆえんであった。


 192年秋の終わり頃

 俺達は連絡がついた徐州の陶謙が待つ、下丕県へ向かっているところだ。寒風が吹いて来ることもあり、そろそろ冬が訪れるなと思わせる感じだぞ。毎度思うが、こんな寒い中で外に一日中居させるのはかなり酷なことだ。それでも軍事は待ってはくれないがね。


 これからの方針を決めることになるので、今回は荀彧も同行させているぞ。冤州全体の事は荀攸殿に頼んできて、典韋、趙厳を身近に置いている。残るのが文聘だけというのが心配ではあったが、あいつの防衛能力は信頼出来るし、二週間もすれば戻るので大丈夫だろうと出て来た。


「友若殿、お久しぶりです」


「おお文若も元気そうでなによりだ」


 途中陳国で荀彧が居る長平に寄ることにした、二人で情報交換だよ。チラッと視線を送られた、きっとあの件だろうな。俺は頷いてやり笑う。今なら南方に散歩に出かけたと言われても、ため息一つで終わるだろうさ。城内警備の顔を見ると、賊っぽいのが混ざっているな。従っているなら構わんがね。


 一人で城内をうろうろしていると、姿勢が良く身なりが貧しい中年、といっても四十代半ば位の男がいるのを見掛けた。農民ではなさそうだが、官吏でもないな。リアカーというか大八車というか、そういうのに荷物を載せて覆いをかけているところを見ていると目が合う。


「御仁、何か?」


「あ、いや、引っ越しか? もう冬になり寒くなるというのに」


 わざわざこの時期にやることではない、野宿だって厳しいぞ。野生動物がなりを潜めて安全さは上がるかも知れんが、食べ物は少ないだろうな。


「ええ、荊州に避難をしようかと思いまして」


「避難だって? それは良いんだが、今はこちらから荊州へ入る道の、屠陽あたりは封鎖されているぞ」


「なんですって! うーん……それは、貴重な情報をありがとうございます。おかげで無駄足を踏まずに済みました」


 何せ俺がそうさせたんだからな! こんなところで被害者が出なくて良かったよ。他にもいるかも知れんが、予め謝っておくとしよう悪かったな。


「いいさ、春になればまた変わるかも知れん。ところでここ長平で争いの予感でも?」


「ここが、というわけではありませんが。幽州、冀州、青州、冤州で戦乱を聞き、徐々に南下してきているので巻き込まれないうちにと思いまして」


 確かにそうだな、ここも今年も去年も戦地になっていた。いざなってからでは動くに動けん。


「実は明日には徐州の都へ向かうつもりなんだが、そちらならまだ安全なんじゃないか?」


「下丕ですか、確かに徐州は陶謙殿が居られて安定しております。それも手でありましょう」


 はて、一般人が徐州の都を知っていて、陶謙が牧だって認識してるものかね。隣県の知事くらいは知っていてもおかしくないか。そのあたりの常識はいつものように持ち合わせてないぞ。


「もし一緒に行くってなら明日の朝、東門に来てくれ。同道者が少し増えたくらいで、皆も何も言わんだろうさ。ではな」


 その足で飯店に入ると、酒と饅頭を注文する。あいつらが実務は取り仕切ってくれるからな、これからどうしたものか。あのクセが強い中国人らが一致団結するわけがないんだよ、だから敵味方入り乱れている中で、利益が噛み合う奴を選ぶようなのが現実的だ。


 準備を終えたのを聞いて城外に行くと、百ほどの兵と荀彧らが待っている。こちの供の兵士が今回はそれだけ、今回もというべきだろうか。例によって全て騎兵だ。そういえばあいつは……っとあちらの城壁の傍にいるな。


「おーい、お前も来たなら行くぞー」


 荀彧らに怪訝な顔をされてしまったが、声をかけたあいつのところに行く。聞こえないはずはないが何故反応しないんだ?


「どうした、来たんだったら徐州へ行くつもりなんだろ。ほら」


 傍まで行って声をかける、当然荀彧らも近づいてきた。何も言わずにいたが、いいだろ一人くらい増えたって。荷車に視線をやってから、その男を見詰めると荀彧がハッとする。


「失礼ですが、もしや潁子厳殿ではありませんでしょうか。私、潁川の荀文若と申します」


「はぁ、そうでしたか。確かに私は長平の潁子厳です。あなたのご指示ですかこれは」


 うん、知り合いではないが双方が名を知っている、こいつ長平の豪族かなにかか? 首を小さく傾げて様子を見守る。




「これと言いますと、騎兵らのことでありましょうか」


「それも含まれるが、私を同道させようという魂胆ですよ。そこの大柄な者を使いにし、このように誘い出したこと」


 そうまで言われたら俺に注意が向くよな、納得だぞ。視線を向けられたので取り敢えず説明をするか。


「引っ越しで屠陽を通過しようとしてるときいてな、封鎖されてるから徐州の都に一緒に行くかって誘ったんだよ。荀彧の知ってるやつだったのか?」


「なるほど、概ね理解致しました。子厳殿、まずはご質問への返答でありますが、否です」


「ほう、あの荀文若が知らぬと申しますか。褒められた返答ではないと愚考しますが」


「私などの知恵が及ぶ範囲は、大きく制限されていますので。同道の件は、その気がおありならば問題は御座いません」


 今度は潁子厳とやらが眉を寄せた、釈然としない物言いなんだろうな。俺が一言告げておけばよかった、認めるよ足らなかったことを。


「その、なんだ。行き違いという奴だなすまん」


「では貴殿はどうして私をお誘いになられたのでしょうか」


「どうしてって、そりゃ困ってるなら何か助けになるようなことがあれば言うだろ。というかどのあたりに問題があったんだ?」


 それも大した苦労も不満もないような、たーだ一緒に行くかってだけの話だ。いちいちあれこれと勘繰ったりはせんぞ。


「子厳殿は招聘されるもそれを断り、春秋左氏伝を研鑽し学問にはげまれている方であります」


「春秋左氏伝というのは聞いたことが無いな。まあ、学者だったんだな。それで?」


 招聘ってのは公とかが招くってやつだったな、面倒だからやだよって性格なのかもなこれなら。名声をあげるためにわざと拒否した感じではないぞ。


「文若殿が貴殿をを利用し、私を登用するために画策したのではないかと言っているのですよ」


「おー、そんな風になるのか。けれども荀彧は関係ないし、登用など全くの範疇外の考えだぞ。なにせ俺は子厳殿を知らなかったし、聞いてもあまりピンと来ていない」


「いえ、貴殿ではなく文若殿がと」

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